化血研亡霊の再来/ガンと血液製剤 | 白鳥碧のブログ 私のガン闘病記 31年の軌跡

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私が過去に体験したことや、日々感じたこと等を綴っていきます。
37歳の時に前縦隔原発性腺外胚細胞腫瘍非セミノーマに罹患しました。ステージⅢB
胸骨正中切開手術による腫瘍全摘、シスプラチン他の多剤投与後、ミルクケアを5年間実践して30年経過しました。


化血研は1980年代当時、ミドリ十字(株)と同じく、主に血友病患者に用いる血液凝固因子製剤を製造していました。
しかし化血研は当時の世界認識であるHIVウィルスを不活性化した安全な加熱製剤の製造をせず、患者の安全を無視したウィルス活性の非加熱製剤を製造販売し続けました。
その結果多くの血友病患者に対してHIVウィルス感染の原因を作っただけではなく、多数の血友病患者をエイズにより死亡させた被告として裁かれました。



また血液製剤は血友病患者だけではなく、一般的な外科手術の止血用としても用いられました。薬害エイズの感染者及び死亡者の中には、一般的な外科手術の患者も多数ありました。                                                            



私が【前縦隔原発-性腺外-胚細胞性腫瘍-非セミノーマ】による、9時間にわたる胸骨正中切開手術を受けたのは、1987年3月のことでした。
シスプラチンなどによる抗がん剤の多剤投与1クール5回を1回でやめて、当時も今も荒唐無稽と思われるであろう粉ミルクだけを飲む治療法を、真剣に続けて1年ほど経ったころこの事件が起きました。


                                                                                                                                             
私の余命は長くても一年ほどでしたが、この1年再発はありませんでした。天候によっては非常に体が重くなり「やっぱりダメだろうか」と思ったり、驚くほど快調で「治るかも知れないな」と思ったりの繰り返しでした。
そこへ追い討ちをかけるような事件だったのです。

                       
岩手医大の第三外科外来で1年前のことを確かめると、確かに私の手術では血液製剤が使われていました。もしHIVに感染していたら余りにも悲惨な運命だと思いました。






保健所では無料でHIV感染の有無を調べてくれるというので、検査をしてもらいに行きました。
検査結果が出るまでどのくらいの日数だったか覚えていませんが、化血研やミドリ十字の悪行には、人間の救いようの無さが現れているように思いました。




運良く私は感染していませんでした。
それから27年が過ぎました。

そしてふたたびあの忌まわしい亡霊が現れたのでした。亡霊として存在してきた彼らには、薬害エイズでHIV感染して現在も生存されている方々の苦しみや悲しみは決して分からないでしょう。

そしてエイズで亡くなられた多くの若い血友病患者さん達の【無念】も、血の通わない木石の如き彼らには永遠に理解することはできないでしょう。

内部告発をされた方に私は満腔の敬意を表します。



今日の話は昨日の続き今日の続きはまた明日



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