人間万事塞翁が馬(随筆)【22】花見の賑わいを避けて | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

先週末は関東地方も桜が満開で大変な人出だったのではなかったかと思います。

年を取ると、上野公園や千鳥ヶ淵など花見の賑わいは心身ともに辛く、建長寺と鶴岡八幡宮を除けば意外と花見の喧騒が少ない鎌倉の寺社を巡りました。

昨年末、大喧嘩したために、独りで訪れてしまった浄智寺の布袋尊を美月と一緒に見たかったのも大きな理由です。

鎌倉五山第四位の臨済宗浄智寺ですが、鎌倉七福神でもご紹介したこの布袋尊には、どこか私と美月に共通する底意地の悪さを感じずにはいられません。

おそらく私達はこのような表情をして周囲の人々を観察しているのだろうと思います。

臨済宗と言えば看話禅(かんなぜん)ですが、まるで難しい公案(禅宗における問答)を参拝者に突きつけているような表情にも感じられます。

看話禅とは比べられない下世話な問答ですが、昨年、私独りで布袋尊と対面した際、「お前はこのまま美月と別れて良しとするのか?」と問われたようで気になっていました。

その公案の答えとして、再び今回美月と布袋尊を参拝したのかもしれません。

「愚か者め、気づくのが遅すぎるわ」と布袋尊に叱られつつも、「まあ、人間などその程度の生き物だ」と暴悪大笑面の如く笑って許された次第です。

そんなわけで私も美月も布袋尊と大の仲良しになりました。

これほど人間に対して問いかけて来る石仏は他にないと思います。

さて金寶宝山浄智寺を後にして新居山円応寺(鎌倉十三仏巡礼中)へ向かう途中、特別拝観している臨済宗宝亀山長寿寺の前を通りました。

普段は中へ入れないので予定を変更して拝観させて頂くことにしました。

ずいぶんと寺院は参詣して来ましたが、改めて禅寺庭園の美しさに圧倒されました。

知らないと言うことは恐ろしいもので、還暦を過ぎたからこそ、禅寺の繊細な心配りを初心者なりに理解出来たのではないかと思います。

どの宗派にも掛け替えのない素晴らしいさがあります。

日蓮は四箇格言で他宗を邪宗だと徹底的に排撃しましたが、自己中心的な偏執的人間であったがために、多様性の受容を拒ませてしまったのだと考えています。

これからは宗派の好き嫌いや偏見は避けて、多様性、即ちその宗派が究極的に有する価値観をしっかりと学んで行きたいと思います。

さて最後に・・長寿寺の聖観音菩薩は庭園の美しさを超越してひっそりとおわしました。

感謝、そして合掌。