気づかい | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 31年の軌跡

白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 31年の軌跡

私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して30年経過しました。




私が医師から自分の本当の病名を告げられたのは、必ずしも医師の本意からではありませんでした。私が強く求めたからです。




私の初めてのブログ10月21日の「初めての違和感」に書いたその「違和感」は、完全に信頼していた医学と医師に、弱々しい破綻が透けて見えてしまったということだったのです。



人間は信じていることは真っ直ぐに惜しみなく伝えようとするものです。何かを逐次的に伝えようとするのは、相手の状況を見計らって自分の有利な時に、また有利な方向に誘導しようとするときです。

たとえそれが善意から出たものであっても、そんな方法は伝えようとする人間が伝えようとするものを心底信じていないからできることです。






私のガンが治るものなら医師はもっと力強く明確に状況を説明し、治療と治病の関係性を明瞭な論理で細かく解説してくれたことでしょう。
なぜならそれは医師としての喜びでもあるからです。また治ることを、治る過程を言葉で描写して客観的にすることは「人間」の本能的な行為だからです。

医師の私への説明は悉くそれらのことが欠けていると思いました。医師も医学も患者を前にして困惑しきっている姿が私にはありありと見えました。またそれは医師と医学が誠実さを失っていないという顕れでもあるように思いました。





私の主治医は私が背負った絶望的な状況を、できるなら一度にすべてを私に知らせずに、段階を経ながら示して行きたかったのだと思います。
確かに5年生存率ゼロ%、余命は良くて一年しかないという事実を告知して一体何になるでしょうか。
真実を告知して私がどれほど困惑し、悲嘆し、懊惱の果て絶望の淵に落ちていくかを考慮してくれたのでしょう。





この医師は以前私と同じような年回りの非セミノーマの患者を扱った経験がありました。
表の最下段13例目と同様の抗がん剤治療を施しましたが、血管壁からの出血など抗がん剤の重篤な副作用に苦しんだ末に帰らぬ人となられたと後に聞かせてくれました。

私も強く求めて告知されたものの「聞かなければよかった」と思いました。しかし聞かなければその青年のようになったことは明白でした。







私が冷厳な宣告を受けたことを聞いて、友人がある治療法の情報を持ってきてくれました。

その治療法の本を読んで見ると医学でなくてもガンは治るというのです。
そして写真入り実名で治病の体験談も多々載っているのでした。ガン患者には顔写真入りの体験談はどんな理論よりも力強いものだと身に沁みて感じました。




小腸造血による長期間の体液改善と、マッサージによる体内の体液循環の促進など、単純で漠然としたものでしたが私は好感を持ちました。

私は小腸造血よりも当時は「腸内細菌叢」と呼ばれていた【腸内フローラ】に強い関心がありました。
その【腸内フローラ】の有効性がこの治療法によって臨床的に証明されていたのです。


もうこの頃私は現代医学のガンに対する理論は、どこか視点が間違っていて、付随する様々な治療法はボタンのかけ違えのように、たとえ穴に入っても全体がひきつり歪んで、体を苦しめていると思うようになっていました。




また別の、ワクチンによる治療法があって医学的、論理的な整合性をもったものでした。しかしもうすでに私にはガン治療に限り、論理的であればあるほど的外れの場合がありうると思えるようになっていたので、その論理的整合性の故に受け入れることはできませんでした。 (本当にごめんなさい悪意はありません)。               

論理性などというものはものを概念化するには便利ですが、論理はものの一面であり論理がなければ立ち行かないものではありません。

人間は自分の心も体も完全に論理的把握をしなくても生きています。論理を至上のものとするのは、啓蒙時代から現代に至る「流行」だと思っています。論理以前に流行したのは「神々」でした。




私はその治療法を選択するにあたって、医師に相談はしませんでした。なぜならそのような一人の人間の生死を決するような重大な判断を、医師に担わせるのは卑怯だと思ったからです。それは侍のすることではないとも思ったのです。また反対された場合、挫けないとも限らないからでもありました。




私が抗がん剤を一回だけ受けたのは、医師の顔をたてたのではなく、私の家族のためと私の飽くなき好奇心のためでした。

もしこの荒唐無稽な治療法を選択して私が不運に見舞われたら、私の後悔よりも家族の無念の方がより深いと思ったからです。

たとえ一度でも人並みの抗がん剤治療をしておけば、家族も諦めがつくと思いました。

私の家族は私の選択した荒唐無稽とも思われるだろう治療法を無条件で受け入れてくれました。家族からすれば私はもう助からないと思ったからです。
私の自由にしてくれたお陰で今このブログを書くことができるのでした。





そして私にしても抗がん剤がどんなものか、せっかく体験できるチャンスですからこれを見逃すことはないと考えたのでした。ですから権威をもっていうことができるのですが、抗がん剤は現代医学の愚を表している毒薬です。                                        

確かにこの毒薬には一定の【効果】はあります。しかしながら人類はできるだけ早くこの毒薬を用いる脆弱な、愛の欠落した冷たい論理性の悪夢から覚めるべきです。



          

末筆ながら私の【窮状に共感】し、求めに応じて全ての情報を開示してくれた私の主治医S氏に、心からの謝意を表します。


              K2





【始めに人抗がん剤でガンを叩き、次に抗がん剤、抗がん剤を呼び、最後に抗がん剤人を叩く】




今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日





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