姫路城につづき、人が混んでいない今こそ超有名スポットを訪れよう~第二段
「二条城」。。。
普段だと修学旅行生や外国人だらけでじっくり見れないよね~。
では、どうだったか、早速行ってみよっっ(訪問は2020年6月)
* * * * *
「二条城」と一口に言っても、4つある。
「旧二条城」、「二条御所」、「妙顕寺城」、「元離宮二条城」の4つだ。
- 旧二条城・・・足利義輝居館跡地に、信長
が足利義昭のために建立。京都御所(御苑)のすぐ近く、現在の平安女学院の一角に石碑がある(未訪問)。
- 二条御所・・・信長が自分の邸宅を誠仁親王にプレゼント
。本能寺の変の際には織田信忠が籠り、光秀に敗れ自刃
。
- 妙顕寺城・・・秀吉
が京における本拠として築く。聚楽第が完成するまでのつなぎの役割を果たす。
- 元離宮二条城・・・現在の二条城。家康
が関ヶ原の戦の翌年に築く。近代には皇室の離宮となっていた。
↓二條殿跡_石碑
二条城、まだ行かんのかーい
まずはついでの寄り道。。
地下鉄・烏丸御池駅 下車徒歩2分、
京都国際マンガミュージアムの西側玄関、両替町通りにある石碑。
いわゆる2つ目の「二条御所」跡。
↓此附近 二條殿址_石碑
近くに寄ってみる。
石碑以外に何も残っていないが、織田信忠最期の地、と思うと大きな歴史的事件が起こった場所なわけで、感慨深いものがある。
↓二條殿 御池跡_石碑
こちらは上の場所から、一本西の室町通りにある「二條殿御池跡」と刻まれた石碑。
事前に知ってなければ、まず見つける事はできなそうな状態だ。
上の石碑と、特に意味合い上の違いは無く、ここらの区画内に城と二条邸はあった、と捉えてよさそう。
「御池」とあるのは、二条殿内に龍躍池(りゅうやくち)という池があった事を指す。
(現在の「御池」という地名も、元あったこの池を指すと考えられる)
↓此附近 閑院跡_石碑
徒歩1分。
閑院とは、平安時代~鎌倉初期にあった藤原氏の邸宅。
うち90年間は、里内裏(さとだいり=臨時に設けられる皇居)としても利用された。
西洞院通、押小路通、油小路通、二条通に囲まれて、広大な規模を誇った。
↓妙顕寺城跡
閑院の説明板と同じ所にある石碑。
こちらの二条城は、3つ目の「妙顕寺城」跡。石碑のみ残る。
なお、後ろの建物は西福寺というお寺。
↓豊臣秀吉妙顕寺城跡_石碑
↓豊臣秀吉妙顕寺城跡_説明
1583年、秀吉が妙顕寺を立ち退かせて自身の新邸を構築、平素は前田玄以を駐留させた。
詳細はよくわかっていないが、周囲には堀をうがち、天守もあげていた・・・らしい。
上記の閑院との位置関係についても、よく分からなかった。
↓東南隅櫓
さて、妙顕寺城跡からすでに小さく見えていた櫓。
やっと、現在の二条城の東南端に出てきた。
↓東南隅櫓2
寛永年間(1624-1643)に造られた現存の櫓で、重要文化財。
1788(天明8)年の大火で他の櫓は焼失してしまい、現存する櫓は2つだけだ。。
二重二階櫓、入母屋造、本瓦葺で千鳥破風、石落しも備える。
↓南側の堀
四方に巡らされた水濠が残る。外周は約2kmと、ランニングにはもってこいだ。
↓東大手門方向
ここから、入口である東大手門がもう見えているではないか
右手は堀川通り。
↓史蹟 舊二條離宮_石碑
予想したとおり、空いているようだ。。
「葛(くず)二條離宮」って何だろうと思ったら、「旧」の旧字体の「舊」と刻まれているようだ。
↓世界遺産二条城_説明
こちらは世界文化遺産である事を記す板。1994年に指定された。
↓東大手門
1662(寛文2)年建立の櫓門。本瓦葺で入母屋造り、木連格子、棟には鯱。
重要文化財。
↓大手橋から見る東側の堀
濠ぎわには、石垣で固めた土塁がぐるりと囲んでいる。
↓東大手門_金箔部分
扉、門柱などは鉄板張り。門柱の脚と天には金で装飾している。
↓金箔部分_拡大
ここでちゃんと予習していた見どころが。
・・・あ見っけ
一箇所だけ、千鳥の模様が施されている。
修復にあたってその存在が明らかになったらしい。製作者の遊び心であろうか
↓レトロな照明灯
門の裏手に回ると、レトロな感じの照明灯が。
大正時代に取り付けられたものだろうか。
↓番所跡
大手門くぐってすぐ。見落としがち。1663(寛文3)年の建築物。
全国でも番所が現存する城は珍しい。重要文化財。
↓土蔵跡
北へ向かい進む。何気なくあるので見落とし易い「土蔵」。
10棟あったうちの3棟が現存。城内に土蔵が残るのはここ二条城のみ。
重要文化財。
↓北大手門_裏
土蔵があるエリアを抜けると、城の北東まで来たようだ。
北大手門から入場できないようにここにロープが張られている。
遅くても1626年には建てられていた。やはり重要文化財。
遠目からだが、搦手の門なのに、なんと立派な事か。
つづく。。。