府内城!!!~後編 | 新・ぷにゅたの城跡フェチ in主に西日本

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車を持たないぷにゅた。ほぼ公共交通機関のみで行く、城・城跡・戦場・墓などをご紹介。

前編では、工事中の府中館跡(大友氏館跡)を見たのち、府内城。。

そして、いきなり天守台。びっくり

 

後編では、廊下橋をわたって山里曲輪へと向かう。。

 

↓天守台を廊下橋手前より

天守台を廊下橋手前より

廊下橋を渡る前に右手の石垣を見る。

人が立ってる奥の高い所が天守台。

 

↓廊下橋西の石垣

廊下橋西の石垣

こちら側の石垣は苔蒸している。

 

↓廊下橋内部の様子

廊下橋内部の様子

平成8年に復元。本来は大手門の外に架かっていた。

 

↓北二重櫓台を見返す

北二重櫓台を見返す

廊下橋の中から。先ほどはあの上(北二重櫓台)からこちらを見た。

外側から見てみると、櫓台というよりは天守丸石垣の北西端、という方が正確か。

 

↓山里曲輪

山里曲輪

廊下橋を抜けると、山里曲輪。

パンフによると「慶長の古い石垣」が展示されているらしいのだが、見逃した。

平成7年の廊下橋復元にあたって発見された石垣だという。

 

山里曲輪には松栄(しょうえい)神社神社が鎮座する。

 

↓松栄神社

松栄神社

慶長末期の開基。

1729(享保14)年、松平氏の時、この場所に遷された。

 

境内には竹中重利の墓があるそうだが、見逃した。ショボーン

1601(慶長6)年に府内藩主となり、府内城を完成させ府内の町の発展基盤をつくった人物だ。

 

↓人質櫓を山里曲輪より

人質櫓を山里曲輪より

ここから見る人質櫓が、カッコいいビックリマーク

右手に、なんじゃありゃはてなマーク

どうやらイベントで造られた「光るイルミ天守キラキラ」との事だ。

光る姿も一度見てみたかったが。

 

↓大手門

大手門

何とビックリマーク工事中で大手門を通行できひん、だとぅビックリマーク

そのせいで着到櫓、伊東マンショ像など見に行けず。

 

↓西の丸角櫓

西の丸角櫓

仕方ないので、城をあとにする。

信号待ち中に、車中からパシャリカメラ

宗門櫓か、と思ったら再建の「西の丸角櫓」。。

 

宗門櫓(そうもんやぐら)は、工事中看板の左上に辛うじて屋根の一部が。

外からは平櫓に見えるようで、あまり存在感が無かった。

 

↓大友宗麟公の像

レンタカー車を無事時間内に返却し、大分駅前に。

大分といえば、やはりこの人、麿 赤兒(まろ あかじ)さん。

ドラマ「ルパンの娘」で深田恭子おとめ座のおじいさん役。。

・・・じゃなかった、、大友宗麟公。。。大分の英雄。

 

いわずと知れたキリシタン大名十字架

ってゆうけど、歴史ファン以外は意外に知らない人も多い。

 

↓大友宗麟公の像

大友宗麟公の像

高い台の上だわ、逆光だわで表情がよぐわがんね。。ショボーン

 

本名は大友義鎮(よししげ)。洗礼名はドン・フランシスコ。

大友氏の全盛期を作った(豊後・豊前・筑後・筑前・肥後を支配)いっぽう、宗教対立を招いたり、家臣の愛妻を奪う(ゲスだな~)などして衰退へも導いた。

その一方で、日本初の病院病院(しかも、無料で診察)や孤児院赤ちゃんを設立するなど、名君の一面も併せ持つ。

 

↓大友宗麟公の像_拡大

大友宗麟公の像_拡大

いうわけで、拡大して撮影、少し暗部を補正してみたアート

いかつい老人、チョイ悪オヤジサングラス的な。

 

ここより北、別府湾に近い神宮寺浦公園にも、宗麟公の像がある。

 

↓フランシスコ・ザビエル像

フランシスコ・ザビエル像

そして、GLAYのTERU。

音譜逢いたいから~~ぁ、恋しくて、あなたを想うほど、ふ~~ふビックリマークカラオケ雪だるま

 

じゃなくてぇ、、

2015年駅前に建てられた、ずいぶんイケメンのフランシスコ・ザビエル像。

キリスト教を日本に伝来させた人物として、誰もが教科書で肖像画に落書きピエロした。

 

なお、府内城大手門の前にある大手公園にも像がある。

 

 

 

おわり。。。