目黒五百羅漢寺の摩訶不思議な獏王(バクオウ)を前にして、いきなり美月が、柔道で言えば「出足払い」、相撲で言えば「蹴手繰り」を短い足で繰り出して来ました。
人間万事塞翁が馬(随筆)【27】でご報告した通り、『浅草名所(などころ)七福神』を(めいしょ)と読んでしまって以来、美月は私の揚げ足を取ろうと隙あらば狙って来ます。
「先生、どうしてこれが獏(バク)なのかな?」
「う~ん・・江戸時代の人はマレーバクなんか見たこともないから、お寺の木鼻彫刻の象や獅子と同じように想像で造ったのかもしれないね」
頭をフル回転させて答えたものの、これは大嘘です。
江戸期に編纂された『和漢三才図会』第三十八巻「獣類」が好きで良く見ていますが、バクについては意外と実物に近い形態で記載されているからです。
つまりこの獏王は、バクと名づけられていますが、本来は違う生き物を彫ったのではないかと考えるべきだと気づきました。
そこで家に戻って五百羅漢寺のホームページを確認しました。
何と獏王像ではなく、白澤(沢)像と書かれているではありませんか。
おそらく寺院が参拝者向けに、白澤像を獏王像と変名してわかりやすく展示しているのではないかと思いました。
では白澤とは何なのでしょう?
中国に伝わる瑞獣の一種で、人間の言葉を解し、万物の知識に精通し、徳の高い為政者の治世にその姿を現すと言われ、描いた図画は魔除け(厄除け)として用いられるようです。
(ウィキペディア『白澤』より)
どんな姿をしているか知りたくて、再び『和漢三才図会』第三十八巻「獣類」で白澤を捜してみました。
しかしこれは似ても似つかぬ獅子のような獣であり、目が9眼もなく、体に角らしき突起もなく、人面獣身である五百羅漢寺の獏王とは全く異なっています。
次に9眼ある獣類から調べ直してみると、江戸時代の妖怪の大家である鳥山石燕の『今昔百鬼拾遺』に白澤が出て来ます。
9眼で体に角が生えているところは獏王像の特徴を備えていますが、どうもぼってりとした牛のような体型がドンピシャ(死語?)とはいきません。
しかし獏王像をもう一度見直してみると、四脚ともに牛のような蹄が彫られていることに気づきました。
ならば獏王像は、痩せた人面牛身の白澤ということになるのですが・・
しかし『和漢三才図会』の獅子のような白澤の存在、また9眼の「9」という数字が一体何処から出て来たのか、謎は深まるばかりです。