前編では、数少ない遺構である土橋石垣、井戸、前田利長騎馬像などをすでに見てしまった。。
もうこれ以上、他に何を見るもんがあるっちゅうねん
・・・あるよっ
↓高岡城_模型
民部丸井戸の背後に写っていた三の丸茶屋。
ここらでトイレ休憩して・・・お
こんなものが茶屋内に。。
これは、ありし日の姿が分っかりやすぅーい。
本丸の東は粗末な橋でつながっていたのかな
あれ、、天守あるけど
(写真上やや右)・・・小天守まで
希望込みで復元したのかな
↓蒸気機関車
昭和16年製造の個体。
城端線・氷見線として晩年を過ごした。
昭和44年からここ三の丸内に展示されている。
↓南より見る朝陽橋
北の方を見ると、先ほど渡ってきた朝陽橋。
左手の本丸から右手の小竹薮へと渡ってきた。
↓明丸(あきまる)
左手には動物園がある曲輪。
右手(北)はすぐ内堀だ。
↓枡形堀
南側を見ると、枡形(ますがた)堀だ。
左手が搦手(からめて)口及び三の丸、右手が明丸となる。
↓高岡古城公園動物園
フラミンゴが名物との事でちょっと寄ってみた。
↓ウサギ
きゃっわいぃwww
↓ペンギン
フンボルトペンギン。
動物に熱中して、明丸である動物園全体の様子を撮り損ねた。。
↓枡形堀
動物園を出て南側を見ると、またしても枡形堀が現れた。
左手が動物園のある明丸、右手がこれから行く鍛冶丸(かじまる)。
↓鍛冶丸より見る土橋石垣
北方向を見やると、前編で見た本丸-二の丸間の土橋石垣。
城内唯一の石垣。
↓高岡市立博物館
鍛冶丸内にある。
↓大手口
本来の入口は鍛冶丸から繋がっている。
ちなみに鍛冶丸を北へ進むと、最初に入った二の丸へ通じている。
では、大手入口にある像などを見に、写真の先へGO
↓高山右近像
高山右近は言わずと知れたキリシタン大名。洗礼名はジュスト。
摂津・高槻(たかつき)城主として、秀吉の天下取りにも貢献。。
明石12万石まで出世するも、伴天連(ばてれん)追放令により大名の地位を失う。
天正16年から加賀藩(前田家)のお抱えとなり、26年間をここ高岡で過ごす。。
その後は国外追放となりマニラへ渡った。
↓高山右近像
銅像は高槻城跡にあるものと同じ姿で建てられている。
↓高岡城跡石碑
大手口にある真新しい石碑。
2015(平成27)年、国の史跡に指定。
そういや「高岡城跡」って書いた石碑がなかったね、という感じでその時造ったものだろうか
なお、左横にあるのは「高山右近顕彰碑」。(右近像はそのさらに左にある)
↓高岡城跡_説明
今さらながら高岡城跡説明板。訪れてすぐ読みたかった。
平成二十七年とあり、この説明板もその時設置したものらしい。
↓高岡大仏
せっかくなので近くにあるという高岡大佛を見ておこう。
むむ、あれか・・・でかい。
バックが青空ってのもまたインパクト大。
↓高岡大仏
正式には大佛寺にある「銅製阿弥陀如来坐像(どうせいあみだにょらいざぞう)」という。
奈良の大仏、鎌倉大仏、と日本三大仏を称している(が知らんかった)。
中でも一番のイケメン大仏だといわれている。
言われてみれば、確かに端正なお顔立ちだ。
1221年、源義勝が二上山麓に建立。
1609年、前田利長が城下に移転。
木造だったため、何度も火災で消失→再建→消失→再建→消失。
1933年、高岡銅器の職人らの尽力で、現在の銅製の大仏を完成・開眼。
↓前田利長公像_遠望
高岡駅に戻ってきた。レンタサイクルしていた自転車を返し、駅の反対側(瑞龍寺口)へ。
駅のロータリー内にあるのですぐに見つけられた。
↓前田利長公像
こちらは座して何やら指揮を執っている場面だろうか。渋い。
頭にはやはり鯰(なまず)を象った兜だ。
(天変地異に動じず演技が良いとされた)
↓富山湾弁当
時間のある方は是非、国宝・瑞龍寺にも訪れてほしい。
さて、富山駅で富山湾弁当と黒部の氷筍水を購入。
帰りのつるぎ、いやサンダーバード車中で頂くとするか。
↓富山湾弁当
ほたるいか飯、白エビのかき揚げ、ブリ大根、幻魚(げんげ)、バイ貝、ひとくちますのすし・・・
これだけ富山の名産を詰め込んで、値段も手頃。。
大満足で帰途に着くぷにゅた氏であった。
おわり。。。