そのころ根岸の坂下公園は沢山の子供たちの歓声に満ち溢れていました。
私が小学二年の時、いつものように公園の周りに生えているヒマラヤシーダーの木で遊んでいると、1台のステーションワゴンが入ってきました。
運転しているのは若い外人さんで他の2人の内、1人は日本人でした。
3人は車から荷物を降ろすと、ヒマラヤシーダーの前に並べ始めました。
ひとつは十字架でシーダーの幹に立て掛けられました。
最初集まっていた子供たちの多くはそれを見るとなぜか避けようとするように向こうに行ってしまいました。
次に大きな長い筒の中から太い巻物のようなものを取り出すと、大切そうに2人でシーダーの反った枝の下に運びました。
布団を干すときのように木の枝に掛けるのだと思ったので下手だな~と心の中で笑いました。シーダーの枝が反っているので巻物の絵も斜めになって、首をかしげて見なければならないと思ったからです。
そんなことをしなければならないのなら、初めから屏風の絵にすればシーダーの幹に立て掛けることができたのにと思いました。
私の布団の枕元には二曲の枕屏風があり、両面にはそれぞれ美人画と山水画が貼られていて、絵というものには自然に馴染みがあったので容易に想像ができたのでした。
でもなぜか巻物を枝に掛ける様子がありません。どうするんだろうと思っていると、運転してきた若い外人さんがシーダーの枝に二本の紐を掛けました。そして巻物の上についていた右の金属の輪にその紐を結びました。さらに左の輪に紐を通すと、今まで巻物を持っていたもう1人の外人さんが、私たちの方にきたかと思うとくるりと向きを変えて何か指示をすると、巻物が水平になった所で紐を結びました。
私は驚嘆して唖然としてしまいました。
キリスト教の人ってこんなに頭がいいんだ!凄いと思いました。パウロがダマスコの途上で目からうろこが落ちたというそれ以上に、私も目から鱗が落ちたように感じました。
その絵は馬小屋の藁の上に敷かれた一枚の布の上で、産着にくるまれた幼子のイエスキリストに祝福を与えている、三人の賢者
の絵でした。
私はあまりに驚嘆してしまって後のことはまるで上の空になってしまい、お話が終わり巻物の絵を小さくしたカードを貰っても呆然としていました。大袈裟なようですがその日、どのように家に帰ったのか覚えていないほどでした。
しばらくして小学校の近くにある教会の日曜学校に、意を決して一人で行きました。
誰も一緒に行くものがいなかったからです。その日母親に抱かれてきた赤ちゃんをのぞけば私が一番小さな訪問者でした。
それから約60年になります。
私がキリスト教から教わったのはあらゆる宗教の根本は愛であって、宗教や宗派の違いは、あたかもあの時の外人さんの髪の毛の色が金色や茶色だったように、各宗教の違いはバリエーションの違いだけだということでした。私は日本人というバリエーションの中で産まれ育ったので、宗教的感性も日本的で、さらにいえば禅的だと思いますが、禅の中から湧き出るものもまた「愛」のみだと思っています。様々な宗教の教義や形式の相違は愛すべき相違だと思います。
私はキリスト教から愛の普遍性を教わりました。
メリークリスマス!
今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日
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