もう少し伊八のことを書くことにしましょう。
最近は足を運べていないのですが、私と美月はここ10年ほど、週末の半分を千葉県長生郡一宮は東浪見(とらみ)にあるリゾートホテルで過ごしてきました。
その東浪見から近い、いすみ市岬町に明王山飯縄寺(いづなでら)があります。
住職に伺うと、外房の海辺にある寺ですが、昔は江戸から房総半島を船で周回して参拝遊山に来た人も多く大変賑わっていたそうです。
寺の敷石は贅沢にも伊豆から運んで来たもので、それが完璧な結界を成しているとご住職は鼻息荒く説明してくれました。
結界については私も美月も良くわからなかったのですが、飯縄山に端を発する山岳信仰の飯縄権現を祀る寺であることは確かなようでした。
飯縄信仰は天狗やキツネを使役する呪法を主とするのですが、同千葉県の鹿野山神野寺、東京の高尾山薬王院、日光山輪王寺で今も熱心に信仰されているそうです。
後に「仏像を訪ねて」シリーズで書きたいと思っているのですが、キツネはもちろん、イノシシ、孔雀、象、獅子等に乗る仏は実に興味深いテーマです。
さて、この飯縄寺にも初代伊八が数年滞在して彫り上げた「牛若丸と大天狗」という彫刻が残されています。
本堂の正面に位置する立派な彫刻なのですが、いすみ市観光ポータルサイトが喧伝する「伊八の最高傑作」とはどうしても思われませんでした。
否、そもそも伊八自体が何故全国区にならないのか、葛飾柴又にある日蓮宗の経栄山題経寺、俗称「柴又帝釈天」を訪れてわかりました。
これには美月と驚愕しました。
この柴又帝釈天の彫像群を初めて見た時、実は四代目伊八も彫っているのですが、千葉では高名な伊八も、全国レベルで見ればただの一職人に過ぎなかったのかと落胆しました。
残念ながら上には上があるものです。
懸命に千葉が盛り上げる伊八ですが、芸術は個人の心に映るものなのですから、天才とか傑作とか大袈裟に評するのは止めて、見る人の心へ静かに問えば良いのかと思います。
さて伊八の話で本題の元三大師から逸れてしまいましたが、悪口を言いながらも行元寺は元三大師をお祀りする立派な天台宗寺院です。
行元寺が鎮座する丘陵の下には、とても愛らしい早春に咲く桜(河津桜か識別出来ず)が植えられていて、当時は寺院よりもこちらが目当てで通っていました。
久しぶりに画像を見ると、美月もまだ若く、薄桃色の桜より美しかったかと改めて惚れ直してしまいそうです。
それが今では姥・・まあ、お互い様なので止めておきましょう。
本堂へ伺ってみると間違いなく元三大師が祀られていました。
比叡山から遠く離れたこの土地で、元三大師良源が信心されてきた事実に、改めて宗教の不思議さを感ぜずにはいられませんでした。
天照大神にしてもお釈迦様にしても、日蓮大聖人にしても、本人を知らない人からすれば、それを説く人々が大切なのであって、神でも仏でも対象は何でも良かったのでしょう。
日本人の曖昧さ・・時に嫌われることもありますが、私は逆に自由で大好きです。
さて、また本題から外れてしまいましたが、行元寺には角大師と豆大師の護符が各大小2種類ずつありました。
おそらく行元寺が所有する版木から刷って、それを大小コピーしているものと考えます。
伊八より角大師を売りにすべきでは?
う~ん、やはり参詣者は集まらないでしょうね。
逆に誰もが振り向かないからこそ、こうして私は角大師に惚れ込んでしまったのかもしれません。