大和・三里城!!! | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

さて、平群中央公園を北へ抜け走る人、竜田川に架かる森脇橋を渡り走る人、平群駅を目指す。

 

↓三里城跡_遠望

三里城跡_遠望

平群駅近くまで来た。正面に見える山々のどれかが、「三里城跡」となろう。

 

↓平群町コミュニティバス(左近くん)

平群町コミュニティバス(左近くん)

平群駅ロータリーに待機していたラッピングバスバス

椿井城でも見かけた「左近くん」。。

もちろん、島左近勝猛節分がモチーフだ。

 

バスは換気のためか、少し窓が開いていた。

運転手はおらず、この写真を撮るためやむなく閉めさせて頂きましたドア

だって顔が“クシャッ”ってなってたネガティブから。。。

 

↓平群町コミュニティバス(長屋くん)

平群町コミュニティバス(長屋くん)

こちらは「長屋くん」。。ここからそう遠くない地に、長屋王の王墓がある。

・・・行かなかったけど。。知らんぷり

 

長屋王というのは、天智天皇の孫で一時期政権を握るも、謀反のかどで(藤原氏の陰謀)死に追いやられた(長屋王の変)人物。

古代人らは、その祟りを恐れたという。

 

・・・大丈夫なのかはてなマークこのバス、平群町。

 

↓三里城跡_外観

三里城跡_外観

ここまで椿井城→西宮・下垣内城ときて結構きつくなってチーンきた。。

 

はたしてこの謎の山城をサクッと攻略できるのだろうかはてなマークはてなマーク

 

↓安明寺叶堂

安明寺叶堂

麓にある「安明寺叶堂」

安明寺は聖徳太子の建立とも伝えられており、興福寺の末寺として栄えた。
昭和51年の火事メラメラで消失し、現在は礎石と石段・石造物が残るのみだ。

 

↓安明寺叶堂の石仏など

安明寺叶堂の石仏など

非常に珍しいという、馬頭観音像馬は撮りもらした。

 

↓「右 まつの尾」の道縹

「右 まつの尾」の道縹

三里城の登城口は白石畑に抜け、松尾寺へ続く峠道として古くから使われていたという。
「右 まつの尾」の道縹を発見。登城口の目印風船

 

どうやらここまで前情報通りに来れているようだ。

 

↓巨石

巨石

この巨石の横の狭まった入口から道をそれる。方向はあっているはずだ。。

 

↓空堀跡?

空堀跡?

もう、この辺りからわからなくなってしまった。

 

城跡を示す標識右差しなどは何もなく、道なりに進んでみたら白石畑へ続くという、つづら折れの厳しい山道が延々と続いていた。

 

最高所を目指すと失敗するので、どこかで道を外れないといけないのだが・・・汗汗

 

↓空堀ぽいもの

空堀ぽいもの

三里城は、場所的には南の椿井城から1km離れていない。

 

城主など諸々は不明。島氏ゆかりの城か松永氏の手のかかった城か。


広域を空堀で囲む縄張りのようだ。。

写真は適当に撮ったもので、遺構ではありません、たぶん。。あせる

 

↓郭か

郭か

道脇の(たしか左側の)土塁ぽい斜面をよじのぼり、無理矢理ヤブを掻き分け、平坦地に出た。

ここが郭のひとつだといいのだが・・・

 

さまよった時間が長すぎてどこをどう行って撮ったのか、あまり記憶がない大あくびので。

 

↓斜面

斜面

こんなところで足を踏み外して大ケガでもしたら大変だ。

もうここらで引き返そう。

 

↓腰掛石?

腰掛石?

この岩の上で一息ついて下山。

三里城址・・・難易度高しビックリマークいや、高杉やろっビックリマーク

 

↓池跡?

池跡?

今後、遺跡調査、整備などされる事があるのだろうかはてなマーク

謎多き三里城でした~ビックリマーク

 

(紹介になっていないが、強引に閉める)

 

 

おわり。。。