北のゴールドラッシュ2 | しらさぎ二郎のブログ

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写真、しらさぎ家のお料理、マンガ。この分野を中心に楽しくてタメになるブログを目指します。

 

 

 

 

 

第二次ゴールドラッシュ

 

それは紋別の八十士川(やそしかわ)から始まりました。

 

 

 

枝幸で砂金堀をしていた菅原栄之進は枝幸で金が

取れなくなると紋別で漁師をしていました。

ある時、八十士川の砂利が

枝幸の砂金地とよく似ていることに気が付いたので

ここに間違いなく砂金があると確信してどんどんと川を登り

ついに滝壺の堆積している砂金を見つける。

 

 

 

 

・・・とここまでは良いのですが

見つけた砂金は誰のもの?

 

その後鉱区の出願競争が始まります。

 

一攫千金を狙う荒くれ者の戦いです!

え〜っ  大変

 恐ろしいことになるね         そうです

 

第一発見者・菅原は彼の仕込み先の海産商と手を組み

この鉱区は自分たちが発見した

だから

我々のものだと主張する

 

それに対するのは地元の「紋別組」・「山県組」と呼ばれる地元グループ

もともと自分たちの土地だ、

よそ者が何を言うか!

 

 

八十士金山の産出量は枝幸砂金を凌ぐものであったため

鉱区出願抗争は大変な騒ぎになった。

 

 

明治43年3月、菅原と山県組の中村定三郎 それぞれに許可が降りた。

しかし鉱区が重複していたためまたもや争いが起こる

 

殺気立つ双方

 

 

現場の巡査は網走・湧別に応援を求め紋別分署長も現場に強行する

 

 

 

結局抗争は一年ほど続き

 

一件落着

 

 

その後、採掘現場は300名余りが入山して採掘していた。

しかし、次第に産出量が少なくなり住友総本社に砂鉱権を売却することになります

 

 

 

八十士騒動からこの騒動があってから8年後のこと。

 

住友鉱山が「鴻之舞金山」として稼行

 

当時東洋一の金鉱と言われ各地から人が集まり

一時は1万5千人もの人が生活していましたが時が経つにつれ

半世紀も経つと

 

お決まりの枯渇

 

 

昭和48年(1973)北の黄金郷として名を馳せたこの金山も閉山になりました。

 

 

それから歳月が流れ今では住んでいる人もなく今ではゴーストタウン状態。

 

 

 

 

 

 

 

この地で無念のまま亡くなった人たちの慰霊碑があります

 

 

碑文

鴻之舞鉱山において不慮の災害に遭い職に準じられた方々、

並びにこの鉱山に関係し物故された人たちの霊を

慰めるためにこの碑を建立する。

 

 

 

スタースタースター

 

 

東京から天塩に来た大学生二人がこの話を聞いて

きっとこの地で不慮の死をとげた者の霊が彷徨っているに違いない

心霊写真を撮って

インスタグラムに載せよう

 

 

しかし

鴻之舞までは遠いのではないか

地図を見てみると、

 

 

あれっ思ったより近い

 

じゃあ鴻之舞に行こう

 

 

すると

天塩のおじさんが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

そして

天塩から東へ東へ  八十士川へ

 

 

近いとは言ってなかったぞ

東に行きさえすれば海に出るそこから海沿いに南下すると

紋別までそこから・・・

 

 

やっと着いた

 

 

よしここから入ってみよう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すると突然

かすれた男の声がする

 

 

声のする方を見るとそこにはなんと・・・

 

 

 

 

え〜っアセアセ      

 

 

 

スタースタースター

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のお料理

パテ・ド・カンパーニュ

 

 

我が家のパテはブランデーたっぷりです

 

 

ご訪問ありがとうございました。

 

文、料理;しらさぎさちこ

イラスト;しらさぎさやか

写真;しらさぎ二郎