昔は「せっかん死」と報じられていた。 | 知らずに死ねぬ程のものではない

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元映画暴食家最近はロコドルイベント通いがメインで、カメコのはしくれ。引退しても渡辺麻友推し。映画は時々観ている。最近は小説に挑戦している。




今月28日。広島県安芸郡府中町という僕の家から車で20分程の場所で2012年に起こった小5女児虐待死事件に関して広島地裁は、被告である母親に対し懲役8年の判決を下した。

色々深刻な事情があったにせよ、殴られて嫌だった思いを娘にまで化して、殺してしまったことは非常に罪深い。

今回葛飾区で起こった2歳女児虐待死事件の場合は、もっと救い様がないなと思った。

逮捕された父親が子供を死なせたことへの反省どころか、「殴ったのは俺だけじゃない」と不満タラタラとのこと。

何云ってんだ、コイツ。

こういう虐待死報道を見たり読んだりする度、世も末、親の質も下がったな、と思ってしまうものだが、実は昔から虐待死事件はあった。

もっとも当時は「虐待」という単語はなく、「せっかん」が使われたのだが。

「せっかん」は漢字で書くと、「折檻」となる。

この単語は、今ではSM系アダルトビデオのタイトルぐらいしかお目にかからないな。

当時の家族は親と子の上下関係が厳しくて、親の思想を徹底的に叩き込むために子に対する「せっかん」という名の行為はあった。

現在の親には思想の欠片はなく、ただ現状の不満の捌け口を子への「虐待」で晴らしているだけ。

勿論昔もそういうクズみたいな親は存在していたし、現在の親にもしっかりした思想を持った者もいる。

昔が良かった、今が最低の問題ではないことは承知だ。

とにかくはっきりと云いたい事は、何にしても親が子供の命を奪うことはあってはならないということだ。