仏像を訪ねて(一)【3】鬼子母神No.4 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

美月の水騒動に端を発した大山巡礼を挟んで久しぶりとなりますが、鬼子母神の最終章を書いて行くことにします。

鬼子母神信仰は江戸時代初期、日蓮宗日遠上人の『祈祷瓶水抄』という祈祷解説書から、一切の鬼神を子とする鬼子母神が本宗祈祷の本尊と定められて発展することになります。

これは私見ですが、初期日蓮宗は庶民の利益を叶えるビジュアルに欠陥がありました。

真言宗や天台宗では、如来・菩薩・明王・天部など仏像オールスターズが勢揃いしており、護摩祈祷等で庶民の願い(厄除開運・家内安全・当病平癒等)に応えて来ました。

ところが初期日蓮宗はその点が貧弱で、ご本尊は文字で書かれた大曼荼羅、ご尊格としては日蓮大聖人人形、釈迦如来像、せいぜい護法の四天王像ぐらいという質素さです。

寺院自体も実に簡素で他宗で見られるような集客・集金の宣伝はほとんど見られません。

これは鎌倉七福神の寿老人を担当する日蓮宗妙隆寺ですが、法華経信仰を第一義にする性格上から、庶民の具体的な現世利益を叶えるコマーシャル(幟旗等)はほとんどありません。

そこが日蓮宗の良いところでもあるのですが、おそらく庶民の下世話な信心に応えるために、祈祷としての鬼子母神や妙見信仰を整備したのだと推測しています。

それでも「一番簡素な宗派は?」と問われれば日蓮宗は第二位で、真宗が第三位(質素ですが建物が大きい)、やはり第一位は時宗でしょう。

この画像は鎌倉にある時宗別願寺ですが、一遍上人が捨て聖と呼ばれた伝統を受け継いでいるのか、実にこざっぱりとし過ぎていて趣味の巡礼者には捉えどころがありません。

さて、最後に江戸三大鬼子母神に触れておきましょう。

上野入谷の真源寺、千葉中山法華経寺、東京雑司が谷の法明寺です。

「恐れ入谷の鬼子母神」という地口(江戸時代に流行った軽口・ダジャレ)があります。

太田南畝の作とも言われていますが、これこそが関東で鬼子母神の認知度を今日まで高めて来た原典であったことに異論はないでしょう。

この「恐れ入谷の鬼子母神」は、台東区下谷にある法華宗本門流真源寺のことで、入谷の朝顔市が開かれることでも有名な寺院です。

私と美月が真源寺を参詣したのは2021年1月30日でしたが、残念ながら鬼子母神の絵馬や護符はなかったように記憶しています。

次に、京成本線中山駅に近い日蓮宗本山法華経寺の鬼子母神です。

法華経寺は日蓮の大壇越であった中老僧日常上人(富木常忍)が開山した寺院で、中山門流という日蓮宗における宗派の中心的な本山になっています。

六老僧の日朗上人好きな私からすると、破廉恥な中山法華経寺事件を起こしたり、右翼ヤクザが宗務総長を務めていたりと兎角問題がある寺院なので日蓮宗関連寺院で再筆します。

そして最後は、豊島区南池袋にある日蓮宗法明寺の飛地境内となっている雑司ヶ谷の鬼子母神堂になります。

2020年6月21日に参詣した法明寺は、1312年に中老僧の日源上人が改宗した寺院で、繁華街の池袋近くにありながら、その歴史、風格ともに実に堂々たるものがありました。

その扁額を見れば、鬼子母神の「鬼」の上部に点がなく、邪神から善神へと変じて、角が消えたことを表しているとされています。

その法明寺鬼子母神の絵馬ですが、お洒落な屋根型の木材素地に、色鮮やかな朱色でザクロが描かれており、1万円支払っても欲しくなる美的センスが見て取れます。

さて、ハーリティ→訶利帝(母)→鬼子母神への変遷を辿って来ましたが、ご尊格もその時代時代に合わせて変化していくことを知りました。

神仏に永遠を求めながらも、情報が溢れる現世においては、それが人の生と同じく移ろい漂うものであることが証明されてしまう結果となりました。

廃仏毀釈にしても・・首を落とされた地蔵菩薩を見て、前回書いた「バターン死の行進」を想起せずにはいられません。

人間はいつも付和雷同です。