参拝者が来ない焦りはわかるのですが、若い経営コンサル住職は、そこから方向転換して「金運」に寺院の生き残りを賭けたと公言しています。
七福神や聖天など「金運」も含めて現世利益を叶える神仏はおられますが、さすがに長福寿寺ご本尊、極楽浄土を約束する阿弥陀如来では難しいのかと思ったのでしょう。
「吉ゾウ君」を金銭守護神に見立てる暴挙に出たわけです。
そして「幸せのおすそわけボード」なるものに、「お陰様で宝くじが当たりました」的なコメントを書かせるに至っては詐欺の領分ではないかと驚愕を禁じ得ませんでした。
各々字体が似ていて「やらせ疑惑」をも想起させるコメントに、邪鬼である私と美月でさえ呆れ返ってしまいました。
その上、口コミで「吉ゾウ君」の足に触ると金運が増大すると宣伝したのか、冷たいコンクリートの足を有難く撫でて祈願する欲呆け人間が列を作る始末です。
更には高額の金運財布や宝くじ入れなど霊感商法紛いのグッズ販売を始めました。
宝くじが当たる寺と軽薄なテレビ番組にも紹介され、ますます住職は本業を離れて金儲けに邁進して行きます。
そしてついには金色に輝く象を門前に設えるに至っては開いた口が塞がりません。
確かに人間はお金に弱いかもしれません。
寺院に人が来てくれない現実はわかりますが、人々の射幸心を煽って金儲けで集客するのが天台宗寺院の教えなのでしょうか?
「小欲知足」を旨とする仏教が、どの宗派であっても、このような新興宗教が如き愚かさを許していいのかと憤ってしまいます。
長福寿寺の片隅で忘れ去られた阿弥陀如来はこの有り様に涙を流されておられました。
ああ、末法なり。
これが仏教の現実であるならば、最早、破門すべきではないかと天台宗にご忠告申し上げたい次第です。
さて本題に戻りますが、長福寿寺には元三大師堂があり、護符はありませんでしたがお守りが金運財布に混じって授与、否、ここまで来ると販売されていたと言うべきでしょう。
さすがに悪名高い元三慈恵大師良源も、この地獄絵図にあっては辛うじて救世主に見えました。
本当に残念な事実です。