長い事行こうと思ってた、念願の淡河(=「おうご」と読む)。。
裏技で、大阪空港(伊丹)の「リムジンバス姫路行き
」を使うと、空港から直行できる
(ただし、乗車時に運転手に「淡河で降ります」と伝えておこう。伝えないとスルーされます)
バスでわずか30分、淡河で下車。
高速上のバス停から下りて、まずは「天正寺(てんしょうじ)城跡」を目指そう。
↓天正寺城跡_全景
西へ徒歩13分。西麓にある溜め池の所からパシャリ。
1561(永禄4)年に有馬則頼が淡河氏の衰退に付け込んで侵入、のちに築城(有馬氏は近隣の三津田、萩原城も領有している)。
1578(天正6)年~秀吉が別所氏の篭る三木城を攻めるが、淡河氏は別所に組しており兵糧
を三木城に運び入れるなど、淡河城は重要な役割を果たしていた。
そのため、淡河城も攻められたが、そのとき秀吉方が天正寺城を陣城として使用。杉原家次を配した。
↓天正寺城跡へ
三木城包囲戦終了後ひきつづき有馬則頼が拝領、改修しながら1600(慶長5)年まで使用し続けたという。
高速の高架下のトンネルをくぐって狭い道に出た。山の中へ向かう入口があったので、ここだと確信。
入ってみたが・・・
↓天正寺城跡_登城路
虫はいない季節ながら、ヤブは結構ある。
このような道をズンズン進んでいくが・・・
↓主郭付近か
なんじゃこりゃぁ木がビッシリ生えていて、これ以上は前に進めん
遺構らしきものも全くわからんし。。。
この上ぐらいが主郭なのかなぁと、とりあえずパシャリ
。。
↓山の裏手はゴルフ場
どうも人の笑い声がするな~と思ったら、すぐ裏手はゴルフ場があるようだ。
ってゆうか眺望ゼロやし。。。
無駄な体力を使ったな・・・ほうほうの体で下山する。
帰って調べると、どうやら登り口を間違えていたようで、城跡とは無関係の場所を歩いていた、と判明。
ショック。。。
実際の天正寺城跡だが、しっかりした階段がついていて、ひらけた削平地があり、祠がある所のようだ。
結果的にもう一つ手前のトンネルをくぐらねばいけなかったようだが、恐らくこの時通行できなくなっていたのではなかろうか・・・(訪問は2019年11月)
それとも、はすみさんの「きさらぎ駅」のごとく、ありもしないトンネルと道の異空間をさまよっていたのだろうか・・・
↓東(淡河萩原・野瀬)方面
天正寺城攻めはあきらめ、気を取り直して淡河城へ進軍するとしよう。。
再び山陽自動車道の南沿いの道に出た。ここから淡河全体を北から眺める事ができる。
のどか(=高い建物がない)なので、低くてもかなり見渡せる。
左側は淡河の萩原・野瀬のある東で、それぞれ城があった。
ずっと先は兵庫県三田(さんだ)へと通じる。
↓南(淡河城)方面
正面(南)は淡河城のある淡河本町、遠くは丹生山方面。
どこが淡河城かよくわからない。どこかには写っているはずだ。。
↓西(淡河勝雄・三木城)方面
右(西)は淡河の勝雄・遠くは三木城のある方面だ。
↓淡河川(下流方面)
約7分南へ歩いて淡河川に架かる橋をわたる。
淡河川はこの先西へ流れ、まず志染川と合流。志染川は美嚢川と合流。
美嚢川は三木城のすぐ横を通り、やがて加古川と合流する。
当時もこの水量だったなら、ここからの水運での兵糧運搬は厳しそうだ。
↓淡河川(上流方面)
上流は、神戸市北区の山あいから来ているようだ。
↓天正寺城跡_遠景
歩いてきた方向を振り返った。
天正寺山は標高230mとあるので、写真の右端の山が城跡と思われる。
真ん中らへんに潜ってきたいわくつきのトンネルが見えるが、今見ると確かにポイントがズレてるようだ。
↓ピラカンサか
↓淡河城跡(道の駅淡河より)
道の駅・淡河の駐車場を、奥へズカズカ入っていく。
と、有名な撮影スポットに着いた・・・淡河城だ
↓淡河城跡_模擬櫓
少し拡大。草木に隠れて見づらいが「淡 河 城 址」と、看板に書かれている。
そしてその上に立派な二層の物見櫓がそびえ
立つ。
↓淡河城跡_全景
さっそく道の駅の脇道から登城するとしよう。
↓淡河城跡への登城路
舗装されていない道を小さな川に近付くと右矢印の案内が。
この小さな橋を渡るってか。
↓淡河城址_看板
狭い階段を登り始めると間もなく、道の駅から見た場所に着いた。
↓淡河城跡に到着
↓本丸
櫓の後ろはすぐ本丸跡。さほど広くは無いようだ。
↓本丸から見る物見櫓
擬似再現された物見櫓。ちっちゃ。
でも瓦はちゃんと二層に葺いてある。
櫓は本丸の東端にある。
↓天守土塁
本丸の左手(南側)が高まりになっている。
これが天守台という事だが、天守については不明。。
現在は稲荷神社のほか、城址碑や祠がある。上がってみよう。
↓白星大明神
↓天守土塁より見下ろす
天守台の上より南側を見た。
鋭角な堀跡で復元整備(神社として整備)されていると思われる。
天守台は本丸の南端にあるので、こっちは平坦になっていない。
本丸を囲む水堀は、あちらの高まりのすぐ奥だと思う。
↓淡河城復元図
神社のすぐ向かい側に休憩小屋のような建物があり、その室内に手作り感満載の様々な展示がなされている。
見ていこう。
淡河城復元図だが、少ーしカスれれててわかりにくい。
開発により、本丸以外ほぼ失われているが、当時は二の丸や西の丸、南の丸などがあり、その周りをも水堀で囲まれていたようだ。
つづく。。。