
文藝春秋2015年2月号
宇江佐真理氏は「髪結い伊三次捕物余話」シリーズ(総数百万部超)で知られる、女流人気時代小説作家である。
2011年、股関節の不調から始まり、2013年紆余曲折を辿りながら乳ガンと診断された。既に体全体にガンが散らばっていたため手術ができず、分子標的薬のハーセプチンなどを用いる治療のため、同年5月に入院した。
この闘病記は、さすがに実力派女流作家の手になるもので、他に類例を見ないものである。私は敬服した。
特に世の中の迷妄として、過大に評価されている分子標的薬の実態を明らかにしていて、後に続く者への大きな遺産であると思える。
私は末期ガン患者の質の高いQOLと完全治癒を目指して【ミルクケア】というCancer treatment laboを主宰しているが、常々分子標的薬には疑念を抱いていた。
いつもそうだが華々しく登場する抗がん剤は結果的に、弱っているガン重症患者をさらに弱らせ、絶望の淵に追いやるものだ。
彼女は分子標的薬も抗がん剤だと喝破している。病を負ったことのない医師や評論家の浅薄な理論ではなく、身をもって体験した事のみを言っている。
医師の間でさえ重症患者への抗がん剤治療は、多くは患者を治療による不可逆的回復困難に追いやるものであると、公然の秘密として暗黙の裡に認知されている。
残念ながら彼女は、このリポートを文藝春秋誌上に発表してから、8ヶ月後の2015年10月に逝去されたが、極めて秀逸なガン闘病記として、多くのブロガー諸氏に(ガンに罹患していなくとも)一読される事をお薦めしたいと思う。
ただ私として惜しむらくは、本リポートの中にも言及されている、近藤誠医師の提唱される無治療よりも、何でもよいから民間療法を選択していただけていたらと、非常に無念に感じている。民間療法でもよい成績を上げているものもあるのだから。
またそれがどんなに荒唐無稽に見えようとも、たとえ一縷にすがっているように思えようとも、人は希望に繋がっている事が最も大切なのだと思える。
ほんの少し前、美しく可憐な女優が、機織りの鶴のように痩せ細って亡くなられたが、あの金の棒は自らを合理的世界に限定しがちな私たちに暗示として、美しい鶴が身をもって遺してくれた尊い贈り物だと思う。
宇江佐真理氏の文芸作品群は、人類史の中で現在、無表情な車輪のごとく進行中の、流行的合理性思考の疲弊した生活ではなく、もっと別の潤いに満ちた世界の存在を指し示しているはずであると思えるが、ブロガー諸氏におかれては如何であろうか。
宇江佐真理氏のご冥福を心より願う。
氏を悼み『私の乳ガンリポート』を、風の中に鳥の啼く青草の草原に置かせていただいた。
今日の話しは昨日の続き今日の続きはまた明日
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