岩手の冬の今ごろは、ヴィヴァルディー四季の「冬」第三楽章のような趣です。
去り行くものの不安定で、何処もかしこも内部から崩壊する軋みのような響…。すくみ抗がいつつも連れ去られようとしているかのような冬…。
ちょうどリヒァルト・シュトラウスの四つの最後の歌「九月」の中で、『庭は悲しみに暮れ…夏は身震いする』或いは『夏は驚いて力なく』とヘッセが詩いますが、季節の変わり目のなんと劇的な事でしょう。
もう少しすれば冬は話題にすら上らなくなるでしょう。
春を待つ、何処か心に余裕すらあるようなこの今、アンニュイだった冬を思い出して、ひとつ見事な萩原朔太郎の、与謝蕪村についての評論(オマージユ)を写してみたいと思います。

【郷愁の詩人・与謝蕪村】
冬の部
凧きのふの空の有りどころ
( いかのぼり)
北風の吹く冬の空に、凧が一つ揚がって居る。
その同じ冬の空に、昨日もまた凧が揚がって居た。蕭條とした冬の季節。
凍った鈍い日ざしの中を、悲しく叫んで吹きまく風。硝子のやうに冷たい青空。
その青空の上に浮かんで昨日も今日も、さびしい一つの凧が揚がって居る。
飄々として唸りながら、無限に高く、穹窿の上で悲しみながら、いつも一つの遠い追憶が漂つて居る。
この句の持つ詩情の中には、蕪村の最も蕪村らしい郷愁とロマネスクが現はれて居る。
「きのふの空の有りどころ」といふ言葉の深い情感に、すべての詩的内容が含まれて居ることに注意せよ。「きのふの空」は既に「けふの空」ではない。しかもそのちがった空に、いつも一つの同じ凧が揚がって居る。
即ち言へば、常に變化する空間、経過の中で、ただ一つの凧(追憶へのイメージ)だけが、不断に悲しく寂しげに、穹窿の上に實在して居るのである。
かうした見方からして、この句は蕪村俳句のモチーフを表出した哲学的標句として、芭蕉の有名な「古池や」と對立すべきものであらう。
尚「きのふの空の有りどころ」といふ如き語法が、全く近代西洋の詩と共通するシンボリズムの技巧であって、過去の日本文学に例のない異色のものであることに注意せよ。
蕪村の不思議は、外国と交通のない江戸時代の日本に生まれて、今日の詩人と同じやうな欧風抒情詩の手法を持って居たといふことにある。
朔太郎の文章の書き写しは比較的楽ですね。
さて冬の部を取り上げたのですが、蕪村が今日の詩人と同じやうな「欧風抒情詩の手法を持って居た」ということですが、確かに美しい欧風抒情詩のような句があります。夏の部のものですが挙げてみたいと思います。
愁ひつつ岡に登れば花茨
「愁ひつつ」といふ言葉に、無限の詩情がふくまれて居る。無論現實的の憂愁ではなく、青空に漂う雲のやうな、また何かの旅愁のやうな遠い眺望への視野を持った、心の茫漠とした愁ひである。
そして野道の丘に咲いた、花茨の白く可憐な野生の姿が、主観の情愁に對象されてる。
西洋詩に見るやうな詩境である。気宇が大きく、しかも無限の抒情味に溢れている。
萩原朔太郎・郷愁の詩人与謝蕪村から
今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日
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