氷川三社まとめてみた【チャリで来た】 | 週刊じんぎかん〜神祇伯の神社放浪記〜

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ただの神社好きが参拝した神社の感想なんかを感情の赴くままに書いてます。あと長文です。
一応毎週日曜に更新しますがたまに長らく投稿しない時があります。なので「あ、更新してるわ見てやるか」な軽ーい気分で読んでください。
どうぞよろしくお願いします。

こんばんはー私です。
さむいーーー!

さむいさむいさむいさむいさむいーー!!!

昨日今日風強くないですか!?

外での作業とか寒すぎて無理でした。

南国(瀬戸内)育ちの私には寒さは大敵です。

渋谷行ったら真冬に半袖半ズボンの外国人とかおりますけど、

あいつら大丈夫か。

まぁ北欧圏育ちなんやろうなぁ。

ウォッカとか常備してるんやろうなぁ(偏見)


さて季節はまた流れまして「大寒」は次候、七十二候では「水沢腹堅(さわみずこおりつめる)」

沢の水が氷となって厚く張りつめることを指すそうです。

こないだ蕗の薹の蕾が出る春っぽさあったのに唐突に真冬感が…

はっ…このせいでこの寒さか!?

季節の変わり目バカにならない…

さていつもの季節ネタはこの辺に。

今回は前回に続いて三社シリーズ第?弾です。

え、一宮シリーズはよ?

すんませんも少し待ってください。

というわけで今回は氷川三社です!

氷川神社といえばやはり大宮氷川神社でしょう。

武蔵国一宮であり、全国の氷川神社の総本社であります。

もちろんこの氷川三社を構成する一社、ではありますが、

そちらはまた武蔵国一宮の記事でお送りしますお楽しみに。

ちなみに写真は去年の8月1日の例大祭の写真です。

では続いては、中氷川神社です。

中氷川神社は埼玉県所沢市に鎮座する神社で、『延喜式神名帳』に記載されている式内社です。

現在、論社が二つあり、こちらは所沢市山口に鎮座する方の神社です。

崇神天皇の御代に創建され、武蔵国造の崇敬厚く、入間・多摩の二郡にまたがる92村の総鎮守として山口城主にも尊敬されていたそうです。

ですので、明治の旧社格は県社に列格しています。

この神社の名前は氷川信仰の総本宮である大宮氷川神社と、後ほど紹介する奥氷川神社の「中間」に位置することから、

または大宮氷川神社と当時の国府との「中間」にあったことから来ているそうです。


社殿です。

この写真からはわかりませんが、この奥の本殿は出雲大社と同じ大社造です。

心の御柱もあるという本気ぶりです。

ちなみに大宮氷川さんは流造です。


拝殿にも「中氷川社」と扁額があります。

HPの由緒によると、戦後の臨時例大祭に連合国軍総司令部(GHQ)が視察に来たそうです。

戦後の日本の存在を大きく揺るがしたGHQが、

なぜ、この神社の臨時祭の視察に白羽の矢が立ったのか。

終戦直後に、GHQの教育・宗教を所管した民間情報局(CIE)が、神道に対する日本人の考え方を知ろうとして、靖国神社を視察しました。

しかしみなさん知ってる通り靖国神社は、東京招魂社から始まり、明治からの日本の軍人の戦没者を御祭神に祀る神社で、

氏神として崇敬されるような基本の神社とは違うものです。

ですので、当時のCIEの局長だったケン・ダイク准将は「民間の神社の祭りを見たい」と希望、

式内社であり、祈年国幣社として崇敬されていた当社に白羽の矢が立ちました。

そして臨時新嘗祭を視察され、祭りの中の宮内省の楽人の演奏や立派な装束の奉納舞を見物し、「日本の神道を認識し直し、民間の神社信仰を見直した」と云われています。

つまり、最終的にGHQによって国家神道は日本人の思想の改革としては神道指令によって排除されますが、

神道自体は日本人の文化として弾圧されなかったことに大貢献した神社であると言えます。

全然知らんかったわ…

さすが式内社すげえわ。


現在は、中氷川神社以外にも末社の御朱印を複数用意していることで、

御朱印をいただきに来る参拝者で休日は人が絶えず来ます。

上の写真は合祀社なのですが、

なぜか同じ末社の中で、琴平神社だけは一つの中間サイズの神社として鎮座しています。

やはり大社造の本殿で出雲大社の大己貴命を意識しているためか、

大己貴命の荒御魂を祀る琴平神社は特別扱いしてたりするんでしょうか(偏見)


そしてこちらが、三ヶ島の中氷川神社です。


山口の中氷川神社とは1kmほどしか離れていません。

あちらの旧社格が県社だったのに対して、こちらは村社です。

表参道は山口の方と違って木に囲まれて暗く、より神秘的な印象を持たせます。



社殿は権現造の拝殿、流造の本殿を持つ江戸時代に改築された神社の典型な形式です。

またこちらは無人社ですが、ご祈祷は行なっているようです。


では最後に、奥氷川神社です。


奥氷川神社は西多摩郡奥多摩町にある神社で、倭建命が東国平定の折に素盞嗚尊と大己貴命を祀って創始したとされています。

また倭建命さんかいな…

神社どんだけ作るねん…

その後武蔵国の前身である牟邪志国の最初の国造である出雲臣伊佐知直が多摩川の下流に拠点を持ち、

上流の奥多摩の愛宕山を故郷で祀る日御碕神社にある神岳とし、氷川神として勧請することで「氷川大明神」としてあらためて創祀しました。

なので、日御碕神社と氷川神社の御祭神は素盞嗚尊という点で共通しています。


その後武蔵国の国府の近くに勧請するということで中氷川神社を創始し、その後大宮氷川神社の地へ移して創始したとされています。

つまり、全国の氷川信仰、氷川神社の総本宮は大宮氷川神社であり、

奥氷川神社はその大宮氷川神社元宮であるといえます。

しかし、紹介した残り二社と違い、『延喜式神名帳』には載っておらず、

編纂当時には社として復興されていましたので、扱い的には式外社ということになるのでしょうか。


こちらは拝殿の扁額なのですが、

画像を拡大してみると「東京府」という文字が書かれています。

明治期になったときに神社名を「奥氷川神社」と改めたということなので、改名当時に献納されたものであると思われます。

ちなみに、最寄駅である奥多摩駅はかつて「氷川駅」であり、奥多摩の「奥」は奥氷川神社の「」です。

この木は「氷川三本スギ」と呼ばれており、

三本の杉の木が立っているのではなく、

根元から三本に分かれている特殊な杉です。

現在の樹の高さは430mで、神社の神木として保護されています。


ここも普段は無人社で、いらっしゃるのはこのネコさんのみ。

ニャンニャン鳴いてすり寄ってきました。

か、かわいい……

かなり人に慣れていましたから、飼い猫かここに住み着く守りネコかですね。

今回はここまで御朱印をいただきに車をぶっ飛ばしてきましたが、無人社で、

御朱印は総代さんが取り扱ってるということでした。

もし、参拝し御朱印をいただきたい方は、神社の右にある「氷川コミュニティセンター」に書いてある電話番号に連絡してみてください。

取り扱っている総代さんに繋がります。


今回の三社は奥→中→大宮で一本の道のように繋ぐことができるといいます。

地図のように、右端が大宮、真ん中二つのうち右が県社、左が村社の中氷川、一番左が奥氷川の位置になります。

社格の違いや、GHQでの功績により山口の中氷川神社が正式な式内社とされていますが、

線で繋いでなるべくまっすぐになるのは三ヶ島の方なんですが、確証はありません。


いかがでしたでしょうか。

こないだの土曜にレンタカーを借りて奥多摩まで行き、

ここ以外にも式内社である大麻止乃豆乃天神社と、阿豆佐味天神社に参拝してきました。

武蔵国式内社は四十三社もあるうえに、埼玉の端から端まであるので全部制覇するのはなかなか骨が折れそうです。

あー車欲しい…

個人的には大学を卒業して東京を去る前に

秩父三社は参拝したいですね。

なんだかんだいうて行ってないです。

秩父神社は行ってるんですけどね。

誰かー!!秩父行こーー!!


という感じで今日はここまで。

次回もまた未定です。お楽しみに。

今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。

感想ご意見待ってます!!