知られざる比類なきボワイヤン宮沢賢治 | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 31年の軌跡

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私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して30年経過しました。




ボワイヤン(Voyant)はフランス語です。
見者や幻視者などと訳されます。

我が国では小林秀雄の影響もあって、世界最大のボワイヤンは、アルチュール・ランボーであると、広く信じられています。

確かにランボーの詩、「酩酊舟」のリアルなダイナミックさは、実際にその幻を見た者でなければ書けなかったと思えます。
それは人間の知る現実の海洋を遥かに抽象し、さらに大きく深淵な海洋を読む者に提示します。

『Aは黒  Eは白  Iは  Uは  Oはで語り始められる、ランボーをランボーたらしめた詩作品「母音」の強烈さは、読者を空前絶後の世界に誘うものです。素晴らしい!

宮沢賢治は長い間童話作家だと言われてきました。
確かに賢治は自身の作品を童話と言っていますが、彼は「大人はだめだから」と、アドレッセンス中葉に向けて書いたと言っています。

『それは少年少女期の終わりごろから、アドレッセンス中葉に対する一つの文学としての形式をとっている。
そこではあらゆることが可能である。
人は一瞬にして氷雲の上に飛躍し、大循環の風を従えて北に旅することもあれば、赤い花杯の下を行く蟻と語ることもできる。
罪やかなしみでさえそこではきれいに輝いている。』『注文の多い料理店』新刊案内   宮沢賢治

アドレッセンス中葉とは、13歳から16歳くらいの思春期の事ですが、賢治は狭義のそれにとらわれず、精神が生活に馴化されていない若人に向けて作品を書いたのです。ですから一般に誤解されているような、幼児向けの童話を書いたという訳ではないのです。



ボワイヤンの意味は、賢治研究者の板谷栄城氏によれば、「それは普通の人が感じることのできない美しさを感じ、思うことのできない悲しさを思い、見ることのできない不思議を見るという、天与の特別優れた感性」です。

板谷氏は東京のご出身ですが、賢治の盛岡高等農林(現岩手大学農学部)を卒業して賢治の後輩となり、岩手の人となりました。
私の友人は高校時代(二戸福岡高校)板谷氏の化学授業を受けたそうです。

板谷氏には「宮沢賢治の宝石箱」や「宮沢賢治と化学」など、賢治に関する多数の著作があります。

板谷氏はさらに次のように続けます。
「フランスの詩人ランボーはその代表的な一人です。しかし、ランボーをして彼を遥かに凌駕するのが賢治である」・・・と。





「早熟な天才以上なもの、すなはち人の世にあらはれた最も純粋な〈魂〉そのものだった。かういう〈魂〉がいかにして人間世界を生き抜いたか、それこそ怖しいドラマである」

これは三島由紀夫が、ランボーを評して書いたものですが、宮沢賢治のことだと言っても怪しむ人はいないでしょう。

アルチュール・ランボーも宮沢賢治も共に「共感覚」の持ち主でした。「共感覚」というのは、通常の感覚のほかに、それとは異なる感覚を合わせ持つもので、文字に色、音に色、形に味を感じたりするものです。

二人は共に37歳で病没しました。
ランボーは右膝を原発部位とする骨肉腫に
より、右足切断も空しくマルセイユの病院にて。
賢治は肺結核による急性肺炎で、花巻の実家で家族に看取られ永眠しました。






今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日




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