こんちは、私です。
ちょっと間が空いてしまいました。すみません。
その間に12月になりましたね。超寒いです。
布団から出られなくて遅刻寸前になりそうな人はいないですか?
いる?奇遇だな仲間だよ。
そしてもう年末の気配がしてきましたね。
神社だけでなく、普通の会社も年末決算やらで繁忙期となってることでしょう。
そういえば、初の令和の正月が始まるわけですね。
御朱印とかどえらいことになるんちゃうかな…
いただきに行く人は、必ずマナーを守って楽しくデュエル!!してください。
とりあえず例としては
・書き置きを手抜きとか言わない。神主さんも忙しいんです。
・墨書なしを手抜きとか言わない。伊勢の神宮と出雲大社に同じことが言えますか。
・御朱印くらいちょうどの小銭を用意しましょう。神様へのご奉納でお釣りもらうっていかがなのか。
・受付してる巫女さんに八つ当たりしない。モテないぞ!!
はい、みなさん守りましょうね!!
ということで本編いきます。ドン!!
鎮座地:滋賀県草津市青地町
御祭神:於知別命、天児屋根命
旧社格:国幣小社(延喜式)→郷社(明治)
御朱印:あり
近江国栗太郡鎮座と記されている式内社です。
古代豪族である小槻氏が祖神である於知別命を祀ったとされており、氏神系神社に分類されます。
於知別命は第11代垂仁天皇の皇子であり、神別一族ではありませんが、
元皇族の子孫(皇別氏族)として強い力を持っており、
かつては朝廷に采女(天皇、皇后の食事や身の回りの雑事をする女官)を輩出していました。
外拝殿です。式内社では定番ですね。
普段は壁のない吹きっさらしの形態なのですが、
正月前だからなのか垂れ幕がかかっています。
黒白なので鯨幕でしょうか。主に凶事で使われるイメージがありますが、
祝い事で紅白幕を使うのはかなり歴史的には最近のことで、
歴史ある神社、格式高い神社や皇族では行事の際に鯨幕を使うようです。
ちなみに、創建した小槻氏は皇別氏族「小槻山君」として郡司レベルの力を持っており、
その後、朝廷の太政官の中の役職である弁官局のトップである官務を務める一族として戻ってきます。
また、『日本三代実録』において「算博士 小槻山公今雄」や「主計算師 小槻山公有緒」といった感じで、
算道(算術を司る学科)の教授の任に就いていたため、
現在の小槻神社には算学のご利益を持ちます。
草津駅の近くにある小汐井神社とを神輿が巡っていたといいます。
現在は廃止されてるらしいです。
葉が枝分かれしてより植物ぽくなり、真ん中に三枚の葉がついた木ではなく蔓です。
この藤紋は「西六条藤」と呼ばれ、京都の西本願寺を世襲していた大宮家が家紋として使っていたそうです。
ご利益を一身に受けられそうですね…!!
というか、いまだにそろばんの使い方わからないんですよね。
あの幅の玉全部使う時ってあるんですかね?
「願いましては〜」から始まってた記憶くらいしか…
さて、それではもう一社紹介しましょう!!!
小槻大社です!!
鎮座地:滋賀県栗東市下戸山
御祭神:於知別命、大己貴命
旧社格:国幣小社(延喜式)→郷社(明治)
御朱印:不明
小槻神社と同じく栗太郡鎮座と記された式内社です。
現在は伏見稲荷大社、住吉大社、出雲大社など、「大社」の社号を名乗る神社は複数見られますが、
このほとんどは戦後に勧請社などの諸社と区別するため改称したものです。
『延喜式』神名帳において大社号を名乗っていた神社はたったの三社(多分)であり、
一つはみんな大好き出雲大社(杵築大社として記載)、
もう一つは伊勢国の式内社で豊受大神宮(外宮)摂社の川原大社(現在は河原神社)、
そしてここ、小槻大社となります。
この神社の社紋に「下り藤」ともう一つ「真向の兎」というものがあると聞いてます。
社殿では見かけなかったのですが、上の写真の右上の灯籠にそれっぽいのが…
ここまでのウサギ推しは相殿神である大己貴命さまの影響か、
それとも創建した小槻山君が「お月山」と読めてしまうからなのか、その辺どうなんでしょうね。
お月山…おつきみやま?ピッピかな?
どう見てもシカっぽいですよね。
でも確かニコニコで観ましたけど、ホッキョクウサギ立ち上がったときってこんなんじゃありません?
なんでしょうねこのコレジャナイ感。
ウサギっつかロバ…
歴代の小槻山君の墳墓とされており、この小槻大社がその祖神を祀る神社としての意義を裏付けています。
お世話になっております!!
なので、大社号を持つ実際の理由は二社の区分のためだったんじゃないかなと。
ちなみに川原大社も同郡に川原神社があるので、同じ理由かもしれません。
賽銭の奉納もできません。正月になったら開くんでしょうか。
普段は無人です。しかしかなり立派なので正月はいるのか、それともホントは誰かいたのかもしれませんね。
どうやら兼務しているわけではなく、神主さんは別にいらっしゃるようです。
滋賀県神社庁にも電話番号がありました。
それにしても、記紀からの由緒を残す出雲大社と同じ社号を名乗ることができたのはなぜなんでしょうね。
やはり太政官の役職からの働きかけがあったりしたんでしょうか…
「ちょっとさー、うちの氏神さん大社で乗っけてくんない?(肩ポン)」的な。
いやぁこわいこわい…
さて、こんな感じでいかがだったでしょうか。
近江国の式内社は水尾神社以来でしょうか。
畿内ではないですが、隣接した国なため有力な神社が多数あるので、
またそのうち紹介しようと思います。
それでは今日は武蔵国の式内社を巡るのでこの辺で。
次回は、未定!!ですがまたお会いしましょう。
ありがとうございました!!