元三大師研究(一)【1】元三慈恵大師変化三態 角大師 | 遊行聖の寺社巡り三昧                            Yugyohijiri no Jishameguri Zanmai

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元三慈恵大師(角・鬼・豆)関連グッズと良源研究、オモシロ絵馬、仏像鑑賞、日蓮大聖人像、一遍上人像、キリスト看板、自作官能小説、随筆等々、蒐集したコレクションを常設展示します。当ブログは『豆々朗師のオモシロ寺社巡り』のリメイク版になります。

そもそも元三慈恵大師(良源)と言う高僧は如何なる人物であったのでしょうか?

(角大師1)

第18世天台座主、延暦寺中興の祖、朝廷が慈恵(大師)の諡号を賜った等、その生涯には決まり文句の美辞麗句が並んでいます。

『慈恵大僧正伝』『同拾遺伝』『慈恵大師御遺告』などの古文書や、周辺の歴史資料、後世の研究書などから、その生涯と功績については定型の元三慈恵大師像が完成しています。

平安時代に藤原家と結びつくことで、財力と権勢を誇る尋常でない出世を果たし、荒廃した比叡山延暦寺を再興したという宗教家らしからぬ人物像です。

宗教人としての異質さが奇妙な信仰を生み出したのでしょうか?

後世、天台宗における厄除大師(角大師・鬼大師・豆大師)として、高僧としては相応しくないお姿で庶民の信仰を集める宿命を負わされることになります。

(角大師2)

真言宗の寺院を巡れば、その厄除大師である空海、即ち弘法大師は、実に立派な巡礼姿の銅像で奉拝者を迎え入れています。

ところが元三慈恵大師は・・何故こんなお姿に変化しなければならなかったのか・・その由来は図示した寛永寺両大師角大師絵馬の説明書きに記載されています。

「平安の昔、疫病が流行った時のことです。ある風雨が鳴り止まぬ夜、疫病神が慈恵大師の前に現れ、「お前も罹らねばならぬ」と小指にとりつきました。大師はたちまち発熱しましたが、少しも驚かず、禅定に入って心を整え、おもむろに小指を弾きました。すると疫病神がころがり出て、熱も下がりました。早速大師はその時の姿を弟子に写させ、版木に彫り「お札」を刷らせました。そしてこのお札を家々の戸口に貼らせると、その家の者は疫病に罹らず、又罹った者はすぐに快方に向かったのです。このお札の大師のお姿は何と角の長い魔物のかたちをしておりました。以来このお札は角大師と呼ばれ、厄除大師として広く信仰を集めて来ました」

埼玉県川越市にある喜多院のHPに貼られた画像がわかり易いのですが、疫病神と鏡に写った角大師の姿が見て取れます。

(角大師3)

江戸時代初期、徳川家康の側近であった天海大僧正は元三慈恵大師を崇拝しており、上野寛永寺や日光輪王寺、川越喜多院等の天海開山大寺院は角大師護符を今も授与しています。

この護符を玄関に貼ると、疫病は元より、盗難や厄難、火難から家を守れると全国で大流行することになりました。

(角大師4)

これは埼玉県小川町にある古い民家の玄関で見つけたのですが、こちらにお住いの方も各地で多種多様の角大師護符を集めたのだと想像出来ます。

そもそも縁起自体も凄い話ですが、夜叉を模した角大師のお姿はどう考えても昆虫(バッタ)の類にしか見えません。

この触覚のような長い角ですが、これは長い眉毛が変化したものと言われています。

そして江戸時代の杉田玄白・前野良沢が著した『解体新書』を遥かに遡る時代に、肋骨と肺、臓器が描かれているのには驚かされます。

『仮面ライダー』のショッカー戦闘員は角大師のパクリではないかと疑ってしまいます。

アマビエと並ぶ疫病退散の霊力を持つ角大師ですが、残念ながら一部地域を除いてコロナ禍にあっても全国区になることはありませんでした。

この怖いお姿では仕方がないと思います。

真に不可思議・・この後、「大師関連寺院」でご紹介していきますが、元三慈恵大師マニアにとってこの異形こそが偏執的な信心へと昇華して行くことになります。