名将十傑 ~英雄と評価されるべき帝国陸海軍人たち~

其乃拾:当ブログが支持される最大の理由 中川州男陸軍中将

1 半端ではない努力は必ず報われる 

 私事で恐縮ですが、当ブログは一昨日3000アクセスを突破。とりわけ歴史・仏像ジャンルで18位(5364人中)にランクUP。そしてm、本日も28位と健闘中。白髪磨人くんは久々黒帯を締めることができました 

 これもひとえに読者の皆さんのおかげです。この場をお借りしまして厚く感謝申し上げます 


 
 黒帯を奪還した白髪磨人くん
 黒帯は通算3度目。感謝、感激



 当ブログ「最近1週間のアクセス数の変化」
 手前味噌ですが、アクセスを3000稼ぐのは、芸能やスポーツ関係の湯名人でも限り、容易なことではありません
 

 さて、当ブログは今春より帝国陸海軍人のなかから名将と愚将を交互に取り上げ、お陰様でこのところ連日1000を超すアクセスを頂きました。ただし、ランキングは最高で56位止まり。なかなか黒帯、つまり50位以内にランクINするのは容易なことではありません。

 でも、諦めずに匍匐前進

 記事を毎日更新するまでには至りませんでした。でも、暇さえあればパソコンにスイッチを入れ、デスクトップと睨めっこしながら、ひたすら記事の充実をはかりました。

 そして、ついに努力が報われました

 今回で三度目となる黒帯GETです(ただし期間の長さは不問)。エラそうな言い方にはなりますが、半端ではない努力は絶対に人を裏切らない 私はそう確信しています


2 中川州男閣下に寄せる熱い想い

 今回、白髪磨人くんが黒帯を奪還することができた背景には、まず私が気合を入れて名将・愚将シリーズを連載し、このところ安定したアクセスを頂いていたことが挙げられます。

 でも、それを凌駕する巨大な力が働きました。それはズバリ、読者の皆さんが中川州男陸軍大佐閣下(戦死後陸軍中将に特進)に寄せる熱い想いです(参照:パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(43) ~「闘将」中川州男陸軍大佐~)。

 
 
 当ブログ「昨日のアクセス数が多かった記事」
 好評を頂いている名将・愚将シリーズのアクセス数を土台に、中川閣下関連の記事でアクセス数を稼ぎ、当ブログは一昨日3000アクセスを突破(
中川閣下の記事のアクセス数は1161)。なお、中川大佐をはじめ、パラオ探訪記シリーズは今から1年以上も前に連載を終えたもの。やはり、中川閣下は偉大です


 今からちょうど一年前、天皇皇后両陛下のパラオ御訪問が内定した関係で、テレビ各局が特別番組でペリリューの戦い関連のドキュメンタリーやドラマなどを放映。その矢先、当ブログのアクセス数は何と20000近い、普段とはケタ違いの驚異的なアクセスを頂き、歴史・仏像ジャンルで最高3位(当ブログの最高記録)にランクIN。

 それと同じようなことが、天皇皇后両陛下がパラオに訪問され、ペリリュー島に上陸された今年4月にも当ブログで発生(歴史・仏像ジャンルで7位にランクIN)。テレビの影響力の大きさを実感しました

 でも、当ブログがそのように鮮やかに時局に乗り、多くの方々に支持されるようになった最大の要因は、ペリリュー島が今のようにマスメディアに大々的に取り上げらるようになる以前から、すでに私は同島を神聖視、そして中川閣下を英雄視していた点にあると思います。同島こそ日本人最大の聖地という信念の下、私は単身でパラオに出掛け、現地の戦争遺跡をいくつも訪ね歩き、そこで見聞きした事実を当ブログで「わが憧れのパラオ探訪記」と題し、可能な限り平易な言葉で語らせて頂きました(参照:わが憧れのパラオ探訪記(H25.10) ( 50 ))。

 なお、同シリーズの連載は約半年、述べ50回に及びました。手前味噌ではありますが、我ながら根気よく取り組んだものです。でも、私がそのように努力できた背景には、パラオ、ペリリュー島、そして中川閣下に対する強い憧れがありました。

 パラオと日本とのつながり、そして大東亜戦争の最激戦地の一つに数えられるペリリュー島について、たくさんの方々に紹介したい!
 
 単純かつ曖昧な陸軍悪玉史観を排除し、帝国陸軍には中川閣下のような素晴らしい軍人が決して少なくなかったという近現代史の真実をできる限り大勢の方々に伝えたい!


 そんな想いが当時、私のブログ運営を支え続けました。 

 そして、その気持ちは、もちろん今でも全く変わっていません


3 軍人中川州男閣下の果てしなき魅力
 
 今なお、当ブログでたくさんのアクセスを頂いているパラオ探訪記(参照:わが憧れのパラオ探訪記(H25.10) ( 50 ))。とりわけ、読者の皆さんに支持されているのは、前述させて頂いた通り、やはり中川閣下に関連した記事です(参照:パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(43) ~「闘将」中川州男陸軍大佐~ほか)。中川閣下に寄せる、信仰にも似た私の揺るぎなき情念。それに共鳴して下さる読者の皆さんこそ、当ブログ最大の支持勢力です。

 

 中川州男陸軍中将閣下
 当ブログの支持が最大の理由。それは読者の皆さんが中川閣下に寄せる熱い想いです。 



 ところで、中川閣下の魅力とは?

 今シリーズの最終回に当たって、改めて中川閣下が支持されている理由について、私なりの意見を3点ばかり述べさせて頂きます。

 まず一つ目は、激戦を見越した上での緻密な計画性

 中川閣下は日本軍守備隊の指揮官としてペリリューの戦いを貫徹するに当たり、予め米軍の上陸に備え、同島の地勢・地質を詳しく調査。そして、同島が堅固なサンゴ石灰岩を基盤としながらも、地下に発達した自然洞窟(鍾乳洞)に着目し、全島の地下要塞化を断行。それは、米軍の砲爆撃に対する防御だけではなく、上陸した米軍に対し、地下陣地を拠点としたゲリラ戦を展開し、米軍を狂気と混乱の渦に巻き込むことが主たる目的でした(参照:パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(42) ~天皇陛下に何度も褒めちぎられた中川大佐の戦い 編~)。



 ペリリュー島の陣地壕(1) 
ペリリュー島北部で撮影(H25年10月)。島の至るところにこうした陣地壕が構築されていました。



 ペリリュー島の陣地壕(2) 
ペリリュー島の中南部の山中(大山陣地)で撮影(H27年10月)。中川閣下が戦闘を指揮した連隊本部壕とされています。折り鶴が献納されていました。



 実際に、日本軍守備隊は、米軍の上陸部隊に対し、ペリリューという小さな島で2か月以上も戦闘を継続。その結果、戦死傷者9804名(うち戦死者1794名)という甚大な損害を与えることに成功。他にも、米軍側では、神出鬼没のゲリラ戦を続ける日本軍守備隊への極度の緊張感、そして恐怖心から精神障害を患った将兵が数千名も出たそうです。

 二つ目は、敢闘精神を全軍に浸透させた比類なき統率力

 ペリリューの戦いで中川閣下が率いた中核部隊は、ともに帝国陸軍最強と謳われた水戸歩兵第2連隊高崎歩兵第15連隊でした。中川閣下にとって、それらはまさしく「鬼に金棒」でした(参照:パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(31) ~ペリリュー島への逆上陸を敢行した歩兵第十五連隊 編~)。

 でも、継戦に必要な武器・弾薬、そして将兵たちへの食糧の在庫が底をつくなかにあっても、次第に戦況は悪化。米軍上陸部隊に完全に包囲され、勝算の見込みを完全に失う状況下にあっても、中川閣下は全軍の将兵に対して拙速な玉砕を禁止。餓えや疲労などから玉砕を選び、突撃に転じたい部下たちを厳しく戒め、最期の最期まで敢闘を促しました。

 その結果、こちらも精鋭部隊として知られた米第1海兵師団を見事に撃破(参照:パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(32) ~ペリリュー島こそ日本人の聖地 編~パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(42) ~天皇陛下に何度も褒めちぎられた中川大佐の戦い 編~)。つまり、ペリリューの戦いにおいて日本軍守備隊(つまり中川部隊)が物量で圧倒する米軍に一泡吹かせた背景には、比類なき統率力を発揮した中川閣下の存在がありました。
 
 そして、三っ目は、現地住民の一人たりとも戦争に巻き込ませなかったという歴然たる事実

 米軍との戦闘を目前に控え、日本軍守備隊と一緒に戦わせて欲しいと懇願したペリリュー島の住民に対し、中川閣下は「帝国軍人がキサマら土人と一緒に戦えるかッ!!」と「暴言」を放ち、パラオ本島に強制的に疎開させました。でも、「暴言」は、戦争に直接関係のない民間人を戦争に巻き込ませないための「奇策」でした。

 
 こうした中川閣下の美談は、今日、日本とパラオの親善の礎になっていることは言うまでもありません(参照:パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(44) ~ペリリュー全住民の命を救った中川大佐の「暴言」~ )。

 ペリリユー島で日本軍守備隊の指揮官として秀逸な軍事的才能を発揮された中川閣下。口数が少ないことから、地味な印象を与えがちだったそうです。でも実際には、内に秘めたる闘志は半端ではありませんでした。


 ところで、中川閣下が愛する部下たちに対し、玉砕を禁じてまで守り抜こうとした日本と日本人。

 中川閣下が散華されてから、もうすぐ71年目を迎えます。

 私たちは中川閣下の想いにどれだけ応えることができたのでしょうか?

 
 
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 今シリーズは以上をもちまして終了とさせて頂きます。およそ半年にも及ぶ長い間、変わらぬご愛顧頂き、ありがとうございました。