元三大師関連寺院(一)【1】東叡山寛永寺(東京都台東区上野桜木)No.5 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

2022年9月3日、元三慈恵大師御降誕の日、再度上野寛永寺両大師を訪れました。

癌患者とは言え生来の無信心ですから、10時からの「結願大護摩祈祷」参列も、角大師が描かれた「角大師特別祈祷札」を授与頂くのが目当てです。

不純な動機であるとしても、間違いなく深刻な前立腺癌であることは事実なので、「当病平癒」を願意として護摩祈祷を初体験させて頂くこととしました。

開山堂には30名ばかりの老若男女が、顔見知りなのかガヤガヤと雑談していました。

すると十名ほどの僧侶が入場して大護摩祈祷が始まりました。

護摩は二壇で焚き、経典をアコーディオンのように流し読みする大般若転読、そして最後は檀家・信者も一体となっての般若心経大合唱です。

私は般若心経も覚えていないので、モゴモゴと適当に口を動かしながら周囲の人達を観察していました。

若い女性が多いのに驚きました。

半袈裟を纏って立派な念珠を持ち、僧侶達と一緒に般若心経を真剣に唱えています。

滑稽な角大師に何を祈っているのかと呆れつつも、背中を丸めて手を合わせる懸命な女性の後ろ姿に、言葉に表すことが出来ない感動を覚えました。

猛省させられました。

「信心」など神社のお御籤程度に考えていたのですが、これほど「願意」を叶えるために真剣に祈る人々がいることを初めて知ったからです。

御祈祷が終わって元三慈恵大師御真影(No.2参照)を間近で奉拝しました。

(東叡山寛永寺ホームページより)

現物はお顔も判断するのが難しいほど煤けていましたが、慈眼大師天海大僧正が江戸時代初期に三重県の西来寺から拝借して返さなかった曰く付きの御真影です。

これは比叡山首楞厳院に祀られてきた元三慈恵大師の御影軸の中でも、とりわけ権威があり最も古く由緒正しきものと伝わっています。

1571年(元亀2年)の織田信長による比叡山焼き討ちの際にも、かろうじて山外に持ち出されて難をまぬがれ、流転の末に伊勢の西来寺に保管されていたそうです。

天海大僧正はこれに目をつけ、三代将軍家光の若君の出産時、その安産祈祷のためにと言う口実で伊勢藩主藤堂高次を介して西来寺に圧力をかけて無理矢理借り出しました。

その後、返還することなくいざこざが続いたようですが、慈眼大師天海大僧正がどうしても欲しかった元三慈恵大師御真影に有難く手を合わさせて頂きました。

さて東叡山寛永寺の近況ですが、2023年9月23日に訪れた際、季節限定の大判御朱印2種を発見しました。

まずは定型3種の御朱印からご覧下さい。

各寺社かいろいろと御朱印も工夫を凝らしている昨今とは思えない無骨さです。

絵馬もご覧下さい。

信仰を第一にするのも大切ですが、御朱印集めや寺社巡りがブームとなっている現在、これでは仏教信心への間口を閉ざしているのも同然ではないでしょうか?

そこにやっと気づいたのか、新しく限定版で授与する御朱印はなかなか凝っています。

特に後者は、スキャンしたため黒っぽくなってしまいましたが、深紅の紅葉を配した切り絵となっていて秀逸な出来映えです。

以上で【1】東叡山寛永寺の巻は終わりですが、まだ欲しくて手に入らない角大師グッズが一つあります。

それはのぼり旗です。

以前、両大師の僧侶に、「この旗を家に持って帰りたいから譲って欲しい」とお願いしたのですが、「けしからん」と一喝されてしまいました。

いつか必ず・・寛永寺両大師の僧侶の皆様、戸締りは厳重にしておいて下さい。