打出の戦い!!! | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

今回、取り上げるのは、、湊川の戦い!!!の流れからの、打出(うちで)の戦い!!!ナイフ

 

↓打出駅の道路標識

打出駅の道路標識

阪神電車・打出駅より徒歩6分、またはJR芦屋駅より徒歩13分。

ちなみにぷにゅたは都合上、JR芦屋駅から歩いた走る人

石碑一本見たさに、誰がわざわざこうまでして訪れるだろうか。

 

車の場合は、公園裏手にちょっとの間だけ停めるのが現実的か(すぐ終わるので)。

 

↓楠公園前の道路標識

楠公園前の道路標識

「楠(くすのき)公園」というのはまた別の公園で、目指す場所は「楠児童遊園」ゆう公園だ。

 

・「楠木正成」、「楠正成」どっちが正しい?

鎌倉幕府で「楠木」(楠木村出身か)

 ↓

13世紀後期、河内に移って「楠」 

1332年、正成挙兵で「楠木」

正成の子の正行(~1348年)で「楠」

14世紀中頃の太平記で「楠」

子孫の伊勢楠氏は姓も城名も「楠」 

室町~戦前は「楠公」「楠」混合が多い 「楠木」は少ないか 

現在では「楠木」「楠」どちらも間違いではないが、 昭和戦後になって「楠木」と書く事が多くなった

 

出展:こちらを参考にさせていただきました。

 

↓大楠公戦跡碑

大楠公戦跡碑

これこれ。「大楠公戦跡碑」

国道2号線沿いにあるので、すーぐわかったよ~。。

 

大楠公戦跡碑2

精道村強化団体連合会が楠公六百年祭記念事業として昭和10(1935)年に建てた。
昭和19(1944)年、この戦跡碑があることから、町名が現在の「楠町」となった。
その後、公園改修事業に伴い、現在地に移された。

 

↓大楠公戦跡略記

大楠公戦跡略記

風化と写真下手くそで、よう読めん。。えーん

 

・大楠公戦跡略記
「延元元年正月末足利尊氏カブト京都に於て戦破れ丹波路を迂回し兵庫に敗走す。二月十日大楠公進みて此地に陣す。賊勢再挙して公の軍に迫り激戦ナイフ夜に及ぶ。官軍夜半潜かに大阪街道に詐り引く。十一日賊軍京街道を進み豊島河原(現大阪府豊能郡箕面村)に於て新田北畠の軍と交戦し亦夜に入る。大楠公機に乗じ背後を奇襲して功を奏し敗軍を急追して此地に大捷す。賊軍倉皇としてガーン兵庫に退き海路船九州に敗走す。時に大楠公齢四十三歳にして湊川戦より約百日前の戦なりき。
精道村教化団体連合会 昭和十一年五月誌」


合戦の様子は、「太平記」にも書かれている。

 

↓打出合戦について

打出合戦について

湊川の戦いよりさかのぼる事、わずか百日前の合戦とは思わなかった。びっくり

足利尊氏の短期間での逆襲、恐るべしである。驚き

のちに天下を手中に収める尊氏だが、この時は一敗地にまみれたわけだ。。

 

要は、京都から敗走した朝敵・足利軍を楠木正成が追い討ちし、この地で大勝利をしたのが、打出合戦ということらしい。

大体このへんやろビックリマークいう事でここに碑が建っている、事実上の「打出合戦跡地の碑」という認識でもよいかと。

 

↓打出合戦について_つづき

打出合戦について_つづき

なお、「打出」の地名の由来は、大楠公が討って出たからじゃなく、それ以前から付いていたようだ。

西国街道を旅する人が、京都を出発し、初めて海に「打ち出る」場所という事だそうだ。

 

地図を見てみると、200m南に、国道2号線と平行して走る西国街道が確かにある。

が、見逃した。。悲しい

 

↓大楠公戦跡碑_裏面

大楠公戦跡碑_裏面

陸軍大将・本庄繁の揮毫である。

後ろにも文字がたくさん刻まれているが、よう読まん。。汗

 

↓クスノキの植樹

クスノキの植樹

背後にはまだ若い「クスノキ」が植えられている。そのまんまやん。

写真バックに写る台座は、斎藤幾太(多)翁像のなごり。

戦時中の金属供出で、上の銅像が失われた。

 

↓楠児童遊園のようす

楠児童遊園のようす

公園奥にある滑り台の上から公園を見下ろす。

公園の先端に石碑、そのむこうに走る国道2号線。

この写真の奥のほうが海波だが、現在の地形では海までけっこう遠い。

 

↓ねじりマンボ(大谷道)

ねじりマンボ

大楠公戦跡碑をあとにして徒歩5分。JR線の下をくぐる小さなトンネル。

通称・西宮のねじりマンボ(大谷道)。正式名称・「東皿池拱渠(きょうきょ)」。

 

なんとビックリマーク日本最古の近代煉瓦トンネルとの事だ。

築造は鉄道開通と同じ1874(明治7)年と思われる。

 

当初は水路用のトンネルだったが、のち人が通れるように改修された。

 

マンボとはトンネルのこと。ねじりとはトンネルを斜めに通すため、レンガをねじれされて積んでいる。

タイムトンネルみたいなイメージ・・・恐るべし、明治人の技術力ビックリマーク

こちらを参考にさせて頂きました

 

↓皿池公園前の桜並木

皿池公園前の桜並木

ねじりマンボをくぐり、山手幹線を目指す。

 

「血池(ちいけ)公園」はてなマーク・・・ひょっとして合戦にちなんだ場所かはてなマーク

 

いえいえ、「皿池(さらいけ)」公園ですから~~~。。イヒ

夙川(しゅくがわ)氾濫時に備えた水の逃げ場として造られた公園、らしい。

 

春には桜桜がきれいだことだろう。

 

↓皿池公園の花

皿池公園の花

「シチヘンゲ」という花のようだ。蝶(あるいは蛾)が蜜を吸っている。

 

↓阪急・夙川駅のプラットホーム

阪急・夙川駅のプラットホーム

山手幹線沿いに東進、かなり登りの道でけっこう歩いた。あせる

帰りは阪急電車地下鉄が都合がいいので、夙川駅へ。

 

駅のホームが、夙川をまたぐ立地。

全国的に見て、別に珍しい事ではないが。

 

 

おわり。。。