仏像を訪ねて(一)【5】獏王No.3 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

さて再び獏王(白澤)について妄想を膨らませて行きましょう。

ここまで紹介した資料の成立年を整理すると、獣として描かれた白澤が掲載された『和漢三才図会』は1712年(正徳2年)頃とされています。

そして人面牛身で9眼を持つ鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』の白澤は、1781年(安永10年)と『和漢三才図会』より70年ほどの後年に出版されています。

この70年間に獣身だった白澤が9眼人面牛身に変化したと考えたいところですが、五百羅漢寺の獏王(白澤)を彫刻した松雲元慶は1710年に亡くなられているのです。

つまり獏王(白澤)の彫像が最も古く、鈴鹿工業高等専門学校の熊澤美弓先生の論文を紐解けば、獣身と人面牛身の白澤は双方とも日本に同時存在していたことになります。

先生の研究によれば、中国における白澤は全て『和漢三才図会』と同様の獣身であり、日本における白澤は獣身と人面牛身が混在していると結論づけられています。

即ち、室町時代以降に人面牛身の白澤が登場するに至り、『白澤避怪図』や江戸期の『旅行用心集』にあるように厄除護符としての性格を持つようになったようです。

(ウィキペディアより)

人面牛身の白澤が日本生まれだとすれば、誰(雪舟?)かが古代中国に伝わる他の幻獣・神獣を白澤と間違えてしまったのではないかと想像出来ます。

『山海経』に代表される通り古代中国は不思議な生き物の宝庫であり、私見としては開明獣(かいめいじゅう)からの変化ではないかと推測しています。

(ウィキペディアより)

開明獣は、天帝が支配する下界の都とされる崑崙にある九つの門を守る門番で、その姿は虎で頭の上に九つの人間の頭を載せているとされています。

何か十一面観世音菩薩を着想した原典のようにも感じさせます。

漫画家の諸星大二郎先生も『孔子暗黒伝』で開明獣を準主役として登場させています。

また同じく『山海経』には、崑崙の門を守る陸吾(りくご)と言う神獣がおり、こちらは人面獣身で九つの尾を持っており開明獣と同一視されているようです。

(ウィキペディアより)

これは九尾の狐を想起させますね。

また九と言う数字に絡んでは、白澤とは離れますが、やはり『山海経』にも登場する相柳(そうりゅう)と言う怪物がいます。

(ウィキペディアより)

相柳は九つの人間の頭を有する大蛇で、山にある物全てを食べ尽くし、体から毒水を出して周囲の大地を汚染し天下を困らせたと書かれています。

これは現代のホラーにも通ずるシュールな恐ろしい姿をしています、怖い。

それにしても古代中国人のキメラ生物を想像する妄想力には感服するばかりです。