今回はひっさびさの山城。。。(といっても比高50mほどだが)
「能勢(のせ)」といっても奥が深い。ついに畿内のこのエリアに手を付けてしまったかー。
能勢氏といったら、たしかお隣りの塩川氏と犬猿の仲だったよな
他には・・・あんまり印象ないな・・・
それでは早速、いってみよー
阪急宝塚線で「川西能勢口」駅まで行き、能勢電鉄にのりかえ「妙見口駅」下車。
↓運行内容変更案内
「2021年4月から平日のみの運行となります」だとぅ~~
車乗らない、お城や山登りが好きなサラリーマンは、今後どないせいっちゅうねん。。
皆様も、バスで訪問される際には要注意です
(訪問は3月上旬の平日)
↓バス停から丸山城跡へ
バス停「奥の院」から、すぐ細い道を下っていく。
どうやら早くも、正面やや左に見えている山が「丸山城跡」だ。
↓丸山城跡
着いた。
↓丸山城跡_看板
↓丸山城跡要図
標高281m、比高50mの山城。
北から南に延びる細長い尾根を堀切で区切り、北から本丸、二ノ丸、三ノ丸と一列に並ぶ。
↓丸山城跡_縄張図
縄張図のみを撮ったのはよいが、アルファベットの記号の説明が抜けてしまった。
A:本丸、B:二ノ丸、C:三ノ丸、D:見張櫓、E:帯曲輪、F:竪堀、G:武者隠し、H:堀切、I:大手門、J:腰曲輪
↓丸山城跡_説明
長元年間(1028~1037)、源頼光の子、頼国が摂津から丹波へ通じる要所であるこの地に築城。
能勢氏を称し代々の居城とした。
そんなに昔からあったの貴重やないかい
↓野間川支流
水堀がわりに機能したかどうかは知らない川。
城跡の近くに流れる川はとりあえず撮っておく。
↓登城口
本来の大手は裏手(西)にあるのだが、利便性を考えて東側から登れるようにしてくれている。
↓腰曲輪
登り始めてすぐに「腰曲輪(こしぐるわ)」と書かれた紙を発見。
写真は腰曲輪というより、角度的に土塁を捉えてしまっている。
↓急な階段を登る
無理やりに造った感じの、このビッタビタな階段をさらに登っていく。
↓三ノ丸
時間はさほどかからず、平坦な場所に出てきた。
「三ノ丸」と書かれた紙は見切れてしまっているが、ここが「三ノ丸」。
せっかく設置してくれている紙だが、いちいち一緒に撮りづらい位置にある。
↓丸山神社
三ノ丸から北方向を見やると、もはや祠(ほこら)が見えた。
地図で見ると、「丸山神社」となっている。
10年ほど前まで小さな神社の建物があったが、取り壊されて今は残存物のみ残る。
↓二ノ丸
ほらぁ、こんなところにぃ~。「二ノ丸」。
二ノ丸は、どうやら本丸より一段低く、ぐるり囲んだエリア全体をそう呼んでいるようだ。
(帯曲輪も二ノ丸の一部か)
↓大手道
少し左へ視線を移すと、伐採されてないうっそうとした森の中へ入っていく道がある。
本来の大手道は写真の奥から登ってきて、ここへ出てくるようだ。
↓帯曲輪へ
祠の両サイドから、細い道が奥へと続いている。「帯曲輪(おびぐるわ)」だ。
では、右サイドから行ってみよう。
↓本丸の高まり
帯曲輪から左手に見える本丸の高まり。
場所によってはしっかりとした落差がある。討死に必至のエリアだ。
↓帯曲輪
帯曲輪を振り返りの図。本丸の反対側はたちまち崖となっている。
↓見張り台
うーん、よく覚えてないけど本丸の北にある「見張台」だっけかなー
↓見張台の北堀切
そして見張台の上からさらに北をのぞきこむと・・・
なんじゃあこりゃあすごい落差やないかい
(木々のせいでわかりにくいけど)
↓本丸の北堀切
これは本丸の北側の二ノ丸にある堀切(小)だったかな~
さっきの図で見ると土塁しか表記されてないような
見張台との間を区切っていたように思う。
↓同じく本丸の北堀切
堀切は竪堀(たてぼり)状になって坂下へ向かって落ちていっていた。
降りて見上げたの図。
↓本丸へ
北側虎口より、いよいよ本丸へと登ってみる。
↓本丸
本丸に登った。高台の上には見事なまでに平坦な曲輪が広がっていた。
↓本丸から帯曲輪を見下ろす
東端から見下ろすと、さっき通ってきた帯曲輪と、その向こうの崖が見えた。
つづく。。。