【早稲田大学の人物一覧】 その①
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【早稲田大学の人物一覧】
2009-05-30 Sat 20:32
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【早稲田大学の人物一覧】
早稲田大学の人物一覧(わせだだいがくのじんぶついちらん)は、早稲田大学に関係する人物の一覧記事。
目次 [非表示]
1 歴代の校長・学長・総長
2 創設期の実質的な校長
3 元基金管理委員長
4 著名教員
4.1 主な元教員
4.2 学部別の著名教員
4.2.1 政治経済学部
4.2.2 法学部
4.2.3 文学部
4.2.4 教育学部
4.2.5 商学部
4.2.6 理工学部
4.2.7 社会科学部
4.2.8 人間科学部
4.2.9 スポーツ科学部
4.2.10 国際教養学部
4.3 大学院別の著名教員
4.3.1 アジア太平洋研究科
4.3.2 公共経営研究科
4.3.3 ファイナンス研究科
4.3.4 情報生産システム研究科
4.3.5 会計研究科(商学学術院)
5 OB・OG
5.1 政治
5.1.1 主に戦前に活躍した政治家、元国会議員
5.1.2 主に戦後に活躍した政治家、元国会議員
5.1.3 現職衆議院議員(64名)
5.1.4 現職参議院議員(27名)
5.1.5 地方自治体首長
5.1.6 地方議員
5.2 行政
5.2.1 国家行政
5.2.2 地方行政
5.2.3 他の公共機関
5.3 司法
5.4 経済
5.4.1 建設・不動産・住宅
5.4.2 製造業
5.4.3 金融
5.4.4 商社・流通
5.4.5 電力・ガス・交通・運輸・通信
5.4.6 マスメディア・出版・広告
5.4.6.1 新聞
5.4.6.2 放送
5.4.6.3 出版
5.4.6.4 広告
5.4.7 情報・その他サービス
5.5 学術
5.6 建築
5.7 文学
5.7.1 小説家・SF作家・ライトノベル作家
5.7.2 詩人・歌人・俳人
5.7.3 児童文学作家
5.7.4 劇作家・脚本家・放送作家
5.7.5 文芸評論家・ノンフィクション作家・エッセイスト他
5.8 映画・演劇
5.9 芸能・音楽
5.10 美術・漫画
5.11 スポーツ
5.11.1 野球
5.11.2 サッカー
5.11.3 ラグビー
5.11.4 バスケットボール
5.11.5 陸上
5.11.6 格闘技
5.11.7 その他
5.12 ジャーナリズム・評論
5.13 アナウンサー・キャスター
5.13.1 フリー
5.13.2 NHK
5.13.3 日本テレビ系列
5.13.4 TBS系列
5.13.5 フジテレビ系列
5.13.6 テレビ朝日系列
5.13.7 テレビ東京系列
5.13.8 ラジオ
5.14 その他
6 在学生
歴代の校長・学長・総長 [編集]
括弧内は就任した年
前身の東京専門学校の校長
大隈英麿 (1882年)
前島密 (1886年)
鳩山和夫 (1890年): 1902年 - 1907年は、早稲田大学校長
早稲田大学の学長
高田早苗 (1907年): 1915年 - 1917年、1919年 - 1923年には名誉学長
天野為之 (1915年)
平沼淑郎 (1918年)
塩澤昌貞 (1921年)
総長
大隈重信 (1907年):名誉職、創設者
大隈信常:名誉総長
塩澤昌貞 (1923年):政治経済学部
高田早苗 (1923年):
田中穂積 (1931年):
中野登美雄 (1944年):政治経済学部
島田孝一 (1946年):
大濱信泉 (1954年):法学部
阿部賢一 (1966年):政治経済学部
時子山常三郎 (1968年):
村井資長 (1970年):理工学部
清水司 (1978年):
西原春夫 (1982年):法学部
小山宙丸 (1990年):文学部
奥島孝康 (1994年):法学部
白井克彦 (2002年):理工学部
創設期の実質的な校長 [編集]
小野梓 - 議員(理事に相当)の一人
元基金管理委員長 [編集]
渋沢栄一
著名教員 [編集]
主な元教員 [編集]
高田早苗 - 憲法史、行政法、英国憲法史、貨幣論、租税論、欧米史など
坪内逍遥 - 文学、シェイクスピア研究など
大西祝 - 哲学史、美学、論理学、心理学
浮田和民 - 英国史、経済学史、西洋歴史、仏国史、ドイツ史、政治学史、政治学、政治哲学、近代史、名著研究、中世近世的基督教など
岸本能武太 - 比較宗教学、英語学、印度哲学など
山内義雄 - 仏文学
大槻義彦 - 理学博士・名誉教授
内藤多仲 - 建築学・名誉教授
佐藤功一 - 建築学
今和次郎 - 建築学、民俗学、考現学
中村佐一 - 元政治経済学部長
西川潤 - 経済発展論・平和研究
吉村作治 - エジプト考古学
藤原保信 - 政治思想、多くの弟子(現在早稲田大学や東京大学で教鞭を執る)を育てた
学部別の著名教員 [編集]
政治経済学部 [編集]
縣公一郎(行政学)シュパイアー行政大学院で博士号を取得。
飯島昇藏(政治思想)
伊東孝之(東欧地域研究)
齋藤純一(政治思想)
田中孝彦(国際政治) 「大平正芳記念賞」受賞
田中愛治(投票行動論・実証政治分析)
堀真清(日本政治史)
堀口健治(農業経済学)
毛里和子(現代中国の政治・外交) 「大平正芳記念賞」受賞
藪下史郎(理論経済学・金融論)
寄本勝美(地方自治・環境政策)
若田部昌澄(経済学史)
山本武彦(国際政治)
白木三秀(国際人的資源管理論)
法学部 [編集]
吉川徹(憲法)
戸波江二(憲法)
水島朝穂(憲法)
中島徹(憲法)
高橋則夫(刑法)
曽根威彦(刑法)
齊藤金作(刑法)
野村稔(刑法)
近江幸治(民法)
山野目章夫(民法)
鎌田薫(民法)
浦川道太郎(民法)
牛山積(民法)
中村眞澄(商法)
江頭憲治郎(商法)
伊藤眞(民事訴訟法)
加藤哲夫 (法学者)(民事訴訟法)
田口守一(刑事訴訟法)
道垣内正人(国際法)
島田征夫(国際法)
佐藤英善(行政法)
文学部 [編集]
紙屋敦之(日本近世史)
佐藤次高(アラブ・イスラーム史)
土田健次郎(中国思想、日本思想)
森由利亜(道教思想史、中国民間信仰)
吉原浩人(日中比較思想・文学)
井桁貞義(異文化コミュニケーション論・ロシア近代文学)
草原真知子(先端映像テクノロジーと表現、メディア論、映像文化史)
長谷正人(メディア社会学、映像文化論)
宮沢章夫(演劇、文学)
青山南(アメリカ文学、翻訳論)
貝澤哉(ロシア文学)
小沼純一(音楽文化論、文学・芸術批評)
堀江敏幸(フランス文学・小説論)
芳川泰久(文芸批評、フランス近現代小説)
渡部直己(文芸批評)
盛田隆二(創作・小説)
大日方純夫(日本近代史)
森元孝(理論社会学、社会学史)
岩田孝(インド学、チベット学)
大久保良峻(日本仏教史、仏教学)
小林正美(中国思想・宗教史)
高橋敏夫(日本文学・ホラー小説論・沖縄小説論)
岡崎由美(中国大衆文学)
楊達(中国語学) 元NHK教育テレビ「中国語講座」講師
都甲幸治(現代アメリカ文学・文化)
内山美樹子(浄瑠璃研究)
大橋一章(彫刻史、日本古代美術史)
安在邦夫(日本近現代史)
深谷克己(日本近世史)
鶴見太郎(近現代史)
丹尾安典(美術史)
教育学部 [編集]
家島彦一(イスラーム商業史) 東京外国語大学名誉教授
石原千秋(近代日本文学)
伊藤守(社会学)メディア論にも詳しい。
桑野隆(ロシア文学、表象文化論)
野谷文昭(ラテンアメリカ文学)
若林幹夫(社会学)
高橋順一(ドイツ思想史)
花田達朗(メディア論)元東京大学大学院情報学環長
渡辺諒(フランス現代思想)
原克(ドイツ文学、表象文化論)
商学部 [編集]
大塚宗春(管理会計論、元会計検査院長)
大村敬一(証券市場論)
恩藏直人(ブランド戦略、製品戦略、市場参入戦略、セールスプロモーション)
加古宜士(財務会計論)
亀井昭宏(マーケティング・コミュニケーション論、広告論)
谷内満(国際金融、マクロ経済学)
根来龍之(競争戦略、経営情報学、ネットビジネス)
長谷川惠一(国際金融、マクロ経済学)
広田真一(金融論、ファイナンス)
宮島英昭(現代日本経済研究、日本経済史)
理工学部 [編集]
石原浩二(無機化学・錯体化学)
石山修武(建築家、早稲田大学教授)
菅野由弘(作曲)
高西淳夫(ロボット工学)
柳谷晃(数学)
林洋次 (機械設計・トライボロジー)
永田勝也(環境工学・環境配慮設計)
社会科学部 [編集]
有馬哲夫(メディア研究・アメリカ研究)
池田雅之(比較文学・比較文化論)
岡沢憲芙(比較政治学・北欧研究) 元NHK教育テレビ「高校講座『地理』」講師
大畠英樹(国際政治学)
笹原宏之(日本語学・漢字文化) 「金田一京助博士記念賞」受賞
島善高 (法制史・日本近代史)
坪郷實 (政治学・EU研究・環境社会論)
戸田学 (経済理論・ゲーム理論)
西原博史(憲法学・比較憲法学・教育法)
劉傑 (近代日中関係史・近代日本外交史) 「大平正芳記念賞」受賞
人間科学部 [編集]
蔵持不三也(文化人類学)
池岡義孝(家族社会学・ライフコース論)
鳥越皓之(環境社会学・環境民俗学)
スポーツ科学部 [編集]
リー・トンプソン(社会学)
原田宗彦(スポーツ産業論)
国際教養学部 [編集]
内田勝一(民法) 法学部教授から転出
加藤典洋(近代現代日本文学)
重村智計(北朝鮮研究)
竹田青嗣(哲学)
池田清彦 (生物学)
大学院別の著名教員 [編集]
アジア太平洋研究科 [編集]
天児慧 - (現代中国論)、教科書検定委員
浦田秀次郎 - (国際経済学、開発経済学) 日本経済研究センター主任研究員 社会科学部教授から転出
戸崎肇(澤村煌) - 河合塾仙台校講師、元日本航空社員、明治大学商学部教授から転出
公共経営研究科 [編集]
北川正恭(第一商学部卒) - 元三重県議会議員、元国会議員、元三重県知事
田勢康弘(政治経済学部卒) - 元新聞記者
ファイナンス研究科 [編集]
堺屋太一 - 作家、元経済企画庁長官
野口悠紀雄 - 元一橋大学教授・東京大学教授
情報生産システム研究科 [編集]
会計研究科(商学学術院) [編集]
清水孝 - 管理会計論
長谷川惠一 - 教授
OB・OG [編集]
政治 [編集]
早稲田大学には「早稲田大学雄弁会」「早稲田大学政友会」「鵬志会」という三大政治サークルが存在する。国会議員や地方議員には同サークルの出身者が多い。
主に戦前に活躍した政治家、元国会議員 [編集]
安在鴻(大学部政治経済学科) - 朝鮮の独立運動家
殷汝耕(大学部政治経済学科) - 中華民国の政治家
王敏川(専門部政治経済科) - 台湾の政治活動家
沖禎介(中退) - 明治時代の政治活動家
風見章(大学部政治経済学科) - 内閣書記官長、司法大臣
柏原文太郎(英語政治科) - 衆議院議員
木檜三四郎(邦語政治科) - 立憲民政党衆議院議員
小山松寿(邦語法律科) - 元衆議院議長、立憲民政党幹事長
斎藤隆夫(邦語行政科) - 自由党総務会長、国務大臣
桜内幸雄(中退) - 商工大臣、大蔵大臣、立憲民政党幹事長
宋教仁(清国留学生部) - 中国革命運動家、政治家
田部長右衛門 (22代)(邦語政治科) - 貴族院議員
田渕豊吉(大学部政治経済学科) - 無所属衆議院議員、戦前において女性の政治参加を主張など先見性のある主張を貫いた。太平洋戦争に反対。田淵豊吉と表記されることがあるが田渕が本人の表記
陳独秀 - 中国共産党創設者の一人
永井柳太郎(大学部政治経済学科) - 拓務大臣、逓信大臣、鉄道大臣
中野正剛(大学部政治経済学科) - 元東方会総裁、「戦時宰相論」
早速整爾(邦語政治科) - 大蔵大臣、農林大臣、衆議院副議長
松平容大(邦語行政科) - 貴族院議員、男爵、松平容保の長男
松平頼寿(邦語法律科) - 貴族院議長、伯爵
由谷義治(商学部中退) - 東方会幹事長、大蔵政務次官
米原章三(専門部政経) - 貴族院議員
李大釗(大学部政治経済学科) - 中国共産党創設者
廖仲愷(中退) - 中華民国の政治家、早大名誉博士廖承志の父
主に戦後に活躍した政治家、元国会議員 [編集]
浅沼稲次郎(政治経済学部) - 東京都議会副議長、元日本社会党書記長・委員長
麻生良方(文学部中退) - 民社党衆議院議員、党副書記長、評論家
安藤正純(中退) - 文部大臣、立憲政友会幹事長、戦後日本自由党の結成に参加
石井紘基(大学院修了) - 民主党衆議院議員、総務政務次官
石田博英(政治経済学部) - 官房長官、労働大臣、運輸大臣
石橋湛山(大学院修了) - 大蔵大臣、通商産業大臣、第55代内閣総理大臣
稲嶺一郎(政治経済学部) - 自由民主党参議院議員、琉球石油社長・会長
稲村隆一(政治経済学部) - 日本社会党衆議院議員
上草義輝(政治経済学部) - 衆議院逓信委員長、自民党副幹事長
臼井荘一(商学部) - 総理府総務長官
大柴滋夫(政治経済学部) - 社会民主連合衆議院議員
緒方竹虎(専門部政経科) - 自由党総裁、副総理
奥田敬和(政治経済学部) - 郵政大臣、自治大臣、運輸大臣、民主党衆議院議員
小此木彦三郎(文学部) - 通産大臣、建設大臣、自由民主党国会対策委員長
小渕恵三(文学部) - 第84代内閣総理大臣
川崎秀二(政治経済学部) - 厚生大臣、改進党国会対策委員長
川俣清音(専門部法律科) - 農民運動家、日本社会党衆議院議員
菊池義郎(英文科) - 自由民主党衆議院議員、行政管理庁・科学技術庁政務次官
北れい吉(文学部) - 日本自由党衆議院議員、北一輝の弟
木村小左衛門(中退) - 農林大臣、内務大臣
金性洙(大学部政治経済学科) - 大韓民国副統領、東亜日報・高麗大学校設立者
鯨岡兵輔(商学部) - 環境庁長官、衆議院副議長
河野一郎(政治経済学部) - 日本自由党幹事長、農林大臣、建設大臣
河野金昇(専門部政経科) - 改進党衆議院議員、運輸政務次官
河野謙三(専門部商科) - 参議院議長
小宮山重四郎(政治経済学部) - 郵政大臣
小林温(政治経済学部) - 自民党参議院議員、2
斎藤栄三郎(商学部) - 科学技術庁長官、自由民主党参議院議員、経済評論家
佐々木秀世(工手学校) - 運輸大臣、自由民主党国会対策委員長
笹森順造(政治経済科) - 国務大臣、自由民主党参議院議員
佐藤観次郎(政治経済学部) - 日本社会党衆議院議員、党両院議員総会長
崔昌益(政治経済学部)-朝鮮民主主義人民共和国内閣副首相
志賀健次郎(政治経済学部) - 防衛庁長官
篠田弘作(専門部政経) - 自治大臣、自由民主党広報委員長
進藤一馬(専門部政経科) - 福岡市長、自由民主党衆議院議員
申翼煕(大学部政治経済学科) - 大韓民国の国会議長
鈴木茂三郎(専門部政治経済科) - 元日本社会党書記長・委員長
住博司(政治経済学部) - 自由民主党衆議院議員、厚生政務次官
高津正道(文学部中退) - 衆議院副議長、日本社会党衆議院議員
高橋円三郎(政治経済学科) - 自由党衆議院議員
多賀谷真稔(法学部) - 衆議院副議長、日本社会党書記長
竹腰徳蔵(政治経済学部中退) - 参議院議員
竹下登(商学部) - 第74代内閣総理大臣、元自由民主党総裁
田沢吉郎(政治経済学部) - 農林水産大臣、防衛庁長官、国土庁長官、宏池会会長代行
田中萬逸(中退) - 国務大臣、衆議院副議長
田中六助(政治経済学部) - 官房長官、通商産業大臣、自由民主党幹事長
田辺国男(政治経済学部) - 山梨県知事、総理府総務長官
千田正(商学部) - 参議院議員、岩手県知事
津島文治(政治経済学部) - 青森県知事、自由民主党衆議院議員、参議院議員、太宰治の実兄
当間重民(高等師範部) - 貴族院議員、那覇市長
中田正輔(専門部政治経済科) - 衆議院議員、佐世保市長
中西啓介(政治経済学部) - 防衛庁長官、衆議院議員
中村高一(法科) - 衆議院副議長
中山栄一(商科) - 自由民主党衆議院議員
西田隆男(専門部法科) - 国務大臣、労働大臣
二宮文造(専門部政治経済科) - 公明党参院議員団長、東北帝大卒
野田武夫(法学部) - 自治大臣、総理府総務長官
橋本登美三郎(政治経済学部) - 建設大臣、運輸大臣、元自由民主党総務会長・幹事長
長谷川信(高等学院中退) - 法務大臣
長谷川峻(専門部) - 運輸大臣、法務大臣、自由民主党清和会座長
原健三郎(政治経済学部) - 第65代衆議院議長
平野力三(政治経済学部) - 農林大臣、右派社会党衆議院議員
福家俊一(専門部中退) - 自由民主党衆議院議員、運輸政務次官
藤井丙午(政治経済学部) - 新日本製鉄副社長、自由民主党参議院議員
藤田正明(商学部) - 元参議院議長、総理府総務長官
舟崎由之(理工学部) - 衆議院議員、日本進歩党総務委員
降旗徳弥(商学部) - 逓信大臣、松本市長
本間俊一(政治経済学部) - 自由党副幹事長、通産政務次官
増田甲子七(専門部政治経済科) - 自由党幹事長、官房長官、京都帝大卒
松永東(商学部) - 衆議院議長、文部大臣
松村謙三(政治経済学部) - 農林大臣、文部大臣、改進党幹事長
三木武吉 (法律科) - 報知新聞社長、分党派自由党代表
三塚博(法学部) - 運輸大臣、元自由民主党幹事長
三宅正一(政治経済学部) - 衆議院副議長、日本社会党衆議院議員・副委員長
宮沢胤勇(政治経済学科) - 運輸大臣、自由民主党衆議院議員
三好英之(政治経済学部) - 元日本再建連盟理事長、北海道開発庁長官
武藤運十郎(法学部) - 日本社会党衆議院議員
武藤山治(政治経済学部) - 日本社会党衆議院議員、党政策審議会長・副委員長
村上勇(工手学校) - 郵政大臣、建設大臣
山口喜久一郎(高等予科中退) - 衆議院議長、国務大臣
山田弥一(専門部商科) - 自由民主党衆議院議員、運輸政務次官
廖承志 - 中華人民共和国の政治家、全人代常務委員会副委員長
逢沢英雄(商学部) - 元自由民主党衆議院議員、労働政務次官
石川要三(政治経済学部) - 防衛庁長官、元自由民主党衆議院議員
石野久男(政治経済学部) - 元日本社会党衆議院議員
市川雄一(商学部) - 元公明党書記長 、政治評論家
稲垣実男(第二政治経済学部) - 元自由民主党衆議院議員、元北海道開発庁長官・沖縄開発庁長官
稲村利幸(政治経済学部) - 環境庁長官、元自由民主党衆議院議員
上坂昇(政治経済学部) - 元日本社会党衆議院議員
大内啓伍(法学部) - 元民社党委員長、元厚生大臣
大久保直彦(政治経済学部) - 元公明党衆議院議員、参議院議員、党書記長
奥田幹生(政治経済学部) - 元自由民主党衆議院議員、元文部大臣
金石清禅(第一文学部) - 参議院議員、海部俊樹首相秘書官
川俣健二郎(政治経済学部) - 元日本社会党衆議院議員
神田厚(文学部) - 元民社党衆議院議員、防衛庁長官
菊池福治郎(政治経済学部) - 元自由民主党衆議院議員、衆議院農林水産委員長
熊川次男(法学研究科) - 元自由民主党衆議院議員、弁護士
黒柳明(文学部) - 元公明党参議院議員会長
桑原豊(法学部) - 元民主党衆議院議員
近藤剛(政治経済学部) - 元自由民主党参議院議員、元日本道路公団総裁
斉藤滋与史(商学部) - 建設大臣、元自由民主党衆議院議員、元静岡県知事
佐々木秀典(法学部) - 前民主党衆議院議員、元青年法律家協会議長
佐藤観樹(政治経済学部) - 元社会民主党幹事長、元自治大臣
志賀節(第一文学部) - 環境庁長官、元自由民主党衆議院議員
渋沢利久(第二政治経済学部中退) - 元日本社会党衆議院議員・党副委員長
園田天光光(法学部) - 元労働者農民党衆議院議員、園田直夫人、旧姓松谷
鶴岡洋(商学部) - 元公明党参議院議員
寺澤芳男(政治経済学部) - 経済企画庁長官、元民主党参議院議員
中尾栄一(大学院経済学研究科中退) - 元自由民主党衆議院議員、元通産大臣、建設大臣
中尾則幸(第一文学部) - 民主党参議院議員
半田善三(教育学部) - 元民主党衆議院議員
藤波孝生(商学部) - 元自由民主党衆議院議員 元労働大臣、内閣官房長官
二見伸明(大学院修了) - 運輸大臣、元公明党衆議院議員、党副委員長
増岡博之(政治経済学部) - 厚生大臣、元自由民主党衆議院議員
松岡満寿男(政治経済学部) - 元衆議院議員・参議院議員・山口県光市長、自由民主党・日本新党・新進党・民主党に所属
松平勇雄(商学部) - 行政管理庁長官、元自由民主党参議院議員、元福島県知事
松永光(法学部) - 弁護士、元大蔵大臣
宮地正介(政治経済学部) - 公明党衆議院議員
森井忠良(法学部) - 元日本社会党衆議院議員、元厚生大臣
山本譲司(教育学部) - 元民主党衆議院議員、元都議会議員
吉川芳男(政治経済学部) - 労働大臣、元自由民主党参議院議員
藁科満治(経済学研究科) - 内閣官房副長官、元民主党参議院議員
宇佐美登(理工学部) - 民主党前衆議院議員
生方幸夫(文学部) - 民主党前衆議院議員
岡島一正(社会科学部) - 民主党前衆議院議員
梶原康弘(第一文学部) - 民主党前衆議院議員
中西一善(政治経済学部) - 自由民主党前衆議院議員
橋本清仁(法学部) - 民主党前衆議院議員
樋高剛(社会科学部) - 民主党前衆議院議員
柏村武昭(文学部演劇専修) - 自由民主党前参議院議員、司会者
松崎公昭(商学部) - 民主党前衆議院議員
今泉昭(第二文学部) - 参院副議長
景山俊太郎(大学院政治学研究科) - 自由民主党参院筆頭副幹事長
田村公平(政治経済学部) - 自由民主党参議院議員、建設政務次官
大田昌秀(教育学部) - 沖縄県知事、社会民主党参議院議員
桜井新(理工学部) - 環境庁長官、自由民主党衆議院議員・参議院議員
若林秀樹(商学部) - 民主党参議院議員
田村智子(第一文学部) - 日本共産党東京都副委員長
金美齢(文学研究科博士課程) - 元第一文学部非常勤講師、台湾総統府国策顧問
久野統一郎(理工学部土木工学科) - 自由民主党元衆議院議員
飯島忠義(教育学部) - 自由民主党元衆議院議員
現職衆議院議員(64名) [編集]
海部俊樹(第二法学部) - 第76代・第77代内閣総理大臣、元自由民主党総裁、元新進党党首 、当選16回(以下数字のみ記載)
河野洋平(政治経済学部) - 第71,72代衆議院議長、14
森喜朗(第二商学部) - 元運輸大臣、元自由民主党幹事長、元自由民主党総裁、第85代内閣総理大臣、13
渡部恒三(第一文学部) - 元通商産業大臣、元衆議院副議長、民主党最高顧問、13
山崎拓(商学部) - 自由民主党衆議院議員、元防衛庁長官、元自由民主党副総裁、12
玉澤徳一郎 (政治学研究科)- 元農林水産大臣、自由民主党衆議院議員、9
深谷隆司(法学部) - 元通商産業大臣、郵政大臣、自由民主党衆議院議員、9
衛藤征士郎(政治経済学部、大学院修了) - 元防衛庁長官、自民党衆議院議員、8
額賀福志郎(政治経済学部) - 財務大臣、元経済企画庁長官、自由民主党政調会長、元防衛庁長官、8
武部勤(法学部) - 元農林水産大臣、前自由民主党幹事長、7
斉藤斗志二(大学院理工学研究科中退) - 元防衛庁長官、自由民主党衆議院議員、7
赤松広隆(政治経済学部) - 元日本社会党書記長、民主党衆議院議員、6
鈴木俊一(教育学部) - 自由民主党衆議院議員、元環境大臣、6
鈴木恒夫(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、6
渡海紀三朗(理工学部) - 自民党衆議院議員、文部科学大臣6
福田康夫(政治経済学部) - 第91代内閣総理大臣、元内閣官房長官、自由民主党衆議院議員 、6
山本有二(法学部) - 自由民主党衆議院議員、内閣府特命担当大臣(金融、再チャレンジ担当)6
池田元久(政治経済学部) - 民主党衆議院議員、5
岸田文雄(法学部) -自由民主党衆議院議員、- 内閣府特命担当大臣(沖縄・北方)担当 5
田中眞紀子(第一商学部) - 無所属衆議院議員、元外務大臣、元科学技術庁長官5
柳本卓治(商学部、大学院修了) - 自民党衆議院議員、5
安住淳(社会科学部) - 民主党衆議院議員、4
今井宏(政治経済学部中退) - 自民党衆議院議員、元草加市長、4
岩屋毅(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、4
嘉数知賢(第一政治経済学部)- 自民党衆議院議員、4
川内博史(政治経済学部) - 民主党衆議院議員、4
下村博文(教育学部) - 自由民主党衆議院議員、元文部科学大臣政務官、4
筒井信隆(法学部) - 民主党衆議院議員、4
野田佳彦(政治経済学部) - 民主党衆議院議員、4
山田正彦(法学部) - 民主党衆議院議員、4
渡辺周(政治経済学部) - 民主党衆議院議員、4
渡辺博道(法学部) - 自民党衆議院議員、4
渡辺喜美(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、内閣府特命担当大臣(規制改革、国・地方行政改革・公務員制度改革・地域活性化・道州制担当)、4
石田真敏(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、元海南市長3
大島敦(法学部) - 民主党衆議院議員、3
小渕優子(大学院公共経営研究科) - 自民党衆議院議員、3
金子恭之(商学部) - 自民党衆議院議員、3
北村誠吾(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、3
黄川田徹(法学部) - 民主党衆議院議員、3
笹木竜三(政治経済学部、大学院修了) - 民主党衆議院議員、3
辻元清美(教育学部) - 社会民主党衆議院議員、元社会民主党政審会長、3
西川京子(教育学部) - 自由民主党衆議院議員、厚生労働大臣政務官、3
松野博一(法学部) - 自民党衆議院議員、3
松原仁(商学部) - 民主党衆議院議員、3
水野賢一(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、法務副大臣、3
吉田六左エ門(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、3
菅原一秀(政治経済学部) - 自民党衆議院議員、2
鈴木淳司(法学部) - 自民党衆議院議員、2
高井美穂(第一文学部) - 民主党衆議院議員、2
武田良太(第一文学部) - 無所属衆議院議員、2
西村明宏(政治経済学部、大学院修了) - 自民党衆議院議員、2
古屋範子(第一文学部) - 公明党衆議院議員、2
松浪健太(商学部) - 自民党衆議院議員、2
石川知裕(商学部) - 民主党衆議院議員、1
石関貴史(政治経済学部) - 民主党衆議院議員、1
伊藤忠彦(法学部) - 自民党衆議院議員、1
稲田朋美(法学部) - 自民党衆議院議員、1
亀岡偉民(教育学部) - 自民党衆議院議員、1
木原稔(教育学部) - 自民党衆議院議員、1
平将明(法学部) - 自民党衆議院議員、1
高鳥修一(法学部) - 自民党衆議院議員、1
土屋正忠(法学部) - 自民党衆議院議員、前武蔵野市長、1
渡嘉敷奈緒美(ビジネススクール) - 自民党衆議院議員、1
安井潤一郎(社会科学部中退) - 自民党衆議院議員、早稲田商店会会長、1
現職参議院議員(27名) [編集]
青木幹雄(第二法学部中退) - 自由民主党参議院議員、元官房長官、4
北澤俊美(法学部) - 民主党参議院議員、3
吉村剛太郎(政治経済学部) - 自民党参議院議員、3
鴻池祥肇(教育学部) - 自由民主党参議院議員、元内閣府特命担当大臣、3
世耕弘成(政治経済学部)- 自民党参議院議員、首相補佐官(広報担当)3
池口修次(理工学部) - 民主党参議院議員、2
大塚耕平(社会科学研究科) - 民主党参議院議員、2
岸宏一(政治経済学部)- 自民党参議院議員、元山形県金山町長、2
田村耕太郎(商学部) - 自民党参議院議員、2
西岡武夫(教育学部) - 元新自由クラブ幹事長、元文部大臣、民主党参議院議員 、2
山内俊夫(教育学部) - 自民党参議院議員、2
吉田博美(社会科学部) - 自民党参議院議員、2
浅野勝人(政治経済学部) - 自民党参議院議員、1
荒井広幸(社会科学部) - 国民新党参議院議員 、1
荻原健司(人間科学部) - 自民党参議院議員、1
徳永久志(政治経済学部) - 民主党参議院議員、1
富岡由紀夫(政治経済学部) - 民主党参議院議員
友近聡朗(人間科学部) - 無所属参議院議員、1
長浜博行(政治経済学部) - 民主党参議院議員、1
林久美子(第一文学部) - 民主党参議院議員、1
広田一(社会科学部) - 無所属参議院議員、1
藤本祐司(法学部) - 民主党参議院議員、1
牧野京夫(法学部) - 自由民主党参議院議員、1
増子輝彦(商学部) - 民主党参議院議員、1
丸山和也(法学部) - 自由民主党参議院議員、1
山田俊男(政治経済学部) - 自由民主党参議院議員、1
山本順三(政治経済学部) - 自民党参議院議員、1
地方自治体首長 [編集]
安部三十郎(法学部) - 山形県米沢市長
石川錬治郎(文学部) - 元秋田県秋田市長
石塚仁太郎(社会科学部) - 茨城県坂東市長
市川熙(法学部) - 山口県光市長
伊藤一長(政治経済学部) - 元長崎県長崎市長
井原健太郎(政治経済学部) - 山口県柳井市長
衣斐賢譲(法学部) - 元三重県鈴鹿市長
岩浅嘉仁(社会科学部) - 徳島県阿南市長、元衆議院議員
上田清司(政治学研究科) - 埼玉県知事、元民主党衆議院議員
大澤善隆(商学部) - 群馬県桐生市長
大田政作(法学部) - 第3代琉球政府行政主席
小川勇夫(商学部) - 前神奈川県相模原市長
北川正恭(商学部) - 元衆議院議員、前三重県知事、公共経営研究科教授
栗原浩(高等師範部中退) - 元埼玉県知事(1956~1972年)
河内山哲朗(法学部) - 山口県柳井市長
佐々木誠造(第一政治経済学部) - 青森県青森市長
榛村純一(文学部) - 元静岡県掛川市長
高橋アキラ(法学部) - 元愛知県豊橋市長
竹内謙(理工学研究科) - 元神奈川県鎌倉市長
田中雅夫(商学部) - 東京都あきる野市長
中馬馨(政治経済学部) - 元大阪市長(1963~1971年)
寺田典城(法学部) - 秋田県知事、元横手市長
当間重慎(中退) - 初代那覇市長
戸川貞雄(文学部) - 元平塚市長(1955~63年)、小説家
長島一由(教育学部) - 前神奈川県逗子市長
中司宏(第一文学部) - 前枚方市長(1995年-2007年)
長峯誠(政治経済学部) - 宮崎県都城市長
奈良俊幸(政治経済学部) - 福井県越前市長
西川太一郎(商学部) - 東京都荒川区長、元衆議院議員
橋下徹(政治経済学部) - 大阪府知事、弁護士、タレント
東国原英夫(第二文学部卒、政治経済学部中退) - 宮崎県知事
比嘉秀平(文学部) - 初代琉球政府行政主席
平岡定太郎 - 樺太庁長官、三島由紀夫の祖父
平岡敬(第一文学部) - 前広島市長、元中国放送社長
松浦正人(政治経済学部) - 山口県防府市長
松浦幸雄(専門部) - 群馬県高崎市長
森茂喜(専門部法律科) - 石川県根上町長
森真(法学部) - 岐阜県各務原市長
矢野裕(法学部) - 東京都狛江市長
鷲澤正一(商学部) - 長野県長野市長
地方議員 [編集]
石田治一郎(教育学部) - 長野県議会議員、元県議会議長
磯崎久喜雄(政治経済学部) - 茨城県議会議員
奥田保明(社会科学部) - 元鳥取県議会議員、民主党県連副代表
近藤康夫(教育学部) - 山口県下松市議会議員
櫻井富夫(法学部中退) - 茨城県議会議員、元県議会議長
三遊亭らん丈(社会科学部、大学院社会科学研究科) - 東京都町田市議会議員
竹下勇造(専門部政治経済科) - 島根県議会議員、竹下登の父
長谷川英憲(第二政治経済学部) - 元東京都議会議員
松栄俊三(商学部) - 新潟県議会議員、佐渡汽船社長
森学(大学院公共経営研究科) - 前世田谷区議会議員
矢田富郎(社会科学部) - 元石川県会議長、自由民主党石川県連幹事長
山口和男(教育学部) - 東京都八王子市議会議員
山手卓男(政治学研究科修了) - 山口県議会議員
山本龍(商学部) - 元群馬県議会議員、小渕恵三秘書
湯原俊二(社会科学部) - 鳥取県議会議員
吉田一郎(大学院アジア太平洋研究科) - 埼玉県さいたま市議会議員
吉田雄人(政治経済学部政治学科、早稲田大学大学院政治学研究科) - 神奈川県横須賀市議会議員
行政 [編集]
国家行政 [編集]
伊藤康成(第一法学部) - 元防衛庁事務次官
大村厚至(法学部) - 元人事院事務総長
奥克彦(政治経済学部) - 外交官、元在英国日本大使館参事官
杉原千畝(教育学部) - 外交官 / 日本のオスカー・シンドラー
宝珠山昇(法学部) - 元防衛施設庁長官
地方行政 [編集]
大城将保(教育学部) - 沖縄県立博物館長、元沖縄県教育庁文化課長、『嶋津与志』名義で歴史研究家、作家としても活動
大塚俊郎(政治経済学部) - 元東京都副知事、新銀行東京取締役会長
福永正通(第二法学部) - 元東京都副知事
他の公共機関 [編集]
有元秀文(教育学部) - 国立教育政策研究所総括研究官
小川忠(教育学部) - 国際交流基金日米センター事務局長、アジア・太平洋賞特別賞
丹羽敏之(政治経済学部) - 国際連合児童基金事務局次長、国連開発計画総裁補兼財務管理局長
司法 [編集]
緒方重威(法学部) - 広島高検検事長、公安調査庁長官
櫻井正史(法学部) - 防衛監察監、元名古屋高検検事長
高橋武生(法学部) - 福岡高等検察庁検事長、証券取引等監視委員会委員長
佐渡賢一(法学部) - 福岡高等検察庁検事長、証券取引等監視委員会委員長
内田茂雄(法学部) - 弁護士
大口昭彦 (政経学部) - 弁護士 人権派弁護士として有名
小倉秀夫(法学部) - 弁護士(東京弁護士会)
熊谷信太郎(法学部) - 弁護士
大澤孝征(法学部) - 弁護士、コメンテーター 、元横浜地方検察庁検事
北村晴男(法学部) - 弁護士、タレント
落合洋司(法学部) - 元千葉地方検察庁検事、弁護士
権田修一(社会科学部) - 弁護士、企業法務家
中嶋博行(法学部) - 弁護士、推理作家
平山正剛(第一法学部) - 弁護士、日本弁護士連合会会長
滝本太郎(法学部) - 弁護士、オウム真理教被害対策弁護団
高池勝彦(法学部) - 弁護士
猿田佐世(法学部) - 弁護士
金敬得(法学部) - 弁護士、初の外国籍司法修習生
経済 [編集]
建設・不動産・住宅 [編集]
小野寺研一(政治経済学部) - 住友不動産社長
鈴木弘久(商学部) - 野村不動産ホールディングス、メガロス代表取締役
竹中錬一(理工学部、大学院) - 竹中工務店元社長(1945~80年)
堤康次郎(政治経済学科) - 西武グループ創業者、衆議院議長
堤義明 (商学部) - コクド元会長、西武ライオンズ元オーナー
布瀬川集(法学部) - 三井共同建設コンサルタント代表取締役、元三井ホーム代表取締役専務
前田又兵衛(政治経済学部) - 前田建設工業元取締役名誉会長
製造業 [編集]
秋草直之(政治経済学部) - 富士通前会長
新井純(理工学部) - 昭和シェル石油社長
飯島英胤(教育学部) - 東レ特別顧問、日韓経済協会会長、日本バレーボール協会副会長
李健熙(商学部) - サムスングループ総帥
李秉喆(商学部中退) - サムスングループ創業者
磯野啓(政治経済学部) - 国際石油開発帝石ホールディングス代表取締役、帝国石油会長
井出明彦(商学部) - 三菱マテリアル社長
井深大(理工学部) - ソニー創業者
出井伸之(政治経済学部) - ソニー元会長
稲嶺一郎(政治経済学部) - 琉球石油創業者、元参議院議員
大原孫三郎(中退) - クラレ、中国銀行、中国電力創業者
岡部有治(第一政治経済学部) - メルシャン代表取締役CEO
金子真人(教育学部) - 図研社長
木村彌一(法学部) - コスモ石油社長
齊藤了英(商学部) - 大昭和製紙社長、絵画の高額購入で有名
桜井正光(第一理工学部) - 経済同友会代表幹事、リコー代表取締役CEO
佐々木則夫(理工学部) - 東芝社長
重光武雄(高等工学校) - ロッテグループ創業者
東海林武雄(政治経済学部) - 日本専売公社総裁、旭電化工業(現・ADEKA)社長
相馬愛蔵(邦語行政科) - 中村屋創業者
武井俊文(政治経済学部) - 石川島播磨重工業元社長、海洋科学技術センター会長
高須武男(政治経済学部) - バンダイナムコホールディングス社長
徳植桂治(理工学部) - 太平洋セメント社長
富山幹太郎(理工学部中退) - タカラトミー社長、トイカード社長
豊田鉄郎(政治経済学部) - 豊田自動織機社長
西田厚聰(第一政治経済学部) - 東芝社長
野副洲旦(政治経済学部) - 富士通社長
原安三郎(商科) - 日本化薬社長(1935~73年)・会長
福井威夫(理工学部応用化学科) - 本田技研工業社長
長谷川閑史(政治経済学部) - 武田薬品工業代表取締役社長
福永勝(政治経済学部) - サッポロビール社長
細井行(政治経済学部) - いすゞ自動車社長
益子修(政治経済学部) - 三菱自動車工業社長
ミハエル・コーガン(中退) - タイトー創業者
森郁夫(理工学部) - 富士重工業社長
山内溥(第二法学部) - 任天堂相談役
山田輝郎(政治経済学部) - ロート製薬元社長(1949~78年)
山田正彦(法学部)- 三協精機製作所創業者、日本スケート連盟会長
綿貫宣司(大学院理工学研究科)- ペンタックス代表取締役社長
金融 [編集]
上杉純雄(法学部) - みちのく銀行会長、ユーシーカード元社長
勝田泰久(法学部) - りそな銀行初代頭取、りそなホールディングス初代社長、大阪経済大学教授
川田憲治(商学部) - りそなホールディングス社長
小林中(政治経済学部中退) - 富国生命社長、初代日本開発銀行総裁、日本航空会長
高野真(教育学部) - ピムコジャパンリミテッド社長
隅修三(理工学部) - ミレアホールディングス社長、東京海上日動火災保険社長
原善一郎 - 横浜興信銀行取締役
原富太郎(中退) - 横浜興信銀行頭取、三渓園設立
檜垣誠司(政治経済学部) - りそなホールディングス社長
松田哲(法学部) - 元外国為替ディーラー
水上博和(法学部) - あおぞら銀行社長
森田徹(教育学部) - 新銀行東京元代表執行役、りそな銀行元取締役兼常務執行役員
梁瀬行雄(法学部) - オリックス代表執行役社長、あさひ銀行元頭取
山口揚平(政治経済学部) - ブルー・マーリン・パートナーズ有限会社代表取締役、デロイトトーマツコンサルティング、アビームM&Aコンサルティング出身
渡辺英二(法学部) - 日興コーディアル証券社長
商社・流通 [編集]
飯田新一(専門部) - 高島屋元社長(1960~87年)
石津谷悦朗(教育学部) - 東急百貨店社長、伊勢丹元専務取締役
岡田卓也(商学部) - イオン名誉会長相談役
岡田元也(商学部) - イオン社長
久保允誉(商学部) - エディオン社長、デオデオ会長、暮らしのデザイン会長、サンフレッチェ広島社長
佐々木幹夫(理工学部) - 三菱商事会長、日本経済団体連合会副会長
宮太郎(商学部) - 大和元社長
柳井正(政治経済学部) - ファーストリテイリング会長兼社長、創業者
電力・ガス・交通・運輸・通信 [編集]
遠藤功(商学部) - ローランド・ベルガー会長
河西乾二(政治経済学部) - 三井石油会長、三井物産副社長
川口文夫(商学部) - 中部電力会長、中部経済連合会会長
喜久川政樹(商学部) - ウィルコム代表取締役社長
倉重英樹(政治経済学部) - ソフトバンクテレコム(旧日本テレコム)元社長、現取締役
小林哲也(政治経済学部) - 近畿日本鉄道社長
白倉茂生(理工学部) - 中国電力社長
杉本迪雄(理工学部) - NTTコムウェア社長
角和夫(政治経済学部) - 阪急阪神ホールディングス社長
玉井操(政治経済学部) - 玉井商船元社長、日本サッカー協会副会長
早川徳次(法科) - 東京地下鉄道社長、日本における地下鉄事業の先駆者
藤木幸夫(政治経済学部) - 藤木企業社長・会長、横浜港運協会会長
マスメディア・出版・広告 [編集]
新聞 [編集]
小汀利得(政治経済学部) - 元中外商業新報社(現・日本経済新聞社)社長(1945~47年)、評論家
鹿内信隆(政治経済学部) - 元フジサンケイグループ会議議長
鶴田卓彦(政治経済学部) - 元日本経済新聞社社長・会長、大阪経済大学理事
飛田秀一(政治経済学部) - 北國新聞社社長・主筆
中田正博(政治経済学部) - 時事通信社社長
服部敬雄(政治経済学部) - 元山形新聞社社主、元山形放送社長
馬場恒吾(英語政治科中退) - 元読売新聞社社長
古野伊之助(専門部中退) - 元同盟通信社社長
美土路昌一(英文科中退) - 元全日本空輸社長、元朝日新聞社社長(1964~67年)
務台光雄(専門部政経科) - 元読売新聞社社長、会長、名誉会長
村上政敏(教育学部)- 日本広告審査機構理事長、元時事通信社社長 、レジオンドヌール勲章
放送 [編集]
磯崎洋三(商学部) - 元東京放送社長
海老沢勝二(政治経済学部) - 元NHK会長、元アジア太平洋放送連合会長
亀渕昭信(第二政治経済学部) - ニッポン放送取締役相談役、元代表取締役社長
君和田正夫(商学部)- テレビ朝日社長、元朝日新聞社専務
小六英介 - 元NHKアナウンサー
坂本朝一(文学部) - 日本放送協会元会長、初の生え抜き会長
島田昌幸(政治経済学部) - テレビ東京社長
白井博 - テレビマンユニオン社長
菅谷定彦(政治経済学部) - テレビ東京会長
永井多恵子(第一文学部) - 日本放送協会副会長、元アナウンサー
野村秀雄(専門部) - 第8代NHK会長、元朝日新聞社社長(1945~46年)
萩元晴彦(文学部) - テレビマンユニオン初代社長
日枝久(教育学部) - フジテレビジョン代表取締役会長、日本民間放送連盟会長
平本和生(政治経済学部) - 東京放送常務取締役、元ニュースキャスター
堀越むつ子(第一法学部) - テレビ朝日取締役広報局長、元テレビ朝日アナウンサー
舛方勝宏(第一文学部) - 日本テレビ放送網取締役常務執行役員、元日本テレビアナウンサー
三木明博(第一法学部) - 文化放送社長
柳瀬璋(法学部) - 毎日放送最高顧問、元社長
【中略】
在学生 [編集]
承子女王(国際教養学部)
斎藤佑樹(教育学部)
福原愛(スポーツ科学部)
この「早稲田大学の人物一覧」は、大学関連の書きかけの項目です。この記事を加筆、訂正等して下さる協力者を求めています。(P:教育/PJ大学)
[隠す]表・話・編・歴早稲田大学
設置校 早稲田大学 | 早稲田大学芸術学校 | 早稲田大学川口芸術学校 | 早稲田大学高等学院 | 早稲田大学本庄高等学院
系属校 早稲田実業学校初等部・中等部・高等部 | 早稲田中学校・高等学校| 早稲田摂陵中学校・高等学校 | 早稲田渋谷シンガポール校
スポーツ 早稲田大学ア式蹴球部 | 早稲田大学ビッグベアーズ | 早稲田大学ラグビー蹴球部 | 早稲田大学競走部 | 早稲田大学野球部 | 早稲田大学バスケットボール部ビッグベアーズ
関連項目 早稲田大学の人物一覧 | 東京六大学
日本の政治家、作家への道 = 田中康夫
【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!
高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
田中康夫
参議院議員 田中 康夫
生年月日 1956年4月12日(53歳)
出生地 東京都武蔵野市
出身校 一橋大学法学部
学位・資格 法学士
前職 長野県知事
作家
所属委員会
内閣役職 参・国土交通委員会 委員
世襲 世襲ではない
選出選挙区 比例区
当選回数 1回
所属党派 新党日本
(会派:民主党・新緑風会・国民新・日本)
党役職 代表
会館部屋番号 参議院議院会館416号室
www.yasu-kichi.com
田中 康夫(たなか やすお、1956年4月12日 - )は、日本の政治家、作家。参議院議員(1期)。新党日本代表。前長野県知事。愛称はヤッシー。
父は心理学者で元上越教育大学副学長の田中博正(たなか ひろまさ、1930年3月25日 - 元信州大学教授。東京教育大学卒業、東京教育大学教育学博士)。実妹及びその夫はともに新潟大学医学部を卒業した医師であり[1]、2003年には主治医及び妹夫婦からの助言を受け膀胱腫瘍の切除と人工膀胱の造設手術を受けている[2]。なお、母は早稲田大学卒業[3]。
同姓同名で獨協医科大学名誉教授等がいるが、別人である。なお、父が非常勤講師を務めていた関係で松本歯科大学客員教授(入門歯科医学I担当)を務めたことはある[4]。
目次 [非表示]
1 来歴
2 政治家として
2.1 政治路線
2.1.1 反小泉・親小沢
2.1.2 「ウルトラ無党派」
2.1.3 対石原
2.1.4 対外思想
2.2 在野時代
2.3 長野県知事選出馬
2.4 長野県知事時代
2.4.1 概略
2.4.2 就任直後
2.4.3 「脱ダム」宣言
2.4.4 市町村合併
2.4.5 脱記者クラブ宣言
2.4.6 「信州」改称
2.4.7 同和対策事業の見直し
2.4.8 「新党日本」結成
2.4.9 支持率低下、落選
2.5 参議院議員時代
3 作家として
3.1 執筆活動
3.2 評論活動
3.3 出版社との関係
3.4 作品
3.4.1 小説
3.4.2 日記文学
3.4.3 エッセイ
3.4.4 評論
3.4.5 レクチャー
3.4.6 共著など
3.4.7 連載もしくは不定期連載を行っていた雑誌(一部)
3.5 受賞歴
4 テレビ・ラジオ出演
4.1 テレビ
4.2 ラジオ
5 歌手として
6 プライベート
6.1 女性関係
6.2 自動車
6.3 過去の愛車
7 関連項目
7.1 人物
8 脚注
9 外部リンク
来歴 [編集]
1956年4月12日、東京都武蔵野市に生まれる。ただし本籍地は静岡県庵原郡富士川町(現・富士市)。父の田中博正(心理学者)が信州大学教授に就任したため、1964年4月に家族全員で長野県上田市に、さらに1966年には松本市に引っ越す。
1969年4月信州大学教育学部附属松本中学校に入学。中学在学中は初代サッカー部部長を務めた。
1975年、東京大学教養学部文科2類を受験する。英語、国語、数学が得意科目であった一方、歴史の知識問題などは、そのような分野で点数をとるのは邪道と考え、勉強を放棄。東大受験前に受けた模擬試験「東大オープン」では英語、国語、数学、地理、歴史等の全科目の総合得点で全国80位程度、英語だけなら全国3位という好成績であった[5]が、本試験の結果は不合格だった。同年3月には長野県松本深志高等学校を卒業、上京し東京の駿台予備学校で浪人生活を送る。この際駿台文庫の『基本英文700選』を愛用し、後に著書『田中康夫の大学受験講座』(1988年、マガジンハウス)においても同書を激賞している。この予備校時代は服などブランドものを買いあさる生活を送った。この日々が後に、大学在学中に執筆し、作家デビュー作となった『なんとなく、クリスタル』((文藝賞受賞)のモチーフとなっている[6]。
1976年4月、一橋大学法学部入学。なおしばしば田中は法学部出身であることを表す際に「方角を間違えて阿呆学部に入った僕は…」との表現を用いる。
1980年、第1作・小説『なんとなく、クリスタル』を執筆し、同年同作で「文藝賞」を受賞する。同作が執筆された背景には田中の所属していたサークル「一橋マーキュリー」での横領事件(サークル員の合意を取らずに資金を流用してサークル用に神宮前のマンションを借りていた事件)がある。当時田中は日本興業銀行(現みずほコーポレート銀行ないしみずほフィナンシャルグループ)から内定を得ていたが、事件を起こしたとして卒業予定日の直前に停学処分を受け留年し、そのあおりで日本興業銀行からもらっていた内定は取り消された。この停学期間を利用して『なんとなく、クリスタル』は執筆された。
1981年3月に一橋大学法学部を卒業し、同年4月モービル石油に入社するも3ヶ月で退社。以後、文筆活動やテレビ出演などを行う。
1991年には柄谷行人や中上健次らとともに、湾岸戦争への日本加担に反対する声明に参加している。こうした声明には田中は元来否定的だったが、声明文を「我々は」や「私たちは」ではなく「私は」とし、個人の連帯とすることで参加した。なお同声明に参加した作家は他にいとうせいこう、島田雅彦、高橋源一郎などがいる。
1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生する。小説『オン・ハッピネス』(1994年、新潮社)の舞台でもある神戸市の被災に衝撃を受け、ボランティア活動に従事した。『神戸震災日記』(1996年、新潮社)巻末では「活動を続けるうちに神戸と自らは多面性を持つ点で共通しているのではないかと思うようになった」と述懐している。
1998年「神戸市民投票を実現する会」の代表に就任。ボランティア活動を通じて、神戸市の公共事業関連の問題を知り、神戸空港建設反対運動を行う。
2000年、長野県知事選挙に出馬し、当選。2期務めるが、3選を目指した2006年知事選では落選(詳細は#長野県知事時代を参照)。2007年、参議院議員選挙比例区に新党日本から立候補し、初当選した。
政治家として [編集]
政治路線 [編集]
反小泉・親小沢 [編集]
自由民主党については、左右幅広い立場の議員が所属し実態がつかみづらいことから「鵺のような存在」としている。自民党所属の国会議員でも親しい人物はいるが、自民党が推し進めているアメリカ的な経済政策を導入する新自由主義経済路線を弱肉強食だと強く批判し、ある程度の経済格差は認めつつも最下層の幸せを確保する最小不幸社会を主張している。
小泉純一郎と竹中平蔵の打ち出した路線と自らの改革とは、車座集会とタウンミーティングその他や就任当時の高支持率など、類似性が多いように見え、実際に『サンデープロジェクト』など政治番組で問われた場面もあったが、両者は「似て非なるもの」と答えた。その後も小泉路線を「なんちゃって小泉・竹中へなちょこ構造改革」と表現している。なお小泉については第2次橋本内閣の厚生大臣だった当時から批判していた。
2003年にネクスト内閣の地方分権大臣に指名された民主党や、田中が政治的マキャベリストとしてしばしば賞賛する民主党現代表の小沢一郎とは比較的近い距離にある。ただし1990年代前中期、小沢が自民党幹事長、離党して新生党、さらに新進党に所属していた、言い換えればキングメーカー的存在だった時期はある程度政治姿勢は評価しつつも、やや批判寄りだった(後述)。この時期にはむしろ(小沢とは対立関係にあったとされる)梶山静六への好意的見解を示していた(同項目も参照)。
「ウルトラ無党派」 [編集]
旧来の自民党的なばらまき政治・土建屋行政を批判・解体する一方で、左派の労働組合主義にも批判的であり、草の根市民運動に携わってきたことから自らを「ウルトラ無党派」としている。サッチャーの様に利権にまみれた旧体制を壊した後に、ブレアの様にクリーンで公正な社会を再構築する、という両方の役割を一人でこなす政治家だと自負している様に、イギリスの(市場原理を積極的に取り入れつつも福祉を重視する)第三の道に考え方が近い[7]。
対石原 [編集]
石原慎太郎と田中は一橋大学出身、作家、知事経験者、それぞれ「クリスタル族」「太陽族」の生みの親と共通点が多いためしばしば比較対象とされるが、思想的には異なる部分が多く、知事在職時に日本外国特派員協会での講演で「彼自身がカワード(coward:臆病者)だから、失うものがあるから強い自分を演出している」と評したこともある(一方石原も「どっちがカワードだよ」と意味のことを返している)。また築地市場の豊洲への移転構想など石原都政への批判も行っている。
知事就任以前にも石原の『「NO」と言える日本』や三国人発言について批判している。ただし、「是々非々」をモットーとするという言葉通りに、義務教育費国庫負担の一般財源化が議論された際は協調したことや[8]、浜渦武生元・東京都副知事辞任の際には石原に好意的な発言を行ったこともある。
対外思想 [編集]
アフガニスタン侵攻やイラク戦争を引き起こしたジョージ・W・ブッシュ政権とそれを支持する自民党親米保守派を批判し、「反米」や「嫌米」ならぬアメリカと友好関係は保ちつつも言うべき意見は言う「諌米」と他国に依存しない自立外交を主張している。
一方ビル・クリントン政権については好意的な見方をすることが多く、モニカ・ルインスキーとのスキャンダル時にも擁護的な意見を述べていた。また政権下で副大統領を務めたアル・ゴアについても評価しており、ベネズエラのウゴ・チャベス反米左派政権の自立路線を賞賛している。
また日本の戦後責任に関しては、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーが1985年5月8日のドイツ連邦議会において行った演説中の一節「過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる」を引用することが多い。
外国人参政権の立法化にも積極的な見解を持ち、2007年11月8日国会開催期間中に、在日本大韓民国民団が主催する「永住外国人地方参政権の早期立法化を訴える全国決起大会」にも参加した。
2008年4月14日のTBSラジオ『BATTLE TALK RADIO アクセス』において、北京五輪反対を唱えることを批判した。北京五輪や長野県における聖火リレーに反対する勝谷誠彦や宮崎哲弥を右寄り保守とした上で批判対象とし、また同時に「チベットの支援者はダライラマの支援者で、かつダライラマが北京五輪開催に賛成し、チベットの独立を求めず、聖火リレーへの暴力を批判しているにもかかわらず、北京五輪や長野県における聖火リレーに反対することは矛盾している」、「かつて日本が戦争を行ったことやイラク戦争があることや米国によるニカラグアへの軍事的圧力など中国以外の国も同じようなことを行っているのだから批判できない、されるべきでない」という趣旨の発言を行った。また中国が多民族国家であることを根拠に中国がチベットに介入することを肯定、正当化した。
中国・チベット問題に関してかねてから連載コラム・ラジオなどで宗教指導者ダライ・ラマ14世の正当性には懐疑的である。中国共産党の温家宝に対して複数回支持を示している。上記ラジオ番組において北京五輪反対を唱えることを批判した際には、中国の要人がダライラマを呼ぶ際にラマ=法王という尊称を付けずに「ダライ」と呼ぶことと温家宝が「ダライラマ」と呼ぶことを比較した上でこれを根拠に、温家宝とダライラマが通じ合っており、温家宝がトップになった際には中国チベット問題は解決するという持論を展開している。
以前よりオリンピックのナショナリズム的側面自体を好んでいなかった[9]。
在野時代 [編集]
デビュー当初より他の対象とは区別することなく政治に対しての言及も行っていたが、1990年代より「神なき国のガリバー」その他においてそれが顕著となる。「新・文芸時評 読まずに語る」においては「大衆消費文化の申し子として右手から出てきて自分は何も変わっていないはずが、世の中という舞台全体がどんどん右に動いて、今は一番左に立たされているような気がする」と述べている。
1991年の東京都知事選で小沢一郎が磯村尚徳を支援したのに対し田中は当時現職の鈴木俊一を支持する意見を述べた(なお田中はそれ以前に鈴木を取材している。詳しくは当該項目参照)。また湾岸戦争時の海外派兵や小選挙区制導入には田中は反対の立場で、後に田中が結成する「新党日本」と名前の良く似ている日本新党を含め、1990年代前半の「新党ブーム」には当時厳しい評価をしており、細川護熙内閣に対しても当時のメディアや文化人が総じて画期的だと報じる中、田中は政治手法が翼賛的だと警鐘を鳴らしていた。
村山富市内閣には発足当時「理念なき野合」と評する意見が多かった中、「55年体制の二項対立を越えた内閣」と高評価を下していた。だが次第に「社会党が自民党も驚くくらい腰砕けになっている」と見方を変えた。特に阪神・淡路大震災時の危機管理のあり方については厳しい評価を下した。また青島幸男についても参議院議員時代や議員辞職後在野だった時期、さらに東京都知事就任後世界都市博覧会を中止とする決断をしたところまでは評価していたが、その後都市博中止以外の、破綻した2信用組合への対応など事実上の公約撤回に対しては「都市博を中止にしたところで都知事を辞職すれば良かった」と述べた。
長野県知事選出馬 [編集]
阪神・淡路大震災の復興ボランティアや神戸空港反対運動に参加するなど市民運動に積極的に参加し、精力的な活動から長野県の市民団体などから2000年の知事選への立候補を打診され、出馬した。当初は出馬に消極的で、在野の立場から意見表明を行うのが自分にはふさわしいと考えていたが、田原総一朗など知人からも出馬を促され立候補した。
田中の出馬表明時には現職の吉村午良知事の後継と目されていた前副知事が日本共産党以外の県議会議員や農協や建設業団体など多くの業界団体の支持を得ていて当選確実だと言われていたが、旧態依然とした長野県政の現状に加え長野オリンピックの運営費をめぐる使途不明などのスキャンダルに批判が集中した。連合の組織的な支援に加え、若さと清新なイメージで幅広い支持を受け初当選を果たし、2000年10月26日に長野県知事に就任する(なお疑惑の中心人物として名が挙がっていた「ミスターナガノ」こと吉田総一郎は、その後田中康夫の後援会「しなやか会」の幹部となった)。
長野県知事時代 [編集]
概略 [編集]
県知事就任後、「脱ダム」宣言や脱・記者クラブ宣言、車座集会など、歯に衣着せぬ発言や革新的な提案で県内外からの大きな支持と注目を集める。公共事業費や公務員人件費の削減を行ったため、長年赤字で財政再建団体へ転落寸前だった長野県の財政は黒字化し、5年間で923億円の累積債務を減少させた。また予算配分に関しては、全国で初めて全小学校の1-4年生の30人学級化を実現するなど、福祉や教育分野に重点的に配分させ、財政構造を大きく変化させた。その半面、県の「貯金」に当たる財政調整基金の大幅な取り崩しが行われた。
また、長野県の隣県であり、同じく中部圏知事会議の構成員である静岡県知事選挙において、現職の石川嘉延知事に対立する静岡空港反対派の新人候補を支援し、静岡県内で応援演説を行った。[10]。
就任直後 [編集]
マスメディアの注目を集め、中でもガラス張り知事室や当時の企業局長との「名刺折り曲げ事件」は大きな話題となった。就任直後の各新聞社の調査では軒並み高支持率であり、特に信濃毎日新聞の2000年12月の調査では91.3%を記録した。この状況にメディアの中には「思考停止に陥っており、ファシズムの様相を呈している」「ヒトラーの再来」と表現するものもあった。それに対し田中は「自分は体型的にはムッソリーニだしどちらかと言えばその方が好きだ」と返していた。
「脱ダム」宣言 [編集]
「脱ダム」宣言は、2001年2月20日に公式に発表され、ゼネコン主導の乱開発を否定するものとして多くの好意的な反響を呼んだ。その後、学識経験者などからなる治水・利水ダム等検討委員会が発足し、ダム計画のある河川の部会ごとに、ダムの必要性を徹底的に調査、審議した。政府から降りてくる公共事業費に頼りきりの体質を改善しようとする試みだが、このせいで県内の建設業界、県議会議員の多くから激しく批判されることとなった。 しかし治水・利水ダム等検討委員会が出した答申は、「ダムあり案」・「ダムなし案」の両案付記となり、特に浅川では、その後発表された計画が堤高30mから45mの堰堤を有する「河道内遊水池」と称する実質「ダム」であると批判され取り消した。
その後暫定案として本来は100年に1度の洪水に対応する治水計画を立案するところを、50年に1度の洪水の対応となる計画として既存の2箇所の溜池を改修し貯留能力を持たせる事(堰堤が15m未満は法律上ダムとならないため)を中心とした治水計画を発表したが、国土交通省との協議が安全性の低下が原因で不調となり、追加で河川と別に地下配水管を建設する事を発表した。(ダム建設とのコスト比較はなされなかった)なお浅川の治水計画は知事交代後「河道内遊水池」案に変更になった。
また長野県議会議員の多くは、長野新幹線の操車場建設時に治水の為ダム設置を約束しているので、約束の履行を求めているが、他県と同じく大手建設業者(ゼネコン)との癒着が一部から指摘されている。中止したダム事業#脱ダム宣言によるものも参照。
こうしたことから長野県議会との確執が顕著となり、2002年7月5日、とうとう6月定例会で知事不信任決議が可決された。その不信任決議を受け7月15日に、田中は知事失職を選択し、再び知事選が行われることとなった。そして9月1日の選挙で圧倒的な得票差を付け再任された。
市町村合併 [編集]
知事就任以来、国主導の「平成の大合併」に対する慎重姿勢が際立っている。中山間地域などの合併が困難な町村に対して自立を支援する「長野モデル」を打ち出したり、「市町村合併をしない宣言」をした福島県東白川郡矢祭町を視察し、また合併の是非を問う住民投票が行われた千葉県四街道市や長崎県北松浦郡小値賀町などを訪れて合併反対派を応援したり合併反対の講演を行ったりした。長野県内では住民投票の結果を受けて合併協議が破談に追い込まれる事例が続出したが、これもこうした田中の慎重姿勢が少なからず影響していると考えられる。
それでも関係市町村議会の議決を経て合併を知事に申請した県内市町村の合併については、法に則ってその関連議案を定例県議会に提出してきたが、山口村と岐阜県中津川市の越県合併については、2004年4月に両市村からの申請を受理した後、6月、9月の定例県議会への合併関連議案提出を見送った。そして12月定例会への議案提出の条件として、全県民を対象とした意向調査の実施を決めたが、そのための関連予算案が9月定例会で否決されたことで、12月定例会でも田中知事は合併関連議案の提出を見送った。
このため、県議会の大半の会派(社民党、共産党を含む)の共同という形で合併関連議案を議員提案し、その可決を受けて知事も合併に同意、総務省への申請、官報告示を経て2005年2月13日に両市村は合併した。
脱記者クラブ宣言 [編集]
「大手マスコミの情報独占を止めさせるため」として打ち出し、記者クラブに加盟できない多くのジャーナリストや外国メディア、雑誌から賞賛された。しかし、これにより既成権益(記者会見への出席独占だけでなく、記者クラブ事務所、およびその光熱費の提供が得られる)を守ろうとする新聞社をはじめとする大手マスコミから激しく非難され、読売新聞や信濃毎日新聞などの県内外の大手マスコミとの確執を生むきっかけとなった。常に記者クラブを利権談合の頂点と指摘していた親田中派のコラムニスト・勝谷誠彦は「登場した時は万歳と持ち上げておいて、記者クラブの利権が奪われると分かった途端に反田中派になって極端なネガティブキャンペーンにより落選に追い込んだ」と大手マスコミ、特に顕著だった信濃毎日新聞の姿勢を痛烈に非難した。
「信州」改称 [編集]
2004年1月のインタビュー取材で長野県を信州と改称することを検討していると発表。改称の理由として「道州制に先立って州を作る」、「観光などでは信州という名前のほうが有利」などを挙げた。以降、ウェブサイトや自己紹介などでは「信州・長野県知事」と名乗っていた(これ以降長野県の公式サイトでも「長野県知事の田中康夫です」から「信州知事の田中康夫です」と書き換えられた)。
実際に「信州」の愛称を常用する人も多く、数々の「信州ブランド」があるものの、背景としては中南信県民(田中自身も少年時代を松本市で過ごしている)が「長野県」を「長野」と略称することを好まないことがある。このことを示すかのように、2003年9月26日に住民票を長野市から下伊那郡泰阜村に移している。この問題は訴訟に発展し、2004年11月18日には同村の選挙人名簿に登録したことの適否に関する裁判で最高裁判所が上告を棄却し、田中は敗訴した。長野市の住宅を退去して泰阜村、両親宅がある軽井沢町から通勤していた。また2004年12月2日に北佐久郡軽井沢町へ住民票を移転した。
同和対策事業の見直し [編集]
日本共産党長野県議団が長年にわたって要求してきた同和対策事業の見直し問題について、同党の意向を受ける形で、平成13年度(2001年)に26億7187万5千円あったものを、平成18年度(2006年)には4230万円までに縮小した。このような一種のタブーとされている領域にメスを入れた自治体は日本には少ない。ただし、この見直しは国の地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律の失効(2002年3月末)に合わせたものである。これを受けて県下の各市町村(昭和38年の長野県による答申では139市町村中で74市町村、266地区に4883世帯。平成5年の旧総務庁統計では121市町村中で59市町村、254地区に4596世帯。全体的な傾向として北信地方と東信地方に偏在していた)でも同和政策予算の見直しや削減が進んでいる。
「新党日本」結成 [編集]
かつてナチズムに抵抗するために共産主義者と手を結んだド・ゴールの話を引用し、小異を捨てて大同に付くべきだ(協力して自民党親米保守の新自由主義に抵抗すべき)として、2005年8月21日にパレスホテルで長野県知事在職中ながら、郵政民営化問題で離党した自民党保守本流派と新党日本立党に参加し、代表に就任する。
党代表に就任するも知事職は辞さず、副知事不在のまま選挙運動を行い県内に動揺を招いた。また、国民新党から参議院の長谷川憲正が出入りするなど「選挙互助会」と揶揄された。なお、この騒動の最中に朝日新聞長野支局記者が、亀井静香と田中康夫の会談が長野県であったかのような虚偽のメモをでっち上げ、それに基づいた捏造記事が紙面に掲載されるという事件も起きた。
2006年9月の首班指名選挙では新党日本に所属する荒井広幸参議院議員が、新党日本と統一会派を組んでいる国民新党の綿貫民輔に投票せず、自民党総裁の安倍晋三に投票。新党日本は代表の田中康夫が国会議員ではないために自主投票としていたが、国民新党がこれを問題視し、荒井への厳正処分を要求。党代表の田中が処分をしない方針を打ち出したため、国民新党は衆参両院において新党日本との統一会派を解消した。
支持率低下、落選 [編集]
急進的な政策転換に対しては野党が多くを占める県議会や業界団体の反発を惹起し、当初の知事選で支持していた連合も労働委員会の人事をめぐる対立から支持を撤回。代わりに当初田中に批判的だった日本共産党が事実上の与党になった。加えて、独特のパフォーマンスに対する批判から当初田中を擁立した面々も批判の度を強め、2選目の後期は支持率を落とした。
対立する議会との溝は埋まらず3選を目指した2006年の知事選では支援したのは共産党だけであった。さらに折りしも集中豪雨による洪水が多発し、田中の脱ダム政策に対する不信感が県民の間に芽生えた。自由民主党・公明党の推薦と連合の支援を受けてダム計画再開を主張するとともに組織型選挙を展開する対立候補の村井仁に競り負け落選した。田中の得票数は534,229票、村井は612,725票だった。村井は田中の改革や政治姿勢を「見せ掛けだけ」・「独裁者だ」と痛烈に批判、当選後は田中の全政策を完全否定・完全清算することを宣言し、田中知事の改革の象徴だったガラス貼りの知事室を廃止した。旧・ガラス貼り知事室は、長野県観光協会が使用することになった。
2006年8月31日、長野県知事(二期目)の任期満了に伴い退任したが、その後もしばらく通例は充て職の「信州・長野県観光協会 理事長」など13団体の役職に留まっていた。2006年10月、ようやくそうした役職に関する辞任届が提出されたことが報道される。
参議院議員時代 [編集]
その後の2007年には、4月の東京都知事選や統一地方選挙の北海道夕張市長選挙への立候補を示唆したものの、最終的に見送った。
2007年7月の参議院議員選挙には、新党日本からジャーナリストの有田芳生らとともに比例区から立候補した。なお、この選挙の際に新党日本は選挙区には候補者を立てなかった。
その直前の7月5日には、荒井広幸幹事長と滝実総務会長が、党運営及び参院選に際しての選挙公約が党所属国会議員である滝と荒井の了承を経ずに決定されたことをめぐって離党し、結党当時に国会議員であったメンバーはいなくなる。これに伴い新党日本に現職国会議員がいなくなったことにより、選挙活動に対する政党助成金が大幅に減った。
しかし、政治団体の場合は比例区に候補者を擁立するには合計10人以上擁立しなければならないところだったが、2005年の衆院選の得票率で政党要件を満たしていたため、10人擁立しなくても比例全国ブロックで立候補できた。田中は比例区で458,211票を獲得し初当選した。この参院選における田中が当選したことに伴い在籍国会議員が復活したため、新党日本は再び政党助成金が受け取れるようになった。
なお、同年9月の第168臨時国会の開会を前に民主党代表・小沢一郎が単独会派での参院過半数をめざし、全国区で人気の高い田中に対して参議院での統一会派結成を打診。田中はこの要請を承諾し、9月10日付で統一会派「民主党・新緑風会・日本」を結成した。
作家として [編集]
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執筆活動 [編集]
第17回文藝賞受賞作品となり、社会現象とまで言われたデビュー作『なんとなく、クリスタル』の、既成の文学の形態から逸脱した文体や視点(ややポストモダン文学寄りと言われている)は、当時日本の文学界に衝撃を与え、『純文学』的なものを良しとする風潮がまだまだ強かった文学界やマスコミを中心に賛否両論を巻き起こした。
「価値紊乱者」であることを自認している。これは言い換えれば「物質的ブランドと精神的ブランドは等価値であり優劣は付けられない」ということで、この主張はデビュー当時より行っている。また小説執筆の際は「サースティ」、すなわち「物質的には満ち足りているが精神的には不満足」といったテーマで作品を書くことが多く、同名の短編集も出している。
文藝賞選考委員を第33-34回、第39-42回、第45回と務めたこともあるが、前述のように精神的ブランドに依拠しているとしていわゆる「作家ギルド」的な集まりを嫌うこともあり、文学界では一匹狼的存在である。ただし決して既存の文学者との交流がなかったわけではなく、生前の川上宗薫や中上健次との思い出を著書で語っている。
かなりの遅筆であり、1994年当時の「ペログリ日記」中でも「どんな種類の原稿も同じスピードでしか書けない」と述べている(ただし当時は手書きでの執筆だったため、その後パソコン導入により執筆ペースが変化がもたらされた可能性はある)。また日常あまり用いない外来語や漢語を表現として用いることや、さらにそこに本来の読みとは異なるルビを振ることも多い。長野県知事時代にも「クリエイティブ・コンフリクト(=創造的な闘争、官僚との馴れ合いを排した議論)」「パブリック・サーヴァント(=公僕)」といった言葉が分かりづらいと指摘されたことがある。
ワーズワースの“Plain living, High thinking”という言葉を好み、いわゆる「清貧」や「暮らしは質素に、思いは高く」という意味にとどまらず「奢侈ではない、分に応じた飾らぬ、けれども物質的には豊かな生活の中から、豊かな心と高い理想、そして思考が生まれる」を表しているとしている。「矜持と諦観」、すなわちプライドと謙虚さを同時に持ち合わせることが重要とも主張している。
評論活動 [編集]
小説やエッセイ以外にも日記文学や各種評論の著書も多い。特に普段から利用しているホテルやレストラン、デパート業界などへの評論活動が知られており、著書だけではなく多数の雑誌への連載も行っていた。なお、長野県知事時代は公的な立場であるため評論活動は、自身の政策、活動の主張を盛り込んだ「ペログリ日記」や「愛の大目玉」などに限っていた。
村上春樹が『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年 谷崎潤一郎賞を受賞)を発表してしばらくたった頃、田中康夫が当時レギュラーで出演していた『笑っていいとも』で「村上春樹は作家としてもうダメだ。これから先は何も書けないだろう」と言った(村上の次作は大ベストセラーになった『ノルウェイの森』)。それを村上が住宅ローンを組もうとしていた銀行の担当者が見て、住宅ローンを断られてしまった。テレビの社会的影響力を考えず無責任な発言をした田中を村上は揶揄を交えて批難している。[11]
「是々非々で評価する」として、親交の深い関係にある対象でも容赦なく批判することも、かつて激しく叩いた対象を一転して評価することも多い。例えば『朝日ジャーナル』時代に「若者たちの神々」最終回で対談し、その後「ファディッシュ考現学」連載を依頼された筑紫哲也を、田中が前述のように厳しい評価を下していた細川内閣に対して筑紫が無批判であったことから「筑紫哲也朽ちたり」と評したり、阪神・淡路大震災時の報道姿勢について「湯治場発言」や田中の知人の受けた取材に問題があるとして批判したりもした。デビュー時に『なんとなく、クリスタル』を高く評価した江藤淳にも忌憚なく意見を述べていた。
また1990年代中盤まではコンピュータやネット関連は揶揄の対象、あるいは無関心で、自らが機械音痴であることを認めていた。例えばWindows95発売が『モーニングEye』出演時に取り上げられた際にはほとんど興味を示していなかったが、1990年代終盤にパソコンを購入し、以降パソコン及びインターネットの利点を盛んに主張するようになった。「既存のメディアにない自由闊達な議論が行われている」と2ちゃんねるが比較的無名な頃より評価しており、自らも2ちゃんねらーであることを公言していた。長野県知事時代もメールで意見を広く募ることを売りにしたり、ネットを活用することで迅速さや効率を向上させることを目指す発言をしたりしていた。「Linux的生き方とは」という講演も行っている。[12]しかし2000年代中盤になってからはインターネットや2ちゃんねるへの賞賛はほとんど見られなくなり、ネット右翼への否定的意見も表明している。
運輸業界に対しては1980年代後半には閉鎖的体質についてJALを、1990年代前半には事実上の独占状態についてJRを、1990年代後半にはかつての余裕が失われているとしてANAを批判した。JR批判の際は批判が掲載された「SPA!」が数ヶ月間全てのJRの駅キオスク売店に置かれなくなったこともあった。
出版社との関係 [編集]
前出「ファディッシュ考現学」時代は講談社について、当時の「FRIDAY」の副編集長が創刊時に述べた「雑誌としての理念なんてない」という発言を引き合いに出し、編集姿勢や他社刊行の雑誌との類似性(例:「FRIDAY」と「FOCUS」、「Hot-Dog PRESS」と「POPEYE」など)を批判し「大日本雄弁会講談社(講談社の旧社名)に連載や執筆の類を行ったことがないのを誇りに思っているのはこの私」とまで述べていた。
しかし後には「肩の力の抜けた出版社になった」として「週刊現代」その他で連載を持つなど、講談社とは友好関係にある。1994年当時に景山民夫が講談社批判を行った際にも「ポスト・ファッディッシュな評価をすべき」(=『ファッディッシュ』当時とは状況が異なる)と述べている。講談社と同じく音羽グループに属し、やはり批判対象だった光文社についても同様に連載を行った。
また角川書店とは、1980年代には単行本が文庫本化される際に角川文庫から出版されることが多かったが、1990年代初頭を境に文庫本は河出書房新社その他から出版するようになり、角川文庫収録作品も河出文庫より再刊された。一方会社設立当初には同時期作られた日本新党になぞらえて揶揄していた幻冬舎から著書も出している。
扶桑社とは阪神・淡路大震災時にダイエーが行っていた商行為に関しての事実関係を巡って、「神なき国のガリバー」連載終了となり一時期関係が冷え込んだが、その後は関係を回復している。
作品 [編集]
小説 [編集]
「なんとなく、クリスタル」(処女作)
「ブリリアントな午後」
「葉山海岸通り」 (単行本時のタイトルは「空蝉」)
「いつまでも、クリスピー」
「スキップみたい、恋みたい」
「ハッピー・エンディング 」
「三田綱坂、イタリア大使館」
「サースティ」
「昔みたい」
「H」
「あなたへの花ことば」 (単行本時のタイトルは「チャイナピンクの花嫁衣裳」)
「オン・ハッピネス」
「個人的な出来事」(未刊)
「なかなか来ない」(未刊)
日記文学 [編集]
「東京ペログリ日記」
「神戸震災日記」
エッセイ [編集]
「トーキョー大沈入」
「ファディッシュ考現学」 (「ファディッシュ」とはfaddish(=fadの形容詞形)、ファッション=流行になる前段階を指す)
「神なき国のガリバー」
「嗤う!」
「一炊の夢」
「田中康夫が訊く食の極み」
「ナガノ革命638日」
評論 [編集]
「たまらなく、アーベイン」 (洋楽レコードレビュー)
「新・文芸時評 読まずに語る」
「全日空は病んでいる」
「いまどき真っ当な料理店」
「それでも真っ当な料理店」
レクチャー [編集]
「恋愛自由自在」
「田中康夫の恋はビジネス」
「恋愛事始め」
「東京ステディ・デート案内」
「田中康夫の大学受験講座」
「SM恋愛序説」
「愛の復習、恋の予習」
「ハイライフ、ハイスタイル」
共著など [編集]
「感覚の論理学」 (青木保との共著)
「感覚の倫理学」 (イエス・チャンドラーとの共著)
「フェティッシュな時代」 (古井由吉との共著)
「ソムリエに訊け」 (田崎真也との共著)
「田中康夫主義」
「憂国呆談」「神戸から長野へ 新・憂国呆談」(浅田彰との共著)
「ぼくたちの時代」(作品集)
連載もしくは不定期連載を行っていた雑誌(一部) [編集]
週刊文春
朝日ジャーナル
週刊朝日
女性自身
週刊SPA!
噂の眞相
NAVI
GQ
25ans
これ以外に「田中康夫のトレンドペーパー」という会員制雑誌を1980年代に発刊していた。表紙イラストは渡辺和博だった。「ソムリエに訊け」も同誌の連載が元になっている。
受賞歴 [編集]
第17回文藝賞受賞(1980年)
テレビ・ラジオ出演 [編集]
テレビ [編集]
「テレビは見るものではなく出るもの」が持論で、ほとんどテレビ視聴の習慣はないと「ペログリ日記」当時には述べている。「なんとなく、クリスタル」で話題を呼んだ後、フジテレビ「笑っていいとも!」金曜日のコーナー「五つの焦点(フォーカス)」にレギュラー出演したのを皮切りに、テレビ朝日の女性向け情報番組「Oh!エルくらぶ」(1986年 - 1992年、番組自体は1997年まで)、読売テレビのワイドショー「Beアップル2時!」(1992年 - 1993年)では司会も務めた。それ以外にも報道番組への積極的な出演のほか、バラエティ番組をはじめ、数多くの番組に出演した。また、フジテレビ「たけし・逸見の平成教育委員会」では生徒(解答者)として出演。「たけし落とし」を完成させ、世界一周海外留学の旅を獲得したこともある。(なおビートたけしとの関係は当該項目を参照のこと。)
県知事就任以降は、長野県の観光資源を広くPRする事を意識し、トーク番組やバラエティ番組の出演の際には、県の名産品などを積極的に紹介することが多かった。また、長野県内で流れる「シートベルト装着」のキャンペーンCMにも自ら出演し、呼びかけを行っていた(SMAP×SMAPでのゲスト出演の際など)。
ラジオ [編集]
ラジオ番組の出演も多く、過去には文化放送「梶原しげるの本気でDONDON」のコメンテーターを長年に亘り担当。この他、大阪・MBSラジオの「さてはトコトン菊水丸」をはじめ、神戸空港問題で旧知の仲となった河内音頭の歌手・河内家菊水丸がパーソナリティを務めるワイド番組にも不定期で出演。また、TBSラジオの「BATTLE TALK RADIO アクセス」では、2007年現在も隔週月曜のコメンテーターとして出演している。なお、この番組は月曜から金曜までの放送だが、知事就任後から2005年3月まで、地元長野のSBC信越放送が、田中が出演する月曜のみネットし、放送していた。それ以外にも2008年現在は文化放送「吉田照美 ソコダイジナトコ」の毎週火曜日にも午前7時から10分間、主に電話で出演している。
歌手として [編集]
1982年に発売された企画もののLPレコード「音版ビックリハウス ウルトラサイケ・ビックリパーティー」 の中で、雑誌「ビックリハウス」の編集長・高橋章子とのデュエットで「ブリリアントなクリスタルカクテル」(作詞:田辺聖子/作曲:沢田研二)という曲を収録し、発売した。この時のレコーディングの模様は、知事初当選の翌朝、一部テレビ番組で秘蔵映像として放送された。また、1981年に発売された柴田恭兵の楽曲「なんとなくクリスタル」に作詞家としてデビューを果たしている。
プライベート [編集]
女性関係 [編集]
離婚歴が1回あるもののその後は独身である。女性関係に関しては著作内やテレビ出演時にも自ら頻繁に言及しているほか、恋愛に関する著書も多数ある。知事選出馬時には相手候補が『ペログリ日記』の一節をコピーして配り、「第2の横山ノックになる」とネガティブ・キャンペーンを行った(が逆効果であった)こともあった。なお『ペログリ日記』の「ペログリ」とは田中の造語「ペロペロちゃん、グリグリちゃん」の略で、より正確にはもともとは同語が雑誌で取り上げられた際に略されたもので、当初は「余裕がなさそうにも思える」としていた。後に「お食事後に性行為をする」の意味で「おショックス」なる概念も提唱したものの、こちらは定着しなかった。
自動車 [編集]
ランチア・テーマ8.32また作家デビュー当時から自動車を使ったデートスポットなどの評論を行っていたことや、著書内で自動車ブランドの考察を行っていたことなどから、ファッション誌などで評論を行う他、「NAVI」などの自動車雑誌への不定期連載も行っていた。なお、過去は「飛ばし屋」としても有名で、アウディに乗っていた頃に数回全損事故を起こした経験がある。
過去の愛車 [編集]
アウディ80GLE
アウディ100CD
アウディ200クワトロ
アウディ200ターボ
アルピーヌV6ターボ
ランチア・テーマ8.32(2台乗り継ぐ)
BMW・Z3
関連項目 [編集]
新党日本
脱ダム宣言
しらけ世代
朝日新聞の新党日本に関する捏造事件
神戸空港
客室乗務員 (旧名称「スチュワーデス」の「スッチー」呼称を考案した)
イベント系サークル
ぬいぐるみ (愛好家としても有名)
人物 [編集]
浅田彰
『逃走論』当時からの長年の親交があり、長年の対談をまとめた『憂国呆談』その他共著多数。
安斎肇
個人キャラクター「ヤッシー」デザインを行う。
河内家菊水丸
神戸空港反対運動時よりの旧知の仲だったが、2007年現在は没交渉。
田原総一朗
長年の付き合いであり、田中が1000万円を獲得したクイズ$ミリオネアに田原が出演した際のサポーター(応援者)も田中だった。
田崎真也
共著として『ソムリエに訊け』があり、長野県原産地呼称管理制度ワイン官能審査委員長も務めている。
岡留安則
『噂の眞相』編集長時代、(『断筆宣言』を発表して連載を降りた筒井康隆に代わって)「ペログリ日記」連載依頼をした。
西川りゅうじん
田中と同じく一橋大学出身で、『一橋マーキュリー』を復刊させた。長野県スキー再興戦略会議メンバーでもある。
佐高信
田中とは考え方が近く、互いの著書にしばしば名前が登場する。ただし選挙時には佐高は社民党に近い立場を取る。
勝谷誠彦
しばしば対談などを行う。田中の支援者の1人だが、北京五輪問題を論じたラジオ番組では田中は中国政府によるチベット弾圧を支持し、その批判者として「勝谷うんたらとかいう人」と槍玉にあげた。
山城新伍
山城の著書にある「人間は生まれながらに平等というのは幻想である、不平等だからこそ平等を目指さなければならない」との記述に共鳴している他、司会する番組にも多数出演している。また、共通の知人として会津小鉄会の三上忠がいる。
櫻井よしこ
国家観の違いがある(憲法関連)ものの、お互いの事を高く評価し合っている他、小泉・竹中路線に批判的な点など共同歩調を取ることも多い。
南美希子
『Oh!エルくらぶ』時代からの親交がある。
香山リカ
田中が数少ない理解者として名前を挙げ、共著もある。
松任谷由実
1980年代までは「悲しいほどお天気」などを例に挙げてその音楽世界を評価する他親交もあったが、1990年代以降は楽曲に魅力がなくなり「裸の王様」になっているとしている。
小林よしのり
『言いたいこと、言うべきこと』所収の対談にて小林の『おぼっちゃまくん』は『なんとなく、クリスタル』の影響を受けていることが明かされた。その後小林が自虐史観批判に傾倒するようになると批判対象となるが、2004年頃から反小泉である点では一致するようになる。
猪瀬直樹
『ミカドの肖像』出版当時に批判を行い、小泉内閣の行革断行評議会や道路関係四公団民営化推進委員会委員、石原都政の東京都副知事を歴任していることからその後も批判の対象となる。
宅八郎
『噂の眞相』時代に宅がストーキング行為を行い、当時の愛車のランチアや自宅への破損行為を行った、それ以前に田中の書いた文章が発端と宅は主張している。
中上健次
生前に、田中が交友を持った作家。
脚注 [編集]
^ 田中康夫「田中康夫の東京ペログリ日記リターンズ」2008年1月13日(WEB SPA!)、『日本紳士録』交詢社
^ [田中康夫知事定例会見 http://www.pref.nagano.jp/hisyo/press/press_h.htm]2003
年11月21日(長野県)。
^ 『日本紳士録』交詢社
^ 田中知事、松本歯科大客員教授に/長野県IDN 歯科関連ニュース。
^ [有名人が語る受験必勝法]一橋大法学部合格、新党日本代表・田中康夫氏:直撃インタビュー:社会特集:スポーツ報知 スポーツ報知。
^ [有名人が語る受験必勝法]一橋大法学部合格、新党日本代表・田中康夫氏:直撃インタビュー:社会特集:スポーツ報知 スポーツ報知。
^ http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200512/
^ 石原知事定例記者会見録 2004年8月13日
^ [1]
^ 自らのブログでも静岡空港に反対する意見を改めて表明している。いつまで続く「究極の選択」
^ 「そうだ、村上さんに聞いてみよう」P162
^ 「Linux的な生き方とは」田中康夫知事が講演 nikkei BPnet
外部リンク [編集]
ヤスキチ - 公式サイト
新党日本
東京ペログリ日記
続・憂国呆談
youtube田中Channel
『ザ・選挙』田中康夫政治家情報ページ
『ザ・選挙』政党CH新党日本ページ
先代:
結成 新党日本 代表
初代: 2005年 - 次代:
現職
[表示]表・話・編・歴新党日本
執行部 代表 - 田中康夫 副代表 - 有田芳生 幹事長 - 不在 総務局長 - 平山誠
歴代代表 初代:田中康夫
所属国会議員 田中康夫(参議院議員)
その他・関連項目 郵政民営化(郵政解散)
関連カテゴリ 新党日本
45 ‐ 49代:
吉村午良 長野県知事
50・51代:2000年 - 2006年 52代:
村井仁
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三浦しをん
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■■■■■(みうら しおん、本名同じ、1976年(昭和51年)9月23日 - )は、日本の小説家・随筆家である。女性。
来歴・人物 [編集]
東京都出身。■■■■中学高等学校から、■■■大学■■■学部演劇映像学科に進む。当初、編集者志望であり出版各社への就職活動中、■■書房での入社試験の作文から、担当面接者であった編集者(村上達朗)に執筆の才を見出され、村上が早川書房を退社後に作家に転進するよう、勧められる。1999年3月、同大学卒業。2000年4月、就職活動の経験をもとに処女小説『格闘する者に○』(草思社)を出版。これに先立ち、1998年11月から、Boiled Eggs Onlineのサイトにおいて、ウィークリー読書エッセイ『しをんのしおり』を連載する。
少女漫画やボーイズラブ作品に造詣が深いことが知られており、好きな行為は妄想。現在、雑誌『コバルト』にて【■■■■短編小説賞】の審査員もしている。2008年から【■■■賞選考委員】。2009年から【■■治虫文化賞選考委員】。
父親は【上代■■・伝承文学】研究者として著名な立正大学の三浦佑之教授。
受賞歴 [編集]
2005年
3月、『私が語りはじめた彼は』で【■■周五郎賞】候補作
7月、『むかしのはなし』で第133回(平成17年度上半期)直木賞候補
2006年
7月、『まほろ駅前多田便利軒』で第135回(平成18年度上半期)【■■賞】受賞。
著書 [編集]
『格闘する者に○』(草思社、2000年4月、ISBN 4794209606)
『格闘する者に○』(新潮文庫、2005年3月、ISBN 4101167516)
『極め道―爆裂エッセイ』(光文社知恵の森文庫、2000年10月、ISBN 4334780423)
『極め道―爆裂エッセイ』(光文社文庫、2007年6月、ISBN 4334742602)
『月魚』(角川書店、2001年5月、ISBN 4048732889)
『月魚』(角川文庫、2004年5月、ISBN 4043736029)
『妄想炸裂』(新書館、2001年7月、ISBN 4403220428)
『妄想炸裂』(新書館ウィングス文庫、2003年11月、ISBN 4403540724)
『白蛇島』(角川書店、2001年12月、ISBN 4048733370)
『白いへび眠る島』(『白蛇島』より改題、角川文庫、2005年5月、ISBN 4043736037)
『秘密の花園』(マガジンハウス、2002年3月、ISBN 4838713665)
『秘密の花園』(新潮文庫、2007年3月、ISBN 4101167540)
『しをんのしおり』(新潮社、2002年5月、ISBN 410454101X)
『しをんのしおり』(新潮文庫、2005年11月、ISBN 4101167524)
『人生激場』(新潮社、2003年10月、ISBN 4104541028)
『人生激場』(新潮社文庫、2006年8月、ISBN 4101167532)
『ロマンス小説の七日間』(角川文庫、2003年11月、ISBN 4043736010)
『夢のような幸福』(大和書房、2003年12月、ISBN 4479681523)
『夢のような幸福』(新潮文庫 2008年3月、ISBN 4101167567)
『私が語りはじめた彼は』(新潮社、2004年5月、ISBN 4104541036)
『私が語りはじめた彼は』(新潮社文庫、2007年8月、ISBN 9784101167558)
『乙女なげやり』(太田出版、2004年7月、ISBN 4872338596)
『乙女なげやり』(新潮文庫、2008年9月、ISBN 9784101167572)
『むかしのはなし』(幻冬舎、2005年2月、ISBN 4344007417)
『むかしのはなし』(幻冬舎文庫、2008年2月、ISBN 9784344410954)
『桃色トワイライト』(太田出版、2005年8月、ISBN 4872339738)
『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋、2006年3月、ISBN 4163246703)
『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫、2009年1月、ISBN 9784167761011)
『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ社、2006年7月、ISBN 4591093565)
『風が強く吹いている』(新潮社、2006年9月、ISBN 4104541044)
『シュミじゃないんだ』(新書館、2006年11月、ISBN 4403220487)
『きみはポラリス』(新潮社、2007年5月、ISBN 4104541052)
『あやつられ文楽鑑賞』(ポプラ社、2007年5月、ISBN 4591097838)
『仏果を得ず』(双葉社、2007年11月、ISBN 4575235946)
『悶絶スパイラル』(太田出版、2008年1月、ISBN 4778311027)
『光』(集英社、2008年11月、ISBN 9784087712728)
『純白のライン』2008年12月(アシックスのWEBサイトで公開[1] )
『ビロウな話で恐縮です日記』(太田出版、2009年2月、ISBN 9784778311605)
外部リンク [編集]
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三浦 しをん(みうら しおん、本名同じ、1976年(昭和51年)9月23日 - )は、日本の小説家・随筆家である。女性。
目次 [非表示]
1 来歴・人物
2 受賞歴
3 著書
4 外部リンク
来歴・人物 [編集]
東京都出身。横浜雙葉中学高等学校から、早稲田大学第一文学部演劇映像学科に進む。当初、編集者志望であり出版各社への就職活動中、早川書房での入社試験の作文から、担当面接者であった編集者(村上達朗)に執筆の才を見出され、村上が早川書房を退社後に作家に転進するよう、勧められる。1999年3月、同大学卒業。2000年4月、就職活動の経験をもとに処女小説『格闘する者に○』(草思社)を出版。これに先立ち、1998年11月から、Boiled Eggs Onlineのサイトにおいて、ウィークリー読書エッセイ『しをんのしおり』を連載する。
少女漫画やボーイズラブ作品に造詣が深いことが知られており、好きな行為は妄想。現在、雑誌『コバルト』にてコバルト短編小説賞の審査員もしている。2008年から太宰治賞選考委員。2009年から手塚治虫文化賞選考委員。
父親は上代文学・伝承文学研究者として著名な立正大学の三浦佑之教授。
受賞歴 [編集]
2005年
3月、『私が語りはじめた彼は』で山本周五郎賞候補作
7月、『むかしのはなし』で第133回(平成17年度上半期)直木賞候補
2006年
7月、『まほろ駅前多田便利軒』で第135回(平成18年度上半期)直木賞受賞。
著書 [編集]
『格闘する者に○』(草思社、2000年4月、ISBN 4794209606)
『格闘する者に○』(新潮文庫、2005年3月、ISBN 4101167516)
『極め道―爆裂エッセイ』(光文社知恵の森文庫、2000年10月、ISBN 4334780423)
『極め道―爆裂エッセイ』(光文社文庫、2007年6月、ISBN 4334742602)
『月魚』(角川書店、2001年5月、ISBN 4048732889)
『月魚』(角川文庫、2004年5月、ISBN 4043736029)
『妄想炸裂』(新書館、2001年7月、ISBN 4403220428)
『妄想炸裂』(新書館ウィングス文庫、2003年11月、ISBN 4403540724)
『白蛇島』(角川書店、2001年12月、ISBN 4048733370)
『白いへび眠る島』(『白蛇島』より改題、角川文庫、2005年5月、ISBN 4043736037)
『秘密の花園』(マガジンハウス、2002年3月、ISBN 4838713665)
『秘密の花園』(新潮文庫、2007年3月、ISBN 4101167540)
『しをんのしおり』(新潮社、2002年5月、ISBN 410454101X)
『しをんのしおり』(新潮文庫、2005年11月、ISBN 4101167524)
『人生激場』(新潮社、2003年10月、ISBN 4104541028)
『人生激場』(新潮社文庫、2006年8月、ISBN 4101167532)
『ロマンス小説の七日間』(角川文庫、2003年11月、ISBN 4043736010)
『夢のような幸福』(大和書房、2003年12月、ISBN 4479681523)
『夢のような幸福』(新潮文庫 2008年3月、ISBN 4101167567)
『私が語りはじめた彼は』(新潮社、2004年5月、ISBN 4104541036)
『私が語りはじめた彼は』(新潮社文庫、2007年8月、ISBN 9784101167558)
『乙女なげやり』(太田出版、2004年7月、ISBN 4872338596)
『乙女なげやり』(新潮文庫、2008年9月、ISBN 9784101167572)
『むかしのはなし』(幻冬舎、2005年2月、ISBN 4344007417)
『むかしのはなし』(幻冬舎文庫、2008年2月、ISBN 9784344410954)
『桃色トワイライト』(太田出版、2005年8月、ISBN 4872339738)
『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋、2006年3月、ISBN 4163246703)
『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫、2009年1月、ISBN 9784167761011)
『三四郎はそれから門を出た』(ポプラ社、2006年7月、ISBN 4591093565)
『風が強く吹いている』(新潮社、2006年9月、ISBN 4104541044)
『シュミじゃないんだ』(新書館、2006年11月、ISBN 4403220487)
『きみはポラリス』(新潮社、2007年5月、ISBN 4104541052)
『あやつられ文楽鑑賞』(ポプラ社、2007年5月、ISBN 4591097838)
『仏果を得ず』(双葉社、2007年11月、ISBN 4575235946)
『悶絶スパイラル』(太田出版、2008年1月、ISBN 4778311027)
『光』(集英社、2008年11月、ISBN 9784087712728)
『純白のライン』2008年12月(アシックスのWEBサイトで公開[1] )
『ビロウな話で恐縮です日記』(太田出版、2009年2月、ISBN 9784778311605)
外部リンク [編集]
Boiled Eggs Online - ボイルドエッグズは、日本人作家・著者のための著作権エージェントである。
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31位 信州大学 ・ 大阪府立大学 ・ 関西学院大学 ・ 専修大学 ・ 成蹊大学 6人
36位 日本女子大学 ・ 埼玉大学 ・ 東洋大学 ・ お茶の水女子大学 ・ 明治学院大学 5人
41位 山形大学 ・ 千葉大学 ・ 広島大学 4人
44位 横浜市立大学 ・ 東京経済大学 ・ 静岡大学 ・ 津田塾大学 ・ 関西大学 ・ 首都大学東京 ・ 新潟大学 ・ 聖心女子大学 ・ 横浜国立大学 ・ 大阪市立大学 ・ 小樽商科大学 ・ 長崎大学 ・ 国際基督教大学 3人
57位 武蔵大学 ・ 島根大学 ・ 高知大学 ・ 獨協大学 ・ 鹿児島大学 ・ 藤女子大学 ・ 白百合女子大学 ・ 拓殖大学 ・ 北海学園大学 ・ 東京国際大学 ・ 駒澤大学 ・ 京都女子大学 ・ 芝浦工業大学 ・ 京都府立大学 ・ 東京電機大学 ・ 琉球大学 ・ 山口大学 ・ 玉川大学 ・ 名古屋工業大学 ・ 大谷大学 ・ 北海道教育大学 ・ 東京農工大学 ・ 茨城大学 ・ 神奈川大学 ・ 追手門学院大学 ・ 神戸大学 2人
83位 大阪電気通信大学 ・ 南山大学 ・ 愛知教育大学 ・ 甲南大学 ・ 弘前大学 ・ 近畿大学 ・ 二松學舍大学 ・ 福岡大学 ・ 愛知大学 ・ 函館大谷短期大学 ・ 大阪大谷大学 ・ 亜細亜大学 ・ 三重大学 ・ 同志社女子大学 ・ 大阪工業大学 ・ 愛知県立大学 ・ 相愛大学 ・ 岩手県立大学 ・ 和光大学 ・ 豊橋技術科学大学 ・ 都留文科大学 ・ 共立女子大学 ・ 名古屋芸術大学 ・ 東海大学 ・ 千葉商科大学 ・ 工学院大学 ・ 大妻女子大学 ・ 尚美学園大学 ・ 名古屋造形大学 ・ 東北薬科大学 ・ 神奈川歯科大学 ・ 京都市立芸術大学 ・ 跡見学園女子大学 ・ 目白大学 ・ 東京女学館大学 ・ 岡山大学 ・ 明星大学 ・ 神戸女学院大学 ・ 東京医科大学 ・ 京都外国語大学 ・ 大東文化大学 ・ 多摩美術大学 ・ 愛媛大学 ・ 東京学芸大学 ・ 大阪教育大学 ・ 佛教大学 ・ 明治薬科大学 ・ 大阪樟蔭女子大学 ・ 文教大学 ・ 京都教育大学 ・ 関西外国語大学 ・ 昭和大学 ・ 東京工芸大学 ・ 奈良女子大学 ・ 実践女子大学 ・ 女子美術大学 ・ 岩手大学 ・ 二松学舎大学 ・ 大正大学 ・ 札幌医科大学 ・ 帝塚山学院短期大学 ・ 福岡教育大学 ・ 名古屋市立大学 ・ 東京工業大学 ・ 愛知淑徳大学 ・ 平成国際大学 ・ 金沢学院大学 ・ 武蔵野大学 ・ 電気通信大学 ・ 九州産業大学 ・ 立正大学 ・ ノートルダム清心女子大学 ・ 西南学院大学 ・ 武蔵工業大学 ・ 福島大学 ・ 学習院女子大学 ・ 秋田大学 1人
【早稲田大学出身の小説家・文筆家】
綿矢りさ 「蹴りたい背中」 京都市立紫野高校→早稲田大学教育学部国語国文学科
豊島ミホ 「神田川デイズ」 秋田県立横手高校→早稲田大学第二文学部
冲方丁 「マルドゥック・スクランブル」 早稲田大学政治経済学部中退
三浦しをん 「まほろ駅前多田便利軒」 横浜雙葉高校→早稲田大学第一文学部演劇映像学科
伊藤たかみ 「八月の路上に捨てる」 三重県立上野高校→早稲田大学政治経済学部
池上永一 「テンペスト」 沖縄県立開邦高校→早稲田大学人間科学部人間健康科学科催眠専攻中退
牧秀彦 「陰流・闇仕置」 早稲田大学政治経済学部経済学科
清水博子 「処方箋」 北海道旭川東高校→早稲田大学第一文学部文芸専修
森絵都 「カラフル」「DIVE!!」「風に舞いあがるビニールシート」 早稲田大学第二文学部
貫井徳郎 「慟哭」 東京都立青山高校→早稲田大学商学部
角田光代 「対岸の彼女」 捜真女学校高等学部→早稲田大学第一文学部文芸専修
絲山秋子 「逃亡くそたわけ」「沖で待つ」 東京都立新宿高校→早稲田大学政治経済学部経済学科
古川日出男 「ベルカ、吠えないのか?」 福島県立安積高校→早稲田大学第一文学部中退
星野智幸 「目覚めよと人魚は歌う」 東京都立戸山高校→早稲田大学第一文学部文芸専修
恩田陸 「 夜のピクニック」 茨城県立水戸第一高校→早稲田大学教育学部
堀江敏幸 「雪沼とその周辺」「いつか王子駅で」 岐阜県立多治見北高校→早稲田大学第一文学部フランス文学専修→東京大学大学院人文科学研究科博士課程中退
宇月原晴明 「安徳天皇漂海記」 早稲田大学文学部日本文学科
有吉玉青 「車掌さんの恋 東京都立富士高校→早稲田大学第一文学部哲学科卒業→東京大学文学部美学藝術学科学士入学、卒業→東京大学大学院人文科学研究科
重松清 「ナイフ」「エイジ」「ビタミンF」 山口県立山口高校→早稲田大学教育学部国語国文学科
香納諒一 「幻の女」 早稲田大学文学部
小川洋子 「妊娠カレンダー」「博士の愛した数式」 岡山県立岡山朝日高校→早稲田大学第一文学部文芸科
服部真澄 「鷲の驕り」 早稲田大学教育学部国語国文学科
いとうせいこう 「ノーライフキング」 早稲田大学法学部
大塚ひかり 「愛はひき目かぎ鼻」 早稲田大学第一文学部史学科
乃南アサ 「凍える牙」 早稲田大学社会科学部中退
吉岡平 「アイドル防衛隊ハミングバード」 岡山県立笠岡高校→早稲田大学第二文学部中退
多和田葉子 「犬婿入り」 東京都立立川高校→早稲田大学第一文学部ロシア文学科
倉阪鬼一郎 「百鬼譚の夜」 三重県立上野高校→早稲田大学文芸科
中山可穂 早稲田大学教育学部英語英文科
那須田淳 「ペーターという名のオオカミ」 早稲田大学卒業
霞流一 「おなじ墓のムジナ」 早稲田大学政治経済学部
秋月達郎 「奇蹟の村の奇蹟の響き」 早稲田大学卒業
原田宗典 「平成トム・ソーヤー」 岡山県立岡山操山高校→早稲田大学第一文学部演劇学科
荻原規子 「薄紅天女」 東京都立立川高校→早稲田大学教育学部国語国文学科
橘玲 「マネーロンダリング」 早稲田大学第一文学部
鴻上尚史 「ヘルメットをかぶった君に会いたい」 愛媛県立新居浜西高校→早稲田大学法学部
ひかわ玲子 「ゴッデス!」 恵泉女学園高校→早稲田大学
白石一文 「どれくらいの愛情」 早稲田大学政治経済学部
大崎善生 「パイロットフィッシュ」 早稲田大学卒業
保坂和志 「この人の閾」 栄光学園高校→早稲田大学政治経済学部
火坂雅志 「天地人」 新潟県立新潟高校→早稲田大学商学部
米村圭伍 「風流冷飯伝」 早稲田大学政治経済学部
中嶋博行 「第一級殺人弁護」 早稲田大学法学部
井沢元彦 「猿丸幻視行」 東京都立芦花高校→早稲田大学法学部
江上剛 「非情銀行」 早稲田大学政治経済学部政治学科
山口雅也 「日本殺人事件」 神奈川県立横須賀高校→早稲田大学法学部
久間十義 「世紀末鯨鯢記」 北海道札幌南高校→早稲田大学文学部
松井今朝子 「吉原手引草」 聖母学院高校→早稲田大学第一文学部→早稲田大学大学院文学研究科演劇学専攻
栗本薫 「グイン・サーガ」 跡見学園高校→早稲田大学文学部文芸科
篠田真由美 「建築探偵桜井京介の事件簿」 早稲田大学第二文学部
折原一 「沈黙の教室」 早稲田大学第一文学部
藤田宜永 「巴里からの遺言」「愛の領分」 早稲田大学高等学院→早稲田大学第一文学部中退
北村薫 「スキップ」 埼玉県立春日部高校→早稲田大学第一文学部
芦原すなお 「青春デンデケデケデケ」 香川県立観音寺第一高校→早稲田大学文学部→早稲田大学大学院中退
村上春樹 「ノルウェイの森」 兵庫県立神戸高校→早稲田大学第一文学部演劇科
笹倉明 「漂流裁判」「遠い国からの殺人者」 早稲田大学文学部
多島斗志之 「クリスマス黙示録」 早稲田大学政治経済学部
三田誠広 「僕って何」 大阪府立大手前高校→早稲田大学第一文学部
連城三紀彦 「恋文」「棚の隅」 愛知県立旭丘高校→早稲田大学政治経済学部
高橋三千綱 「九月の空」 東京都立神代高校→サンフランシスコ州立大学英語学科創作コース→早稲田大学文学部英文科中退
鏡明 「不確定世界の探偵物語」 東京都立新宿高校→早稲田大学文学部
立松和平 「閉じる家」「村雨」 栃木県立宇都宮高校→早稲田大学政治経済学部
打海文三 「ハルビン・カフェ」 早稲田大学政治経済学部
高橋克彦 「緋い記憶」「炎立つ」 岩手高校→早稲田大学商学部
宮崎学 「突破者」 啓光学園高校(現常翔啓光学園高校)→早稲田大学第二法学部中退
高橋義夫 「狼奉行」 早稲田大学文学部仏文学科
宮城谷昌光 「天空の舟」「重耳」 愛知県立時習館高校→早稲田大学第一文学部英文科
辺見庸 「自動起床装置」「もの食う人びと」 宮城県石巻高校→早稲田大学第二文学部
小嵐九八郎 「風が呼んでる」 神奈川県立川崎高校→早稲田大学政治経済学部
船戸与一 「虹の谷の五月」「砂のクロニクル」 山口県立下関西高校→早稲田大学法学部
檜山良昭 「大逆転!ミッドウェー海戦」 早稲田大学政治経済学部→京都大学大学院経済学研究科
青野聰 「人間のいとなみ」「母よ」 早稲田大学文学部中退
干刈あがた 「樹下の家族」 東京都立富士高校→早稲田大学第一政経学部新聞学科中退
田中光二 「血と黄金」 早稲田大学第二文学部英文科
佐藤雅美 「恵比寿屋喜兵衛手控え」 早稲田大学法学部
西木正明 「凍れる瞳」「端島の女」 秋田県立秋田高校→早稲田大学教育学部社会科中退
片岡義男 「スローなブギにしてくれ」 東京都立千歳高校(現東京都立芦花高校)→早稲田大学法学部
日下圭介 「鶯を呼ぶ少年」 早稲田大学商学部
吉行理恵 「小さな貴婦人」 女子学院高校→早稲田大学第二文学部国文科
高杉良 「乱気流-小説・巨大経済新聞」 早稲田大学文学部
南原幹雄 「銭五の海」 早稲田大学政治経済学部
山浦弘靖 「わが青春のアルカディア」 早稲田大学文学部中退
山田智彦 「水中庭園」 早稲田大学文学部独文科→早稲田大学大学院文学研究科独文科
寺山修司 「馬敗れて草原あり」 青森県立青森高校→早稲田大学教育学部国文学科中退
三木卓 「東京午前三時」 静岡県立静岡高校→早稲田大学文学部露文科
李恢成 「見果てぬ夢」「百年の旅人たち」 北海道札幌西高校→早稲田大学第一文学部露文科
大藪春彦 「蘇える金狼」 高松第一高校→早稲田大学教育学部英語英文学科中退
阿刀田高 「ナポレオン狂」 新潟県立長岡高校→東京都立西高校に転校→早稲田大学第一文学部フランス文学専修
長部日出雄 「津軽じょんから節」 青森県立弘前高校→早稲田大学文学部中退
山田太一 「藍より青く」 神奈川県立小田原高校→早稲田大学教育学部国語国文学科
荒巻義雄 「紺碧の艦隊」 北海道札幌南高校→早稲田大学第一文学部心理学科→社会人を経て、北海学園大学工学部建築学科
永六輔 「大往生」 早稲田高校→早稲田大学第二文学部中退
式貴士 「鉄輪の舞」 千葉大学文理学部英文科卒業→早稲田大学文学部英文科に編入→早稲田大学大学院
生島治郎 「黄土の奔流」「片翼だけの天使」 早稲田大学第一文学部英文学科
小林信彦 「虚栄の市」 東京高等師範学校附属高校(現筑波大学附属高校)→早稲田大学第一文学部英文学科
五木寛之 「蒼ざめた馬を見よ」「青春の門」 福岡県立福島高校→早稲田大学文学部露文科中退
宮原昭夫 「誰かが触った」 早稲田大学露文科
青島幸男 「人間万事塞翁が丙午」 早稲田大学高等学院→早稲田大学第一商学部→早稲田大学大学院商学研究科修士課程商学専攻中退
高井有一 「北の河」 早稲田大学文学部英文科
後藤明生 「夢かたり」 早稲田大学第二文学部露文学科
藤原宰太郎 「どっきり推理魔 世界の偉人は名探偵」 早稲田大学ロシア文学科
白石一郎 「海狼伝」 長崎県立佐世保北高校→早稲田大学政治経済学部
富島健夫 「喪家の狗」 早稲田大学文学部仏文科
深田祐介 「神鷲商人」「スチュワーデス物語」 暁星高校→早稲田大学法学部
三浦哲郎 「忍ぶ川」 青森県立八戸高校→早稲田大学政治経済学部経済学科休学→早稲田大学第一文学部文学科仏文学専修に再入学
常盤新平 「遠いアメリカ」 宮城県仙台第二高校→早稲田大学文学部英文科→早稲田大学大学院
清水一行 「動脈列島」 早稲田大学法学部中退
野坂昭如 「火垂るの墓」「アメリカひじき」 新潟大学中退→早稲田大学仏文科中退
竹西寛子 「贈答のうた」 広島女子専門学校(現広島県立広島皆実高校)→早稲田大学国文科
戸部新十郎 「安見隠岐の罪状」 早稲田大学政治経済学部中退
立原正秋 「冬の旅」「残りの雪」 早稲田大学国文科中退
菊村到 「受胎告知」 旧制神奈川県立湘南中学(現神奈川県立湘南高校)→陸軍予備士官学校→早稲田大学文学部英文学科
幾瀬勝彬 「死を呼ぶクイズ」 早稲田大学文学部国文科中退
小沼丹 「白孔雀のいるホテル」 早稲田大学文学部英文科
辻亮一 「異邦人」 早稲田大学仏文科
石川利光 「春の草」 旧制大分県立日田中学(現大分県立日田高校)→早稲田大学→法政大学に転学
田中英光 「オリンポスの果実」 旧制神奈川県立湘南中学(現神奈川県立湘南高校)→早稲田大学高等学院→早稲田大学政治経済学部
榛葉英治 「赤い雪」 早稲田大学英文科
多田裕計 「長江デルタ」 旧制福井県福井中学(現福井県立藤島高校)→早稲田大学文学部仏文科
田村泰次郎 「肉体の門」 早稲田大学文学部
八木義徳 「風祭」 旧制北海道庁立室蘭中学(現北海道室蘭栄高校)→北海道帝国大学水産専門部中退→早稲田大学文学部仏文科
山田克郎 「海の廃園」 早稲田大学商学部
今官一 「壁の花」 早稲田大学露文科中退
火野葦平 「麦と兵隊」 旧制福岡県立小倉中学(現福岡県立小倉高校)→早稲田大学第一高等学院(現早稲田大学高等学院)→早稲田大学英文科中退
石川達三 「生きてゐる兵隊」「金環蝕」 早稲田大学文学部英文科中退
丹羽文雄 「日日の背信」 旧制三重県立富田中学(現三重県立四日市高校)→早稲田大学第一高等学院(現早稲田大学高等学院)→早稲田大学文学部国文科
三好十郎 「歩くこと」 早稲田大学英文科
東野辺薫 「和紙」「国土」 旧制福島県立安積中学(現福島県立安積高校)→早稲田大学国漢文科
中山義秀 「厚物咲」 旧制福島県立安積中学(現福島県立安積高校)→早稲田大学文学部英文科
尾崎一雄 「暢気眼鏡」 旧制神奈川県立小田原中学(現神奈川県立小田原高校)→早稲田大学文学部国文科
尾崎士郎 「人生劇場」 旧制愛知県立第二中学(現愛知県立岡崎高校)→早稲田大学政治科中退
横光利一 「機械」 旧制三重県第三中学(現三重県立上野高校)→早稲田大学英文科除籍→早稲田大学政治経済学科中退
井伏鱒二 「山椒魚」「黒い雨」 旧制広島県立福山中学(現広島県立福山誠之館高校)→早稲田大学文学部仏文科中退
海野十三 「ロボット・オペラ」 早稲田大学理工科電気工学専攻
中河与一 「天の夕顔」 香川県立丸亀中学(現香川県立丸亀高校)→早稲田大学文学部
牧野信一 「村のストア派」 旧制神奈川県立第二中学(現神奈川県立小田原高校)→早稲田大学高等予科→早稲田大学英文科
江戸川乱歩 「D坂の殺人事件」 旧制愛知県立第五中学(現愛知県立瑞陵高校)→早稲田大学政治経済学部
葉山嘉樹 「海に生くる人々」「淫売婦」 旧制福岡県立豊津中学(現福岡県立育徳館高校)→早稲田大学高等予科除籍
木村毅 「兎と妓生と」 早稲田大学英文科
平林初之輔 「頭と足」 早稲田大学文学部英文科
鷲尾雨工 「吉野朝太平記」「明智光秀」 旧制新潟県立小千谷中学(現新潟県立小千谷高校)→早稲田大学英文科
広津和郎 「風雨強かるべし」 旧制麻布中学(現麻布高校)→早稲田大学
宇野浩二 「苦の世界」 旧制大阪府立天王寺中学(現大阪府立天王寺高校)→早稲田大学英文科
直木三十五 「 南国太平記」 早稲田大学高等師範部英語科中退
三上於菟吉 「雪之丞変化」 旧制埼玉県粕壁中学(現埼玉県立春日部高校)→早稲田大学英文科予科中退
谷崎精二 「生と死の愛」 工手学校(現工学院大学)→早稲田大学英文科
岡田三郎 「涯なき路」 早稲田大学英文科
菊池寛 「父帰る」「真珠夫人」 旧制香川県立高松尋常中学(現香川県立高松高校)→東京高等師範学校(現筑波大学)除籍→明治大学中退→早稲田大学中退→旧制第一高校(現東京大学)第一部乙類退学→京都帝国大学文学部英文科
国枝史郎 「娘煙術師」 早稲田大学英文科中退
河岡潮風 「冒険壮遊 五洲怪奇譚」 旧制兵庫県神戸中学(現兵庫県立神戸高校)→早稲田大学
吉田絃二郎 「島の秋」 佐賀県工業学校(現佐賀県立佐賀工業高校)金工科→早稲田大学文学部英文科
野尻抱影 「レオニズ見えざりし記」 旧制神奈川県第一中学(現神奈川県立希望ヶ丘高校)→早稲田大学文学部英文学科
小川未明 「金の輪」 旧制高田中学(現新潟県立高田高校)→東京専門学校(現早稲田大学)専門部哲学科→東京専門学校(現早稲田大学)大学部英文科
正宗白鳥 「戦災者の悲み」 東京専門学校(現早稲田大学)卒業
薄田斬雲 「世界横行柔道武者修業」 旧制青森県第一尋常中学(現青森県立弘前高校)→東京専門学校(現早稲田大学)
近松秋江 「別れたる妻に送る手紙」 旧制岡山県尋常中学(現岡山県立岡山朝日高校)→慶應義塾(現慶應義塾大学)中退→東京専門学校(現早稲田大学)文学部史学科
押川春浪 「海島冒険奇譚 海底軍艦」 東京専門学校(現早稲田大学)法科部
国木田独歩 「武蔵野」 旧制山口中学(現山口県立山口高校)退学→東京専門学校(現早稲田大学)英語普通科
後藤宙外 「ありのすさび」 東京専門学校(現早稲田大学)修英語科→東京専門学校(現早稲田大学)文学科に転科