超・ひっさびさにブログを再開しま~すっ
いうのも、一回ログアウトしたところ、登録メアドわからんくなって・・・。
「その3」 はあ
ポカンとしていると思うので、前回までの内容は、→こちら。
飾磨区にある、とある遊技場で遊んでっと・・・
無料の送迎バスで姫路駅前まで、、
JRで御着駅まで移動。。
↓御着駅の看板
見事な官兵衛押し。。こういった物は、大河が終わっても、是非残していってもらいたい。
↓天川
妻鹿城の近くを流れる市川よりは、だいぶん細い川。。
この川を堀の代わりとして利用していたことから、御着城は別名を「天川城」とも。。
川を遡り、右手に渡る。
↓御着城
徒歩7分ほどで御着城跡に到着。何やら、お城風の建物が正面に・・・
↓御国野公民館
幅広い年齢層の方の、地域のふれあいの場。という事らしい
半端な形状でも、気分を少しでも盛り上げてくれている。
公園内には様々なものがある。一つずつ見ていこう。
↓黒田官兵衛顕彰碑
最近造られたもののようだ。
↓目薬の木
おなじみ目薬の木、ここにも。(妻鹿城にもあった)
↓御着城址碑
この石碑は、塀をはさみ、公園の外(右手)にあるので、見落とし注意
↓御着城跡案内図
こういった案内図があると、分かり易くて助かる。。
今立っている場所が堀跡で、堀を挟んで向い側にあるグラウンドが二ノ丸跡。
↓二ノ丸跡
これが、二ノ丸か。
野球少年の邪魔をせぬよう、こっそり撮影
。。
↓黒田重隆と官兵衛生母の廟所
目薬の木を撮影した際、後ろに見えていた屋根がこれ。
↓黒田重隆と官兵衛生母の五輪塔
父・職隆の墓(ちくぜんさん)は妻鹿城跡近くにあったが、こちらは重隆と生母(明石氏)が祀られている。
重隆は官兵衛の祖父にして、黒田家隆盛のいしずえを築いた人物。
↓天川橋
姫路藩が1828年に、この地より南西二百メートルの天川に架橋した石橋。
昭和四十七年の出水で橋桁が落下したため撤去し、のち現在地に移設保存したもの。
↓堀跡
橋の下の、窪んだ所は、御着城の堀跡なんだとか。。
↓御国野公園
国道2号線を歩道橋で渡ると、小さな公園がある。
この公園内も、かつて本丸内だったようだ。
↓小寺大明神
公園内にある、小寺大明神は1755年の古い絵図にも描かれている。
御着城主・小寺家三代とその家臣らが祀られている。。
↓五輪塔・石仏
小寺大明神の近くにある、石仏など。
これらは、現在の御国野小学校周辺から発掘調査の時に出土した五輪塔を復元したもの。
石碑の解説によると、羽柴秀吉が御着城を落城させた時に亡くなった人たちを祀ったものではないかとの事。
無事、完結。(汗