9月9日横浜地裁は、旧ビッグモーター)川崎店前の街路樹を切断した事件で、同店元店長に求刑通り罰金20万円を言い渡したとのことです。

旧ビッグモーターの街路樹切断、元川崎店長に罰金20万円 地裁が判決

公共財を勝手に伐採したのですから罪に問われるのは当然です。とはいえ、どのテレビ、ラジオ、新聞も、

「自己保身的で身勝手」

と強調しているのが気になりました。判決文がそう言っているので当然なのでしょうが、ほとんどが、

「元取締役の指示に背けば降格など処分されることを懸念したとの動機について「自己保身的で身勝手」と非難」

したとなっています。その上で、

「求刑通り罰金20万円の判決」

です。罰金刑がどういうシステムになっているのかよくわからないのですが、全く酌量がないのですね。

気になった点に戻ります。大体犯罪は「身勝手」な理由で行われます。これは仕方がないと思います。だからこそ、あってはいけないこと、やってはいけないことが発生するのです。その上で、この犯罪に対して、あえて「自己保身的」という強い(と私には思える)言葉を追加する必要があるのでしょうか。「犯罪は犯罪だ」、「犯罪にレベルはない」と言われそうなのですが、気になってしまいます。まずは、指示した「元取締役」に問題があると思います。この人の方が「自己保身的」だと私は感じてしまうのですが。

そして、「自己保身的」でない人がいるのでしょうか。人であれば必ず「自己保身的」です。ほとんどの行動の動機が「自己保身的」です。「自己保身的」でないのは唯一「神」のみだと私は考えています。

この判決を下した裁判長も、間違いなく「自己保身的」のはずです。そのはずなのに、罰金刑レベルの犯罪で「自己保身的」と非難しなくてもいいのではないでしょうか。何度も軽犯罪を犯したことのある私にはできないことです。体裁を整える意味で加えた、または、自分のことに目をつぶらないと判決が下せない、という意味であれば仕方ないのでしょう。

とはいえ、やはり気になります。末端の罪を問う前に、元凶、もっと質の良くない犯罪を問いただしてほしいものです。近くの例で行くと、自民党派閥の政治資金の不正会計処理です。結局、罪に問われたのは会計責任者です。犯罪の構図からすると上からの指示のはずです。森友学園問題の財務省の公文書改ざん問題でも誰かが指示しているのですが、証拠がないので罪に問われていません。どちらも誰かが指示したと推測できます。そして、その人たちの動機は「自己保身的」のはずです。とはいえ、財務省が関係するものは手を引くのが当然でしょうか。以前ブログで書いた税務調査が怖いですから。
一方、自己保身に走らず、その上告発まですると、今度は社会的に葬られます。今話題の兵庫県知事のパワハラ疑惑問題はそうです。告発文書が内部通報にあたる可能性があるにもかかわらず、内部調査だけで懲戒処分にしています。これには弁護士も関わっているのには驚きです。または、鹿児島県警の情報漏えい事件です。こちらは一人はすでに有罪判決が決定していますし、もう一人は起訴されています。どれも内部通報の可能性があると私には思われますが。

これらを考えると、犯罪の片棒を担ぐように上から圧力がかかった場合、犯罪に手を染めるのはダメ。これは犯罪を犯すので当然でわかりやすいです。ところが、それを告発するのも危ない。これでは、「何もしない」という方法しか残っていません。しかし、それでは世の中悪くなるばかりです。良くなる要素がありません。その上、犯罪に誘われて、何もしないことが許されるのでしょうか。「何もしない」ことをほっておいてくれるとは思えません。
そうすると、「自己保身的」でない行動はほとんど不可能だと私には思えます。どうすべきなのでしょうか、裁判長。