文藝春秋2015年2月号
文藝春秋2015年2月号「私の乳ガンリポート」の冒頭部分
宇江佐真理氏の名前の左側に「死ぬことは怖くないけれど、ただ訳もなく寂しい」とある。
この時宇江佐真理氏は63歳だった。
「死ぬことは怖くないけれど」
私は現在66歳だからなんとなくわかる気がする。
巨大な摂理のようなもの、ここでは死であるが、そのようなものを受け入れようとする自分がいる。
これは達観とか円熟とか言うものとは違い、例えてみれば年を経る事によって、私の意思に関係なく、ある受容器官ができていた様なものだ。皮膚のシワや色素沈着のように・・・。
やはり闘争心が薄れてきているのだろうか?。
最近はつくづく思うのだが、38歳で「縦隔原発、性腺外胚細胞性腫瘍、非セミノーマ」に罹患したときの私は闘争心に溢れていた。「死は怖くない」などという感慨や慨嘆などはさらさらなく、どうしたら生きられるかという、ただ闇雲な能動性があっただけだった。
今更のようだがこれは尊い。若い人の「闇雲な能動性」は、まるで神韻縹渺としたギリシャ彫刻のように老いたる者の胸を打つ。
華曼草
東京大学胸部外科のデータ
上の図は悪性縦隔腫瘍の分類と生存期間のデータである。
上段1~6は Seminomaの例で、29年前の当時でも多く完全治癒を望める予後の良い悪性縦隔腫瘍のタイプだ。
ツール・ド・フランスのマイヨジョーヌにして7連覇の英雄、ランス・アームストロングの罹患したガンはこの Seminomaだった。(マイブログ、ツール・ド・フランスとガンⅠ~Ⅲをご覧いただければ幸いです。)
また爆笑問題の田中氏もこの Seminomaで
このタイプの5年生存率は現在90%をこえている。
しかし私の悪性縦隔腫瘍は、
非Seminomaで12例は1年未満で全滅、
13例目の yolk.sacはシスプラチンを中心とする多剤投与で3ヶ月観察中とあるが、当時は絶望的であったと思われる。
事実岩手医大第三外科の私の主治医によれば、私の少し前に非Seminomaの患者を治療したが、多剤投与の抗がん剤も空しく助けることは叶わなかったと聞いた。
またこの当時はインフォームドコンセントによる告知は当然のことながら行われていなかった。
だから私もはじめはそうだったが、医師はSeminomaのデータを見せて患者を励ましながら、空しい抗がん剤治療をするしかなかった。
ここでブロガー諸氏にお聞きしてみたい。
この非Seminomaのデータを見せられて、諸氏は13人のように病院の『標準治療』をお受けになられるだろうか。
Bleeding heart
また氏は「ただ訳もなく寂しい」と言っている。
余命宣告を受けたとき多くの患者は離人症といって、取り巻く世界が遠ざかって小さく見えるものだ。
錯覚するのではなく、実際に視覚的にそう見える。
そして気分は寂寥感でいっぱいになる。それは訳もなく寂しく、このままこの寂しさが輪廻の果てまで続くのかと思えて悲しくなる。
この寂寥は感情だけではなく、「夕暮れの幽けく淋しい松林」の白昼夢として視覚化され、私は生から疎外されていることを感じるのだった。
ガンは悲しく寂しくまた同病でありながら
互いに共通の分母を持つことの叶わぬ真に孤独な病だと言おうか。
今日の話しは昨日の続き今日の続きはまた明日
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