日本国民栄誉賞の初受賞者。現在は福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長、
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王貞治
2009-08-03 Mon 09:30
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高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
王貞治
[ 王 貞治]
Sadaharu Oh
2006年WBC日本代表での王貞治
基本情報
国籍 台湾
出身地 日本 東京都墨田区
生年月日 1940年5月20日(69歳)
身長
体重 177cm
79kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 一塁手
初出場 1959年4月11日
最終出場 1980年10月12日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
早稲田実業学校高等部
読売ジャイアンツ (1959 - 1980)
監督・コーチ歴
読売ジャイアンツ (1976 - 1988)
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (1995 - 2008)
野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1994年
選出方法 競技者表彰
この表について[表示]
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手
王 貞治(おう さだはる、中国語拼音:Wáng Zhēnzhì、1940年5月20日 - )は、日本生まれ・台湾籍の元プロ野球選手、監督。
日本国民栄誉賞の初受賞者。現在は福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長、読売巨人軍OB会会長。
目次 [非表示]
1 概要
2 経歴
2.1 少年時代
2.2 早実時代
2.3 現役時代
2.3.1 1959年 - 1961年
2.3.2 一本足打法
2.3.3 シーズン55本塁打
2.3.4 ライバル対決
2.3.5 スランプ、そして三冠王
2.3.6 本塁打記録への挑戦
2.3.7 756号本塁打
2.3.8 選手生活最後期、そして引退
2.4 監督時代
2.4.1 巨人助監督・監督時代
2.4.2 ダイエー・ソフトバンク監督時代
3 人物
3.1 野球選手として
3.2 米国での評価
3.3 ON砲
3.4 人柄・性格
3.5 趣味
3.6 家族
3.7 国籍について
3.8 交友関係
3.9 その他の逸話
4 詳細情報
4.1 年度別打撃成績
4.2 王の節目の本塁打記録の一覧表
4.3 タイトル・表彰・記録
4.3.1 タイトル
4.3.2 表彰
4.3.3 記録
4.3.3.1 レギュラーシーズン
4.3.3.1.1 本塁打
4.3.3.1.2 打率・打点
4.3.3.1.3 長打力・得点能力
4.3.3.1.4 四死球
4.3.3.1.5 守備
4.3.3.2 日本シリーズ
4.3.3.3 オールスターゲーム
4.4 監督としてのチーム成績
4.4.1 ポストシーズン
4.4.2 WBC 国・地域別対抗野球大会
4.5 監督通算成績
4.6 背番号
4.7 CM
4.8 歌
4.8.1 本人が歌っているもの
4.8.2 歌詞に関連しているもの
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
概要 [編集]
父王仕福は中国人中国浙江省青田県出身、母王登美は華僑日本人。東京生まれ。
現役時代のニックネームは「ワンちゃん」。「世界の本塁打王」、「世界の王」とも呼ばれる。また現役時代にONコンビとして共に活躍した長嶋茂雄が「栄光の背番号3」と称されたのに対し、「栄光のビッグ1」と称されている。左投左打で内野手(一塁手)であった。現役引退後は巨人で助監督と監督、その後解説者、ダイエー・ソフトバンクの監督を歴任した。
2008年シーズン終了と同時に福岡ソフトバンクホークス監督を退任し、同球団取締役最高顧問に就任。2009年1月1日より取締役会長に昇進。日本プロ野球組織(NPB)コミッショナー特別顧問。
読売ジャイアンツ(巨人)の主軸として積み上げた通算本塁打数868本は、大リーグのハンク・アーロンの755本を抜き、世界最高本塁打数記録である。その他数々の日本プロ野球記録を保持する。巨人では入団から監督を退くまで背番号1を背に戦い、1番は巨人の永久欠番となっている。また、ダイエー・ソフトバンクでの監督時代の背番号89は、ホークスの永久欠番にするかどうかが検討されている。
第1回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の優勝監督でもあり、第2回大会では監督相談役を務める。世界少年野球推進財団の提唱者で、理事長。「ふるさと清掃運動会」実行委員長。福岡市名誉市民(2004年12月16日選定)。野球特別大使(2009年2月26日委嘱)。叙勲は中華民国(台湾)二等景星勲章(2009年2月05日受賞)。二女・王理恵はタレント。
経歴 [編集]
少年時代 [編集]
東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)で中華民国籍(浙江省青田県出身)の王仕福、日本人(富山県氷見市出身)の登美(旧姓:當住)の次男として生まれる。
実は、王貞治は5月10日に二卵性双生児の弟として出生したが、戸籍上の出生日は5月20日である。実際の出生日と戸籍上の出生日が異なる理由は諸説あり、取り上げられても泣かないほどの未熟児であったため両親が出生届の提出を躊躇したという説と、家業の中華料理ラーメン店「五十番」が多忙のため出生届の提出が遅れたなどの説がある。なお、双子の姉・廣子(ひろこ)は、1歳3か月で死去した。一方の貞治は「3つの歳まで立つことすらおぼつかなかった」と貞治本人が述べている。
太平洋戦争中の一時期、王一家は母親の旧姓『當住』を名乗っていたこともあったという。
父・仕福は長男・鐵城を医師に、次男・貞治を電気技師にして、兄弟ともに母国に戻り働いてもらいたいと考えていた。だが区立本所中時代に、のちに指導を受ける荒川博(当時毎日オリオンズ)に野球の素質を見出され、荒川の母校早稲田実業学校高等部に進学することになる。高校受験での第一志望先である都立墨田川に落ちた結果であった。
荒川との出逢いは、犬の散歩をしていた荒川が、通りがかったグラウンドで王が出ていた少年野球の試合を眺めていたというものである。試合を観ていた荒川は、当時右打ちだった王に対して「なぜ君は左で投げるのに右で打つんだ?」と質問すると、「それは、オヤジから箸と鉛筆と算盤は右でやれと言われているので、バットも右でもたないと親父に文句言われると思って…」と言った。
それを聞いて荒川は「今の野球は左利きの選手に希少価値があるのに、君はわざわざ右で打つなんてもったいない話だ…」と言った。それを聞いた王はすぐに左打ちを実践したところ二塁打を打ち、以後左で打つようになった。荒川はその時の王の印象を「なんて素直な少年なんだと思った。普通は試合中に右打ちから左打ちに変えるなんて人に言われたってしない。それをスパッとやってしまうのはすごい」と語っている。
また、この出逢いの時王は身長176cmで当時の若者としては長身だった。王の素質を認めた荒川は「君は今何年生だ?」と聞き、王が「二年生です」と答えたのを受けて荒川は高校生と勘違いし、「そうか、じゃあ早稲田大学(荒川の出身校)はどうかな?」と勧めたところ、「はい、そうなるといいのですが、その前に高校に行かないと」と王が答えた為、荒川は「二年生というのは中学生なのか」と驚いたと言う。
小学生の頃、当時の横綱:吉葉山から「相撲取りになりなさい」と勧められるほど相撲が強かった。そして本所中学校では陸上部と卓球部に在籍したことがある。野球部にも在籍していたが、グラウンドが使えなかったために休部同然の状態であった。
早実時代 [編集]
早稲田実時代は、1年生の時に外野手兼控え投手としてチームの夏の甲子園出場に貢献。2年生の時にはエースとなり、センバツで3試合連続完封により決勝戦へ進出。
決勝では4試合連続完封を逃したものの、完投勝利で関東に初めて選抜優勝旗をもたらし人気を集めた。夏の甲子園では2回戦で延長11回を完投しノーヒットノーランを達成(延長戦でのノーヒットノーラン達成は、甲子園では春夏を通じて唯一の記録である)。当時の王はノーワインドアップ投法を用いていた。3年生のセンバツでは30年ぶりとなる2試合連続本塁打を放った。しかし、夏の甲子園には、東京都予選の決勝戦で敗れたため出場できなかった。
なお、国体には、当時の国籍規定(王は中華民国国籍である)のため出場できなかった。
現役時代 [編集]
1959年 - 1961年 [編集]
1959年に契約金1500万円、年俸140万円、背番号1という高卒新人としては破格の条件で読売ジャイアンツに入団(なお、前年に大卒で入団した長嶋茂雄の契約金が1600万円だった)。背番号1については、中国語で「王」を「ワン」と発音することから、英語のoneにかけてつけられたという説もあるが、背番号そのものは、南村侑広の引退によってたまたま1が空いていたため、それを付けることになったというのが実情である。プロ入りの同期には村山実・板東英二・河村保彦・江藤愼一・田中俊幸・張本勲・足立光宏らがいる。
当初は投手として入団したが、監督の水原茂に「王、お前はピッチャーとして大成しない」と言われ、すぐに一塁手に転向した。
当時エースの藤田元司は王の印象として、「甲子園で活躍するなど高校時代に頑張りすぎたのか、僕が見る限り投手としての王君はくたびれていましたね」と語った。また、前年に引退しこの年からコーチになった川上哲治は、「何というか、球筋がやさしいんですね」、「投手としては特に特徴もなく、このままなら埋もれると思った。しかし打撃はすごい才能があると思った。」と語っている。川上によれば、王のバッティングは構えからスイングまで全く頭が動かず、18歳の若さで既に基本が完成していたという。当時二軍監督だった千葉茂は練習後に王と入浴した際、「王の体格には驚いた、非常にいい筋肉をしておる。ただし、いかり肩で大成した投手はいないだけに、投手としては厳しいだろう」と感じ、水原に「ピッチャーとしてはあきまへん。でもバッターなら川上の半分は打ちます」と野手起用を進言した。王自身は「(自分が投手として通用しないことは)薄々感づいてはいた。だけど、やはり野球をやる者なら誰でも投手に憧れるもので、『おまえ、明日からは野手だ』と言われた時は正直に言えば寂しかった」と語っているが、川上の引退直後であり、その後継一塁手としての期待は大きかった。ライバルはこれも既に峠を過ぎていた与那嶺要くらいで、その与那嶺もキャンプでの王の打撃練習を見て「ボク、(一塁のポジション争いではかなわないので)外野手に戻るよ」と言ったという。
オープン戦で5本塁打を放つなど順調にシーズンを迎え、開幕戦(4月11日)の国鉄スワローズ戦では高卒新人ながら7番一塁で先発出場を果たした。しかし、この試合で金田正一と対戦し、3打席で2三振1四球に終わった。この結果は長嶋茂雄の初試合4打席連続三振とよく比較される。これをきっかけにオープン戦と一転して当たりが止まってしまい、26打席無安打が続いた。
4月26日の対国鉄戦7回表、0-0、ランナー1塁という場面で王に打順が回った。水原は代打策も考えたが、当時チームは開幕ダッシュに成功して余裕があったこともあり、まだ新人の王に経験を積ませることを優先した。国鉄の村田元一が投じた内角カーブをすくい上げた打球はライトスタンド最前列に落ちた。プロ初安打がホームラン。これが王の記念すべき1号本塁打となった。
同年6月25日の天覧試合では7回、2-4と2点ビハインドの場面で小山正明から4号同点2ラン。これが長嶋茂雄とのONコンビ・アベック本塁打1号である。
しかしそれ以外はほとんど目立った活躍もなく、1年目は.161、7本塁打と当初の期待からすれば物足りない結果に終わった。特に目立ったのが72を数えた三振の多さで(2.7打数に1三振に相当)、「王は王でも三振王」などと野次られる始末だった。ただし、主力選手でも遠慮していた水原監督の隣の座をいつも占め、「監督、今の一塁手のプレーにはどういう意味があるのでしょうか?」と堂々と質問したり、記者から「(不振の)重圧はありませんか?」と尋ねられても、「別に。使っているのは監督さんですから」と答え、新人としては異例の姿勢だった。また、期待はずれの成績にも関わらず、2年目の年俸は推定140万円から160万円にアップした。これは練習の球拾い時に自腹で専用の糸を購入し丁寧にボールの破れを修繕していたことを球団代表が評価したため。なお、この球団の評価に感銘した王は、以後現役引退するまで一度も契約更改でもめることはなかった。1974年の更改は2年連続三冠王にも関わらず現状維持であったが、それでも文句1つ言わずサインしている。
プロの水に慣れた2年目は.270、17本塁打(このシーズンのチーム最多)と主軸として恥ずかしくない成績を残し、オールスターゲームにもファン投票選出された。これは、東京六大学野球の大型一塁手、木次文夫の入団で危機感を抱いたことも好影響を及ぼしたといわれる。しかし三振も101個と依然として多かった。
3年目の1961年、川上が水原の後を継いで監督に就任。川上は王に長嶋に次ぐ中心打者としての活躍を期待したが、.253、13本塁打と2年目より成績を落とし、期待に応えることはできなかった。この年中日に入団し、ルーキーながらエースとして活躍した権藤博は王について「速球はある程度対応してくるけど、カーブを投げておけば簡単に空振りして尻餅をついていた。かわいいもんだと思った」と語っている。高卒3年目としてはそれなりの成績は出していたが、契約金の額や首脳陣の期待からすれば物足りない数字だった。
大きな期待がかかりながら伸び悩む王には、阪急ブレーブスのエース・米田哲也との交換トレードの話も持ち上がっていた(結果的に阪急が断ったため、このトレードは行われなかった)。
一本足打法 [編集]
1962年、荒川博が巨人の打撃コーチに就任。荒川就任は読売新聞の関係者が広岡達朗を介して、川上に荒川を推薦したもの[1]。川上は榎本喜八を育てた荒川の手腕に王の指導を託した。川上は、王の成績が思うように伸びないのは、練習に身が入らないために結果が出ず、そのために自信を持てず、さらに練習に身が入らない、という悪循環が起こっているためだと考え、荒川に最も強く期待したのは王に練習に身を入れるように意識改革をさせることだった。秋季キャンプで久々に王を見た荒川は、「なんだ、こんなスイングではドッジボールにも当たらんぞ。遊びは上手くなったかもしれんが、野球は下手になったな」と言い放った。王は内心カッとなったが、言い返せなかった。しかし、荒川はこの時「これだけ悪い打ち方(打ちにいく際、手足の動きがバラバラな点だと説明)でも、二割七分打ったこともあるのだから、やはり素質は素晴らしい」と感じたという。
【中略】
参考文献 [編集]
『スポーツ20世紀』 ベースボール・マガジン社 2000年7月
上前淳一郎 『巨人軍影のベストナイン』 角川文庫1977年 ISBN 978-4-04-326902-0Template:私のベストゲーム
関連項目 [編集]
東京都出身の人物一覧
読売ジャイアンツの選手一覧
読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
世界少年野球推進財団(ハンク・アーロンと共同主宰)
神戸中華同文学校
在日台湾人
義田貴士(スポーツジャーナリスト) - テレ朝系ドラマ『アストロ球団』で王を演じた
石森達幸(声優) - アニメ『巨人の星』で王を演じた
江尻良文(夕刊フジ編集委員) - 「生涯番記者」を自任し、王についての本を執筆
大崎タイムス - 「王貞治旗争奪大崎地方少年野球選手権大会」を1981年から開催
外部リンク [編集]
王語録(nikkansports.comより)
日本プロ野球名球会会員 王貞治(日本プロ野球名球会より)
王監督ありがとう-ホークスと歩んだ14年間の軌跡-
王貞治 50年のプロ野球人生を語る
[表示]業績
[表示]表・話・編・歴第28代読売ジャイアンツ4番打者
1-10代 1 永沢富士雄 | 2 伊藤健太郎 | 3 中島治康 | 4 筒井修 | 5 前川八郎 | 6 水原茂 | 7 川上哲治 | 8 青田昇 | 9 木暮力三 | 10 中村政美
11-20代 11 V.スタルヒン | 12 近藤貞雄 | 13 川畑博 | 14 黒沢俊夫 | 15 小松原博喜 | 16 平山菊二 | 17 宇野光雄 | 18 南村侑広 | 19 手塚明治 | 20 宮本敏雄
21-30代 21 樋笠一夫 | 22 藤尾茂 | 23 柏枝文治 | 24 与那嶺要 | 25 長嶋茂雄 | 26 坂崎一彦 | 27 国松彰 | 28 王貞治 | 29 池沢義行 | 30 森昌彦
31-40代 31 相羽欣厚 | 32 吉田勝豊 | 33 田中久寿男 | 34 高倉照幸 | 35 森永勝也 | 36 柴田勲 | 37 末次利光 | 38 柳田俊郎 | 39 張本勲 | 40 淡口憲治
41-50代 41 D.ジョンソン | 42 J.シピン | 43 山本功児 | 44 R.ホワイト | 45 中畑清 | 46 G.トマソン | 47 松原誠 | 48 原辰徳 | 49 R.スミス | 50 W.クロマティ
51-60代 51 呂明賜 | 52 駒田徳広 | 53 吉村禎章 | 54 M.ブラウン | 55 P.ブラッドリー | 56 L.モスビー | 57 J.バーフィールド | 58 岡崎郁 | 59 大久保博元 | 60 落合博満
61-70代 61 広沢克己 | 62 松井秀喜 | 63 S.マック | 64 清原和博 | 65 石井浩郎 | 66 高橋由伸 | 67 D.マルティネス | 68 R.ペタジーニ | 69 小久保裕紀 | 70 李承燁
71-80代 71 二岡智宏 | 72 阿部慎之助 | 73 小笠原道大 | 74 A.ラミレス
[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグMVP
1950年代 50 小鶴誠 | 51 川上哲治 | 52 別所毅彦 | 53 大友工 | 54 杉下茂 | 55 川上哲治 | 56 別所毅彦 | 57 与那嶺要 | 58 藤田元司 | 59 藤田元司
1960年代 60 秋山登 | 61 長嶋茂雄 | 62 村山実 | 63 長嶋茂雄 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 長嶋茂雄 | 67 王貞治 | 68 長嶋茂雄 | 69 王貞治
1970年代 70 王貞治 | 71 長嶋茂雄 | 72 堀内恒夫 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 山本浩二 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 若松勉 | 79 江夏豊
1980年代 80 山本浩二 | 81 江川卓 | 82 中尾孝義 | 83 原辰徳 | 84 衣笠祥雄 | 85 R.バース | 86 北別府学 | 87 山倉和博 | 88 郭源治 | 89 W.クロマティ
1990年代 90 斎藤雅樹 | 91 佐々岡真司 | 92 J.ハウエル | 93 古田敦也 | 94 桑田真澄 | 95 T.オマリー | 96 松井秀喜 | 97 古田敦也 | 98 佐々木主浩 | 99 野口茂樹
2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 井川慶 | 04 川上憲伸 | 05 金本知憲 | 06 福留孝介 | 07 小笠原道大 | 08 A.ラミレス
[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ ベストナイン (一塁手)
1950年代 50 西沢道夫 | 51 川上哲治 | 52 川上哲治 | 53 川上哲治 | 54 西沢道夫 | 55 川上哲治 | 56 川上哲治 | 57 川上哲治 | 58 川上哲治 | 59 藤本勝巳
1960年代 60 近藤和彦 | 61 藤本勝巳 | 62 王貞治 | 63 王貞治 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治 | 67 王貞治 | 68 王貞治 | 69 王貞治
1970年代 70 王貞治 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 王貞治 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 王貞治 | 79 王貞治
1980年代 80 谷沢健一 | 81 藤田平 | 82 谷沢健一 | 83 谷沢健一 | 84 谷沢健一 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 R.バース | 88 落合博満 | 89 L.パリッシュ
1990年代 90 落合博満 | 91 落合博満 | 92 J.パチョレック | 93 広沢克己 | 94 大豊泰昭 | 95 T.オマリー | 96 L.ロペス | 97 L.ロペス | 98 駒田徳広 | 99 R.ペタジーニ
2000年代 00 R.ペタジーニ | 01 R.ペタジーニ | 02 R.ペタジーニ | 03 G.アリアス | 04 T.ウッズ | 05 新井貴浩 | 06 T.ウッズ | 07 T.ウッズ | 08 内川聖一
[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ首位打者
1950年代 50 藤村富美男 | 51 川上哲治 | 52 西沢道夫 | 53 川上哲治 | 54 与那嶺要 | 55 川上哲治 | 56 与那嶺要 | 57 与那嶺要 | 58 田宮謙次郎 | 59 長嶋茂雄
1960年代 60 長嶋茂雄 | 61 長嶋茂雄 | 62 森永勝治 | 63 長嶋茂雄 | 64 江藤慎一 | 65 江藤慎一 | 66 長嶋茂雄 | 67 中暁生 | 68 王貞治 | 69 王貞治
1970年代 70 王貞治 | 71 長嶋茂雄 | 72 若松勉 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 山本浩二 | 76 谷沢健一 | 77 若松勉 | 78 水谷実雄 | 79 F.ミヤーン
1980年代 80 谷沢健一 | 81 藤田平 | 82 長崎啓二 | 83 真弓明信 | 84 篠塚利夫 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 篠塚利夫&正田耕三 | 88 正田耕三 | 89 W.クロマティ
1990年代 90 J.パチョレック | 91 古田敦也 | 92 J.ハウエル | 93 T.オマリー | 94 A.パウエル | 95 A.パウエル | 96 A.パウエル | 97 鈴木尚典 | 98 鈴木尚典 | 99 R.ローズ
2000年代 00 金城龍彦 | 01 松井秀喜 | 02 福留孝介 | 03 今岡誠 | 04 嶋重宣 | 05 青木宣親 | 06 福留孝介 | 07 青木宣親 | 08 内川聖一
[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ本塁打王
1950年代 50 小鶴誠 | 51 青田昇 | 52 杉山悟 | 53 藤村富美男 | 54 青田昇 | 55 町田行彦 | 56 青田昇 | 57 青田昇&佐藤孝夫 | 58 長嶋茂雄 | 59 桑田武&森徹
1960年代 60 藤本勝巳 | 61 長嶋茂雄 | 62 王貞治 | 63 王貞治 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治 | 67 王貞治 | 68 王貞治 | 69 王貞治
1970年代 70 王貞治 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 田淵幸一 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 山本浩二 | 79 掛布雅之
1980年代 80 山本浩二 | 81 山本浩二 | 82 掛布雅之 | 83 山本浩二&大島康徳 | 84 宇野勝&掛布雅之 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 R.ランス | 88 C.ポンセ | 89 L.パリッシュ
1990年代 90 落合博満 | 91 落合博満 | 92 J.ハウエル | 93 江藤智 | 94 大豊泰昭 | 95 江藤智 | 96 山崎武司 | 97 D.ホージー | 98 松井秀喜 | 99 R.ペタジーニ
2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 A.ラミレス&T.ウッズ | 04 T.ローズ&T.ウッズ | 05 新井貴浩 | 06 T.ウッズ | 07 村田修一 | 08 村田修一
[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ打点王
1950年代 50 小鶴誠 | 51 青田昇 | 52 西沢道夫 | 53 藤村富美男 | 54 渡辺博之&杉山悟 | 55 川上哲治 | 56 宮本敏雄 | 57 宮本敏雄 | 58 長嶋茂雄 | 59 森徹
1960年代 60 藤本勝巳 | 61 桑田武 | 62 王貞治 | 63 長嶋茂雄 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治 | 67 王貞治 | 68 長嶋茂雄 | 69 長嶋茂雄
1970年代 70 長嶋茂雄 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 王貞治 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 王貞治 | 79 山本浩二
1980年代 80 山本浩二 | 81 山本浩二 | 82 掛布雅之 | 83 原辰徳 | 84 衣笠祥雄 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 C.ポンセ | 88 C.ポンセ | 89 落合博満
1990年代 90 落合博満 | 91 広沢克己 | 92 L.シーツ | 93 広沢克己&R.ローズ | 94 大豊泰昭 | 95 江藤智 | 96 L.ロペス | 97 L.ロペス | 98 松井秀喜 | 99 R.ローズ
2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 A.ラミレス | 04 金本知憲 | 05 今岡誠 | 06 T.ウッズ | 07 A.ラミレス | 08 A.ラミレス
[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ最多出塁数
1984年まで最多出塁数
1950年代 50 藤村富美男 | 51 金田正泰 | 52 千葉茂 | 53 金田正泰 | 54 与那嶺要 | 55 川上哲治 | 56 与那嶺要 | 57 与那嶺要 | 58 岡嶋博治 | 59 長嶋茂雄
1960-1966年 60 長嶋茂雄 | 61 長嶋茂雄 | 62 王貞治 | 63 王貞治 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治
1967年から1984年まで最多出塁数で表彰、1985年以降は最多出塁率で表彰。
1967-1979年 67 王貞治 | 68 王貞治 | 69 王貞治 | 70 王貞治 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 王貞治 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 王貞治 | 79 山本浩二
1980年-1984年 80 山本浩二 | 81 掛布雅之 | 82 掛布雅之&田尾安志 | 83 山本浩二 | 84 谷沢健一
以下、最高出塁率
1985年-1989年 85 R.バース | 86 R.バース | 87 落合博満 | 88 落合博満 | 89 W.クロマティ
1990年代 90 落合博満 | 91 落合博満 | 92 T.オマリー | 93 T.オマリー | 94 T.オマリー | 95 T.オマリー | 96 江藤智 | 97 R.ローズ | 98 松井秀喜 | 99 R.ペタジーニ
2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 福留孝介 | 04 G.ラロッカ | 05 福留孝介 | 06 福留孝介 | 07 青木宣親 | 08 内川聖一
[表示]表・話・編・歴日本シリーズ優秀選手
1950年代 50 なし | 51 なし | 52 なし | 53 なし | 54 なし | 55 なし | 56 なし | 57 豊田泰光 | 58 中西太 | 59 杉山光平
1960年代 60 近藤和彦 | 61 塩原明 | 62 岩下光一 | 63 王貞治 | 64 K.ハドリ | 65 林俊彦 | 66 長嶋茂雄 | 67 D.スペンサー | 68 柴田勲 | 69 足立光宏
1970年代 70 黒江透修 | 71 黒江透修 | 72 長嶋茂雄 | 73 高田繁 | 74 山崎裕之 | 75 中沢伸二, 外木場義郎 | 76 B.ウイリアムス | 77 福本豊 | 78 若松勉 | 79 水谷実雄
1980年代 80 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 | 81 平田薫, 江川卓, 河埜和正 | 82 大田卓司, スティーブ.O, 中尾孝義 | 83 田淵幸一, テリー.W, 中畑清 | 84 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 | 85 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 | 86 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 | 87 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 | 88 清原和博, 森山良二, 郭源治 | 89 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸
1990年代 90 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 | 91 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 | 92 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 | 93 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 | 94 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 | 95 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 | 96 大島公一, 鈴木平, イチロー | 97 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 | 98 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 | 99 工藤公康, 永井智浩, 城島健司
2000年代 00 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 | 01 岩村明憲, 石井一久, 真中満 | 02 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 | 03 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 | 04 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 | 05 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 | 06 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 | 07 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 | 08 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広
[表示]表・話・編・歴日本プロ野球サイクル安打達成者(1963年4月25日、22人目)
1959年以前 藤村富美男 | 金田正泰 | 藤村富美男 | 門前眞佐人 | 東谷夏樹 | 浅原直人 | 滝田政治 | 山川武範 | 青田昇 | 原田徳光 | 大下弘 | 川上哲治 | 飯田徳治 | 毒島章一 | 渡辺清 | 葛城隆雄 | 大和田明 | 町田行彦
1960年代 近藤和彦 | 前田益穂 | 王貞治 | D.スペンサー | 和田博実
1970年代 山崎裕之 | 弘田澄男 | 得津高宏 | 衣笠祥雄 | 若松勉 | 長崎慶一 | 真弓明信
1980年代 平野光泰 | 大宮龍男 | 福本豊 | 松永浩美 | 山本浩二 | 栗橋茂 | 岡村隆則 | 金村義明 | 秋山幸二 | 田村藤夫
1990年代 藤本博史 | 池山隆寛 | 松永浩美 | J.ハウエル | 中村紀洋 | R.ローズ | R.ローズ | 立浪和義 | 広沢克 | 金本知憲 | 仁志敏久 | R.ローズ
2000年代 松井稼頭央 | B.ロドリゲス | 井端弘和 | J.オーティズ | 福留孝介 | 稲葉篤紀 | 村松有人 | 桧山進次郎 | 細川亨 | アレックス | J.ズレータ | 小笠原道大
[表示]表・話・編・歴正力松太郎賞受賞者
1970年代 77 王貞治 | 78 広岡達朗 | 79 西本幸雄
1980年代 80 古葉竹識 | 81 藤田元司 | 82 広岡達朗 | 83 田淵幸一 | 84 衣笠祥雄 | 85 吉田義男 | 86 森祇晶 | 87 工藤公康 | 88 門田博光 | 89 藤田元司
1990年代 90 森祇晶 | 91 秋山幸二 | 92 石井丈裕 | 93 野村克也 | 94 長嶋茂雄,イチロー | 95 イチロー | 96 仰木彬 | 97 古田敦也 | 98 佐々木主浩 | 99 王貞治
2000年代 00 松井秀喜 | 01 若松勉 | 02 原辰徳 | 03 王貞治,星野仙一 | 04 伊東勤,イチロー(特別賞) | 05 ボビー・バレンタイン | 06 王貞治 | 07 落合博満 | 08 渡辺久信
[表示]表・話・編・歴日本プロスポーツ大賞 受賞選手・団体
1960年代 68 西城正三 | 69 読売巨人軍
1970年代 70 大鵬幸喜 | 71 長嶋茂雄 | 72 松本勝明 | 73 沢村忠 | 74 王貞治 | 75 広島東洋カープ | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 ヤクルトスワローズ | 79 具志堅用高
1980年代 80 具志堅用高 | 81 中野浩一 | 82 落合博満 | 83 広岡達朗 | 84 衣笠祥雄 | 85 ランディ・バース | 86 落合博満 | 87 岡本綾子 | 88 千代の富士貢 | 89 千代の富士貢
1990年代 90 野茂英雄 | 91 辰吉丈一郎 | 92 貴花田光司 | 93 三浦知良 | 94 イチロー | 95 イチロー | 96 尾崎将司 | 97 中田英寿 | 98 佐々木主浩 | 99 松坂大輔
2000年代 00 松井秀喜 | 01 イチロー | 02 FIFAワールドカップ日本代表 | 03 松井秀喜 | 04 朝青龍明徳 | 05 朝青龍明徳 | 06 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 | 07 浦和レッドダイヤモンズ | 08 石川遼
[表示]表・話・編・歴国民栄誉賞受賞者
王貞治 - 古賀政男 - 長谷川一夫 - 植村直己 - 山下泰裕 - 衣笠祥雄 - 美空ひばり - 千代の富士貢 - 藤山一郎 - 長谷川町子 - 服部良一 - 渥美清 - 吉田正 - 黒澤明 - 高橋尚子 - 遠藤実 - 森光子
[表示]表・話・編・歴日本プロ野球名球会
投手(通算200勝以上)
金田正一 - 稲尾和久 - 小山正明 - 米田哲也 - 梶本隆夫 - 皆川睦雄 - 村山実 - 鈴木啓示 - 堀内恒夫 - 山田久志 - 平松政次 - 東尾修 - 村田兆治 - 北別府学 - 工藤公康 - 野茂英雄 - 山本昌広(山本昌)
投手(通算250セーブ以上)
佐々木主浩 - 高津臣吾
野手(通算2000本安打以上)
山内一弘 - 野村克也 - 長嶋茂雄 - 広瀬叔功 - 張本勲 - 王貞治 - 江藤愼一 - 土井正博 - 高木守道 - 松原誠 - 柴田勲 - 大杉勝男 - 藤田平 - 衣笠祥雄 - 福本豊 - 山崎裕之 - 山本浩二 - 有藤通世 - 若松勉 - 谷沢健一 - 加藤英司 - 門田博光 - 大島康徳 - 新井宏昌 - 秋山幸二 - 駒田徳広 - 立浪和義 - 鈴木一朗(イチロー) - 清原和博 - 古田敦也 - 野村謙二郎 - 石井琢朗 - 松井秀喜 - 田中幸雄 - 前田智徳 - 金本知憲
名誉会員(マスターズリーグとの通算で資格基準を満たした選手)
野手/松永浩美
脱会者(過去に同会の名簿上に存在していた選手)
投手/江夏豊 野手/榎本喜八
有資格者(未勧誘もしくは参加辞退者)
投手/リッチ・ゴセージ 野手/マティ・アルー - 落合博満 - ウォーレン・クロマティ - レジー・スミス - ウィリー・デービス - ラリー・パリッシュ - トニー・フェルナンデス - フリオ・フランコ - ロイ・ホワイト - ビル・マドロック
その他の成績条件達成選手(昭和以前生まれ)
投手/ヴィクトル・スタルヒン - 若林忠志 - 野口二郎 - 別所毅彦 - 中尾碩志 - 藤本英雄 - 杉下茂 野手/川上哲治
[表示]表・話・編・歴2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表
監督 89 王貞治
コーチ 84 武田一浩(投手) | 85 辻発彦(内野守備走塁) | 86 鹿取義隆(投手) | 87 大島康徳(打撃) | 88 弘田澄男(外野守備走塁)
投手 11 清水直行 | 12 藤田宗一 | 15 久保田智之 | 18 松坂大輔 | 19 上原浩治 | 20 薮田安彦 | 21 和田毅 | 24 藤川球児 | 31 渡辺俊介 | 40 大塚晶則 | 41 小林宏之 | 47 杉内俊哉 | 61 石井弘寿 | 61 馬原孝浩
捕手 22 里崎智也 | 27 谷繁元信 | 59 相川亮二
内野手 1 岩村明憲 | 2 小笠原道大 | 3 松中信彦 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 10 宮本慎也 | 25 新井貴浩 | 52 川崎宗則
外野手 5 和田一浩 | 6 多村仁 | 9 金城龍彦 | 17 福留孝介 | 23 青木宣親 | 51 イチロー
[表示]表・話・編・歴ワールド・ベースボール・クラシック日本代表監督
2006 王貞治 | 2009 原辰徳
[表示]表・話・編・歴福岡ダイエー(ソフトバンク)ホークス監督 1995-2008(2006後半休養)
高須一雄 1938-1940 | 三谷八郎 1941-1942 | 加藤喜作 1942 | 高田勝生 1943 | 加藤喜作 1943-1945 | 山本(鶴岡)一人 1946-1962 | 【代行】 蔭山和夫 1962 | 鶴岡一人 1963-1965 | 蔭山和夫 1965 | 鶴岡一人 1966-1968 | 飯田徳治 1969 | 野村克也 1970-1977 | 【代行】 穴吹義雄 1977 | 広瀬叔功 1978-1980 | ドン・ブレイザー 1981-1982 | 穴吹義雄 1983-1985 | 杉浦忠 1986-1989 | 田淵幸一 1990-1992 | 根本陸夫 1993-1994 | 王貞治 1995-2006 | 【代行】 森脇浩司 2006 | 王貞治 2007-2008 | 秋山幸二 2009-
[表示]表・話・編・歴読売ジャイアンツ監督 1984-1988
三宅大輔 1934-1935 | 浅沼誉夫 1935-1936 | 藤本定義 1936-1942 | 中島治康 1943 | 藤本英雄 1944-1946 | 中島治康 1946-1947 | 三原脩 1947-1949 | 水原茂 1950-1960 | 川上哲治 1961-1974 | 長嶋茂雄 1975-1980 | 藤田元司 1981-1983 | 王貞治 1984-1988 | 藤田元司 1989-1992 | 長嶋茂雄 1993-2001 | 原辰徳 2002-2003 | 堀内恒夫 2004-2005 | 原辰徳 2006-
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最終更新 2009年7月30日
[ 鉱物の一覧] 鉱物の一覧(こうぶつのいちらん)では、主要な鉱物の一覧を示す。
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鉱物の一覧
鉱物の一覧(こうぶつのいちらん)では、主要な鉱物の一覧を示す。
目次 [非表示]
1 元素鉱物
2 硫化鉱物
3 酸化鉱物
4 水酸化鉱物
5 ハロゲン化鉱物
6 炭酸塩鉱物
7 硝酸塩鉱物
8 ホウ酸塩鉱物
9 硫酸塩鉱物
10 クロム酸塩鉱物
11 リン酸塩鉱物
12 ヒ酸塩鉱物
13 バナジン酸塩鉱物
14 タングステン酸塩鉱物
15 モリブデン酸塩鉱物
16 ケイ酸塩鉱物
16.1 ネソケイ酸塩鉱物
16.2 ソロケイ酸塩鉱物
16.3 サイクロケイ酸塩鉱物
16.4 イノケイ酸塩鉱物
16.5 フィロケイ酸塩鉱物
16.6 テクトケイ酸塩鉱物
17 関連項目
18 参考文献
19 外部リンク
元素鉱物 [編集]
自然硫黄
石墨元素鉱物とは、単一元素または合金からなる鉱物。
自然金(native gold) - Au、等軸
自然銀(native silver) - Ag、等軸
自然銅(native copper) - Cu、等軸
自然水銀(native mercury) - Hg、液体
自然鉄(native iron) - Fe、等軸
自然白金(native platinum) - Pt、等軸
自然蒼鉛(native bismuth) - Bi、三方
自然オスミウム(native osmium) - Os、六方
自然砒(native arsenic) - As、三方
自然テルル(native tellurium) - Te、三方
自然硫黄(native sulfur) - S、斜方
石墨(graphite、グラファイト、黒鉛) - C、六方
ダイヤモンド(diamond、金剛石) - C、等軸
カマサイト(kamacite) - (Fe,Ni)、等軸
テーナイト(taenite) - (Ni,Fe)、等軸
硫化鉱物 [編集]
硫化鉱物とは、主として金属元素と硫黄(S)とが結合している鉱物。
針銀鉱(acanthite) - Ag2S、単斜
輝銀鉱(argentite) - Ag2S、等軸、常温では針銀鉱に転移
輝銅鉱(chalcocite) - Cu2S、単斜
斑銅鉱(bornite) - Cu5FeS4、斜方
硫鉄ニッケル鉱(pentlandite、ペントランド鉱) - (Fe,Ni)9S8、等軸
方鉛鉱(galena) - PbS、等軸
閃マンガン鉱(alabandite) - MnS、等軸
閃亜鉛鉱(sphalerite) - ZnS、等軸
ウルツ鉱(wurtzite、繊維亜鉛鉱) - ZnS、六方
硫カドミウム鉱(greenockite) - CdS、六方
磁硫鉄鉱(pyrrhotite、ピロータイト) - Fe1-xS、単斜・六方
銅藍(covellite、コベリン) - CuS、六方
辰砂(cinnabar) - HgS、三方
針ニッケル鉱(millerite) - NiS、三方
紅砒ニッケル鉱(nickeline) - NiAs、六方
鶏冠石(realgar) - As4S4、単斜
黄銅鉱(chalcopyrite) - CuFeS2、正方
黄錫鉱(stannite) - Cu2FeSnS4、正方
雄黄(orpiment) - As2S3、単斜
輝安鉱(stibnite) - Sb2S3、斜方
輝蒼鉛鉱(bismuthinite) - Bi2S3、斜方
黄鉄鉱(pyrite) - FeS2、等軸
白鉄鉱(marcasite) - FeS2、斜方
輝コバルト鉱(cobaltite) - CoAsS、斜方
硫砒鉄鉱(arsenopyrite) - FeAsS、単斜
硫砒銅鉱(enargite)Cu3AsS4、斜方
ルソン銅鉱(luzonite) - Cu3AsS4、正方
ベルチェ鉱(berthierite) - FeSb2S4、斜方
輝水鉛鉱(molybdenite) - MoS2、六方
雑銀鉱(polybasite、輝安銅銀鉱) - (Ag,Cu)16Sb2S11、単斜
安四面銅鉱(tetrahedrite) - (Cu,Fe,Zn)12Sb4S13、等軸
濃紅銀鉱(pyrargyrite) - Ag3SbS3、三方
毛鉱(jamesonite) - Pb4FeSb6S14、単斜
紅安鉱(kermesite) - Sb2S2O、三斜
車骨鉱(bournonite) - CuPbSbS3、斜方
酸化鉱物 [編集]
金緑石
石英
オパール酸化鉱物とは、主として金属元素と酸素(O)とが結合している鉱物。SiO2鉱物は、テクトケイ酸塩鉱物に分類されることもある。
赤銅鉱(cuprite) - Cu2O、等軸
黒銅鉱(tenorite、melaconite) - CuO、単斜
緑マンガン鉱(manganosite) - MnO、等軸
コランダム(corundum、鋼玉) - Al2O3、三方
赤鉄鉱(hematite) - Fe2O3、三方
灰チタン石(perovskite、ペロブスキー石) - CaTiO3、単斜
チタン鉄鉱(ilmenite、イルメナイト) - FeTiO3、三方
ルチル(rutile、金紅石) - TiO2、正方
鋭錐石(anatase) - TiO2、正方
板チタン石(brookite) - TiO2、斜方
軟マンガン鉱(pyrolusite) - MnO2、正方
錫石(cassiterite) - SnO2、正方
閃ウラン鉱(uraninite) - UO2、等軸
テルル石(tellurite) - TeO2、斜方
スピネル(spinel、尖晶石) - MgAl2O4、等軸
磁鉄鉱(magnetite) - FeFe3+2O4、等軸
クロム鉄鉱(chromite) - FeCr2O4、等軸
ハウスマン鉱(hausmannite) - MnMn3+2O4、正方
金緑石(chrysoberyl) - BeAl2O4、斜方
コルンブ石
鉄コルンブ石(ferrocolumbite) - FeNb2O6、斜方
マンガノコルンブ石(manganocolumbite) - (Mn,Fe)(Nb,Ta)2O6、斜方
石英(quartz) - SiO2、三方
水晶(rock crystal) - 自形結晶の石英
玉髄(chalcedony) - 微粒石英の集合体
鱗珪石(tridymite、トリディマイト) - SiO2、単斜・三斜
クリストバル石(cristobalite、クリストバライト、方珪石) - SiO2、正方
コース石(coesite、コーサイト) - SiO2、単斜
スティショフ石(stishovite、スティショバイト) - SiO2、正方
蛋白石(opal、オパル) - SiO2・nH2O、非晶質
水酸化鉱物 [編集]
水酸化鉱物は、水酸化物からなる鉱物。酸化鉱物に含める場合もある。
ダイアスポア(diaspore) - AlO(OH)、斜方
針鉄鉱(goethite) - FeO(OH)、斜方
鱗鉄鉱(lepidocrocite) - FeO(OH)、斜方
水マンガン鉱(manganite) - Mn3+O(OH)、単斜
水滑石(brucite、ブルース石) - Mg(OH)2、三方
ギブス石(gibbsite) - Al(OH)3、単斜
ハロゲン化鉱物 [編集]
ハロゲン化鉱物とは、金属元素とハロゲン元素とが結合している鉱物。
岩塩(halite) - NaCl、等軸
塩化カリ石(sylvite、カリ岩塩) - KCl、等軸
角銀鉱(chlorargyrite) - AgCl、等軸
塩化アンモン石(sal ammoniac) - NH4Cl、等軸
蛍石(fluorite) - CaF2、等軸
アタカマ石(atacamite、アタカマ鉱) - Cu2(OH)3Cl、斜方
氷晶石(cryolite) - Na3AlF6、単斜
炭酸塩鉱物 [編集]
方解石炭酸塩鉱物とは、炭酸塩からなる鉱物。
方解石(calcite) - CaCO3、三方
霰石(aragonite、アラゴナイト) - CaCO3、斜方
菱苦土石(magnesite、マグネサイト) - MgCO3、三方
菱鉄鉱(siderite) - FeCO3、三方
菱マンガン鉱(rhodochrosite) - MnCO3、三方
菱亜鉛鉱(smithsonite) ZnCO3、三方
ストロンチアン石(strontianite) - SrCO3、斜方
毒重土石(witherite) - BaCO3、斜方
白鉛鉱(cerussite) - PbCO3、斜方
苦灰石(dolomite、ドロマイト) - CaMg(CO3)2、三方
アンケル石(ankerite、鉄苦灰石) - Ca(Fe,Mg,Mn)(CO3)2、三方
藍銅鉱(azurite) - Cu3(CO3)2(OH)2、単斜
孔雀石(malachite) - Cu2(CO3)(OH)2、単斜
水亜鉛銅鉱(aurichalcite) - (Zn,Cu)5(CO3)2(OH)6、単斜
アルチニ石(artinite) - Mg2(CO3)(OH)2・3H2O、単斜
水苦土石(hydromagnesite) - Mg5(CO3)4(OH)2・4H2O、単斜
硝酸塩鉱物 [編集]
硝酸塩鉱物とは、硝酸塩からなる鉱物。
チリ硝石(nitratine) - NaNO3、三方
硝石(niter) - KNO3、斜方
ホウ酸塩鉱物 [編集]
ホウ酸塩鉱物とは、ホウ酸塩からなる鉱物。
小藤石(kotoite) - Mg3(BO3)2、斜方
ルドウィヒ石(ludwigite) - (Mg,Fe)2Fe+3O2(BO3)、斜方
硼砂(borax) - Na2B4O5(OH)4・8H2O、単斜
曹灰硼石(ulexite、ウレキサイト、ウレックス石、”テレビ石”) - NaCaB5O6(OH)6・5H2O、三斜
硫酸塩鉱物 [編集]
石膏硫酸塩鉱物とは、硫酸塩からなる鉱物。
テナルド石(thenardite) - Na2SO4、斜方
重晶石(barite) - BaSO4、斜方
天青石(celestine) - SrSO4、斜方
硫酸鉛鉱(anglesite) - PbSO4、斜方
硬石膏(anhydrite) - CaSO4、斜方
石膏(gypsum) - CaSO4・2H2O、単斜
緑礬(melanterite) - FeSO4・7H2O、単斜
マラー石(mallardite) - MnSO4・7H2O、単斜
赤礬(bieberite) - CoSO4・7H2O、単斜
亜鉛緑礬(zinc-melanterite) - (Zn,Mn,Mg,Fe)SO4・7H2O、単斜
胆礬(chalcanthite) - CuSO4・5H2O、三斜
ブロシャン銅鉱(brochantite) - Cu4(SO4)(OH)6、単斜
ラング石(langite) - Cu4(SO4)(OH)6・2H2O、単斜
青鉛鉱(linarite) - PbCu(SO4)(OH)2、単斜
明礬石(alunite) - KAl3(SO4)2(OH)6、三方
鉄明礬石(jarosite) - KFe3+3(SO4)2(OH)6、三方
尾去沢石(osarizawaite) - PbCuAl2(SO4)2(OH)6、三方
青針銅鉱(cyanotrichite) - Cu2+4Al2(SO4)(OH)12・2H2O、斜方
三笠石(mikasaite) - (Fe3+,Al)2(SO4)3、三方
大阪石(osakaite) - Zn4SO4(OH)6・5H2O、三斜
クロム酸塩鉱物 [編集]
クロム酸塩鉱物とは、クロム酸塩からなる鉱物。
紅鉛鉱(crocoite) - PbCrO4、単斜
リン酸塩鉱物 [編集]
トルコ石リン酸塩鉱物とは、リン酸塩からなる鉱物。
モナズ石(monazite-(Ce)) - CePO4、単斜
ゼノタイム(xenotime-(Y)) - YPO4、正方
燐灰ウラン石(autunite) - Ca(UO2)2(PO4)2・10-12H2O、正方
燐銅ウラン石(torbernite) - Cu(UO2)2(PO4)2・10-12H2O、正方
燐重土ウラン石(uranocircite) - Ba(UO2)2(PO4)2・10-12H2O、正方
藍鉄鉱(vivianite) - Fe3(PO4)2・8H2O、単斜
燐灰石(apatite group)
フッ素燐灰石(fluorapatite) - Ca5(PO4)3F、六方
緑鉛鉱(pyromorphite) - Pb5(PO4)3Cl、六方
ベゼリ石(veszelyite) - (Cu,Zn)3(PO4)(OH)3・2H2O、単斜
トルコ石(turquoise) - CuAl6(PO4)4(OH)8・4H2O、三斜
カコクセン石(cacoxenite) - AlFe3+24O6(OH)12(PO4)17・~75H2O、六方
ヒ酸塩鉱物 [編集]
ヒ酸塩鉱物とは、ヒ酸塩からなる鉱物。
スコロド石(scorodite) Fe3+AsO4・2H2O、斜方
コバルト華(erythrite) - Co3(AsO4)2・8H2O、単斜
ミメット鉱(mimetite) - Pb5(AsO4)3Cl、六方
オリーブ銅鉱(olivenite) - Cu2AsO4(OH)、単斜
アダム石(adamite、アダマイト、アダム鉱、水砒亜鉛鉱) - Zn2AsO4(OH)、斜方
バナジン酸塩鉱物 [編集]
バナジン酸塩鉱物とは、バナジン酸塩からなる鉱物。
褐鉛鉱(vanadinite、バナジン鉛鉱) - Pb5(VO4)3Cl、六方
カルノー石(carnotite) K2(UO2)2V2O8・3H2O、単斜
タングステン酸塩鉱物 [編集]
タングステン酸塩鉱物とは、タングステン酸塩からなる鉱物。
鉄重石(ferberite) - FeWO4、単斜
マンガン重石(hübnerite) - MnWO4、単斜
鉛重石(stolzite) - PbWO4、正方
灰重石(scheelite) - CaWO4、正方
モリブデン酸塩鉱物 [編集]
モリブデン酸塩鉱物とは、モリブデン酸塩からなる鉱物。
水鉛鉛鉱(wulfenite、黄鉛鉱) - PbMoO4、正方
灰水鉛鉱(powellite) - CaMoO4、正方
水鉛華(ferrimolybdite) - Fe3+2(MoO4)3・7-8H2O、斜方
ケイ酸塩鉱物 [編集]
ケイ酸塩鉱物とは、ケイ酸塩からなる鉱物。
ネソケイ酸塩鉱物 [編集]
SiO4四面体が独立している島状四面体型ケイ酸塩鉱物。
橄欖石(olivine group)
苦土橄欖石(forsterite) - Mg2SiO4、斜方
鉄橄欖石(fayalite) - Fe2SiO4、斜方
テフロ石(tephroite、マンガン橄欖石) - Mn2SiO4、斜方
モンチセリ石(monticellite) - CaMgSiO4、斜方
柘榴石(石榴石、garnet、ガーネット)
苦礬柘榴石(pyrope) - Mg3Al2(SiO4)3、等軸
鉄礬柘榴石(almandine) - Fe3Al2(SiO4)3、等軸
満礬柘榴石(spessartine) - Mn3Al2(SiO4)3、等軸
灰鉄柘榴石(andradite) - Ca3Fe3+2(SiO4)3、等軸
灰礬柘榴石(grossular) - Ca3Al2(SiO4)3、等軸
灰クロム柘榴石(uvarovite) - Ca3Cr2(SiO4)3、等軸
ジルコン(zircon、風信子鉱) - ZrSiO4、正方
珪線石(sillimanite) - Al2SiO5、斜方
紅柱石(andalusite) - Al2SiO5、斜方
藍晶石(kyanite) - Al2SiO5、三斜
チタン石(titanite、くさび石、sphene、スフェーン) - CaTiSiO5、単斜
トパズ(topaz、黄玉) - Al2SiO4(F,OH)2、斜方
十字石(staurolite) - (Fe,Mg)4Al17O13(Si,Al)8O32(OH)3、単斜
ダトー石(datolite) - Ca2B2Si2O8(OH)2、単斜
ブラウン鉱(braunite、褐マンガン鉱) - MnMn3+6(SiO4)O8、正方
硬緑泥石(chloritoid) - (Fe,Mg,Mn)2Al4Si2O10(OH)4、単斜・三斜
単斜ヒューム石(clinohumite) - Mg9(SiO4)4(OH,F)2、単斜
アレガニー石(alleghanyite) - Mn5(SiO4)2(OH)2、単斜
スパー石(spurrite) - Ca5(SiO4)2(CO3)、単斜
デュモルチ石(dumortierite) - Al7(BO3)(SiO4)3O3、斜方
マラヤ石(malayaite) - CaSnSiO5、単斜
ソロケイ酸塩鉱物 [編集]
SiO4四面体が2つ結合している群構造型ケイ酸塩鉱物。
ゲーレン石(gehlenite) - Ca2Al(AlSi)O7、正方
ローソン石(lawsonite) - CaAl2Si2O7(OH)・H2O、斜方
灰簾石(zoisite、ゾイサイト、黝簾石) - Ca2AlAl2(Si2O7)(SiO4)O(OH)、斜方
単斜灰簾石(clinozoisite、クリノゾイサイト) - Ca2AlAl2(Si2O7)(SiO4)O(OH)、単斜
緑簾石(epidote) - Ca2Fe3+Al2(Si2O7)(SiO4)O(OH)、単斜
紅簾石(piemontite) - Ca2Mn3+Al2(Si2O7)(SiO4)O(OH)、単斜
褐簾石(allanite-(Ce)) - CaCeAl2Fe2+(SiO4)(Si2O7)(OH)、単斜
ベスブ石(vesuvianite、idocrase) - Ca19(Fe,Mn)(Al,Mg,Fe)8Al4(F,OH)2(OH,F,O)8(SiO4)10(Si2O7)4、正方
異極鉱(hemimorphite、ヘミモルファイト) - Zn4Si2O7(OH)2・H2O、斜方
珪灰鉄鉱(ilvaite、lievrite) - CaFe2Fe3+O(Si2O7)(OH)、斜方・単斜
ズニ石(zunyite) - Al13Si5O20(OH,F)18Cl、等軸
サイクロケイ酸塩鉱物 [編集]
緑柱石SiO4四面体が6つ環状結合している環状体型ケイ酸塩鉱物。
斧石(axinite group)
鉄斧石(ferro-axinite) - Ca2(Fe,Mn)Al2BSi4O15(OH)、三斜
マンガン斧石(manganaxinite) - Ca2MnAl2BSi4O15(OH)、三斜
緑柱石(beryl) - Be3Al2Si6O18、六方
菫青石(cordierite、コーディエライト) - Mg2Al4Si5O18・nH2O、斜方
大隈石(osumilite) - (K,Na,Ca)(Fe,Mg)2(Al,Fe3+)3Si10Al2O30・H2O、六方
杉石(sugilite) - (K,Na)(Na,H2O)2(Fe3+,Ca,Na,Ti,Fe,Mn)2(Al,Fe3+)Li2Si12O30、六方
電気石(tourmaline、トルマリン)
鉄電気石(schorl) - NaFe3Al6(BO3)3Si6O18(OH)4、三方
リシア電気石(elbaite) - Na(Li,Al)3Al6(BO3)3Si6O18(OH)4、三方
イノケイ酸塩鉱物 [編集]
SiO4四面体が直線状に結合している繊維状型ケイ酸塩鉱物。
輝石群(pyroxene group)
斜方輝石(rhombic pyroxenes)
頑火輝石(enstatite) - (Mg,Fe)2Si2O6、斜方
鉄珪輝石(ferrosilite) - (Fe,Mg)2Si2O6、斜方
単斜輝石(monoclinic pyroxenes)
ピジョン輝石(pigeonite) - (Mg,Fe,Ca)2Si2O6、単斜
透輝石(diopside) - CaMgSi2O6、単斜
灰鉄輝石(hedenbergite) - CaFeSi2O6、単斜
普通輝石(augite) - (Ca,Mg,Fe)2Si2O6、単斜
ヨハンセン輝石(johannsenite) - CaMnSi2O6、単斜
オンファス輝石(omphacite) - (Ca,Na)(Mg,Fe2+,Al,Fe3+)Si2O6、単斜
ひすい輝石(翡翠輝石、jadeite、硬玉) - NaAlSi2O6、単斜
エジリン輝石(aegirine、錐輝石) - NaFe3+Si2O6、単斜
コスモクロア輝石(kosmochlor) - NaCr3+Si2O6、単斜
リシア輝石(spodumene) - LiAlSi2O6、単斜
準輝石群(pyroxenoid group)
珪灰石(wollastonite) - Ca3Si3O9、三斜
バスタム石(bustamite) - (Mn,Ca)3Si3O9、三斜
ばら輝石(rhodonite、ロードナイト) - (Mn,Ca)5Si5O15、三斜
パイロクスマンガン石(pyroxmangite) - (Mn,Fe)7Si7O21、三斜
ペクトライト(pectolite、ソーダ珪灰石) - Ca2NaSi3O8(OH)、三斜
バビントン石(babingtonite) - Ca2FeFe3+Si5O14(OH)、三斜
角閃石群(amphibole group)
斜方角閃石
直閃石(anthophyllite) - (Mg,Fe)7Si8O22(OH)2、斜方
単斜角閃石
カミントン閃石(cummingtonite) - (Mg,Fe)7Si8O22(OH)2、単斜
グリュネル閃石(grunerite) - Fe7Si8O22(OH)2、単斜
透閃石(tremolite) - Ca2(Mg,Fe)5Si8O22(OH)2 (Mg/(Mg+Fe)=1.0-0.9)、単斜
緑閃石(透緑閃石、actinolite、アクチノ閃石、陽起石) - Ca2(Mg,Fe)5Si8O22(OH)2 (Mg/(Mg+Fe)=0.5-0.9)、単斜
苦土普通角閃石(magnesiohornblende) - Ca2Mg4AlSi7AlO22(OH)2、単斜
鉄普通角閃石(ferohornblende) - Ca2Fe4(Al,Fe3+)Si7AlO22(OH)2、単斜
普通角閃石(hornblende、ホルンブレンド) - 苦土普通角閃石または鉄普通角閃石
藍閃石(glaucophane) - Na2Mg3Al2Si8O22(OH)2、単斜
リーベック閃石(riebeckite、曹閃石) - Na2Fe3(Fe3+,Al)2Si8O22(OH)2、単斜
フィロケイ酸塩鉱物 [編集]
滑石SiO4四面体が面状に結合している層状型ケイ酸塩鉱物。
カオリナイト(kaolinite) - Al4Si4O10(OH)8、三斜・単斜
ハロイ石(halloysite、ハロイサイト) - Al4Si4O10(OH)8・4H2O、単斜
蛇紋石(serpentine)
アンチゴライト(antigorite、葉蛇紋石) - (Mg,Fe)6Si4O10(OH)8、単斜
単斜クリソタイル石(clinochrysotile) - Mg6Si4O10(OH)8、単斜
斜方クリソタイル石(orthochrysotile) - Mg6Si4O10(OH)8、斜方
リザード石(lizardite) - Mg6Si4O10(OH)8、六方
珪ニッケル鉱(garnierite) - 含水ケイ酸塩鉱物混合物
スメクタイト群(smectite group)
モンモリロン石(montmorillonite、モンモリロナイト) - (Na,Ca)0.33(Al,Mg)2Si4O10(OH)2・nH2O、単斜
ヘクトライト(hectorite)
葉ろう石(pyrophyllite) - Al2Si4O10(OH)2、単斜・三斜
滑石(talc) - Mg3Si4O10(OH)2、単斜・三斜
雲母群(mica group)
(true mica)
白雲母(muscovite) - KAl2(AlSi3)O10(OH)2、単斜
絹雲母(sericite、セリサイト) - 微細な白雲母
金雲母(phlogopite) - KMg3AlSi3O10(OH,F)2、単斜
鉄雲母(annite) - KFe3AlSi3O10(OH,F)2、単斜
黒雲母(biotite) - 金雲母と鉄雲母の中間
トリリシオ雲母(trilithionite) - KLi1.5Al1.5AlSi3O10F2、単斜
ポリリシオ雲母(polylithionite) - KLi2AlSi4O10F2、単斜
リチア雲母(lepidolite、鱗雲母、紅雲母) - トリリシオ雲母とポリリシオ雲母の系列
チンワルド雲母(zinnwaldite) - シデロフィライトとポリリシオ雲母の系列
脆雲母群(brittle mica group)
真珠雲母(margarite) - CaAl2Al2Si2O10(OH)2、単斜
(interlayer-deficient mica)
イライト(illite)
海緑石(glauconite) - (K,Na,Ca)(Fe3+,Al,Mg,Fe)2(Si,Al)4O10(OH)2、単斜
緑泥石群(chlorite group)
クリノクロア石(clinochlore) - (Mg,Fe)5Al(Si3Al)O10(OH)8、単斜
菫泥石(kämmererite) - クロムを含む菫色のクリノクロア石
苦土蛭石(vermiculite) - Mg1-x(Mg,Fe,Fe3+,Al)3(S,Al)4O10(OH)2・4H2O、単斜
ガイロル石(gyrolite) - NaCa16(Si23Al)O60(OH)8・14H2、三斜
葡萄石(prehnite、プレーナイト) - Ca2AlAlSi3O10(OH)2、斜方・単斜
魚眼石群(apophyllite group)
フッ素魚眼石(fluorapophyllite) - KCa4Si8O20F・8H2、正方
水酸魚眼石(hydroxylapophyllite) - KCa4Si8O20(OH,F)・8H2、正方
珪孔雀石(chrysocolla) - (Cu,Al)2H2Si2O5(OH,O)4・nH2O、単斜
テクトケイ酸塩鉱物 [編集]
SiO4四面体が網目状に結合している網目構造型ケイ酸塩鉱物。
SiO2鉱物 → #酸化鉱物
長石群(feldsper group)
アルカリ長石(alkali feldspar)
正長石(orthoclase) - KAlSi3O8、単斜
サニディン(sanidine、玻璃長石) - (K,Na)AlSi3O8、単斜
微斜長石(microcline、マイクロクリン) - KAlSi3O8、三斜
アノーソクレース(anorthoclase、曹微斜長石) - (Na,K)AlSi3O8、単斜・三斜
斜長石(plagioclase)
曹長石(albite) - NaAlSi3O8、三斜
灰長石(anorthite) - CaAl2Si2O8、三斜
ペタル石(petalite、葉長石) - LiAlSi4O10、単斜
準長石群(feldspathoid group)
霞石(nepheline、ネフェリン) - (Na,K)AlSiO4、六方
白榴石(leucite、リューサイト) - KAlSi2O6、正方
柱石(scapolite、スカポライト)
曹柱石(marialite) - (Na,Ca)4[Al(Al,Si)Si2O8]3(Cl,CO3,SO4)、正方
沸石群(zeolite group、ゼオライト)
方沸石(analcime、analcite) - NaAlSi2O6・H2O、等軸・正方・斜方
濁沸石(laumontite) - Ca4Al8Si16O48・18H2O、単斜
ソーダ沸石(natrolite) - Na2Al2Si3O10・2H2O、斜方
灰輝沸石(heulandite-Ca) - (Ca0.5,Sr0.5,Ba0.5,Mg0.5,Na,K)9Al9Si27O72・~24H2O、単斜
ソーダ輝沸石(heulandite-Na) - (Na,K,Ca0.5,Sr0.5,Ba0.5,Mg0.5)9Al9Si27O72・~24H2O、単斜
灰束沸石(stilbite-Ca) - (Ca0.5,Na,K)9Al9Si27O72・28H2O、単斜
ソーダ束沸石(stilbite-Na) - (Na,Ca0.5,K)9Al9Si27O72・28H2O、単斜
灰菱沸石(chabazite-Ca) - (Ca,Na2,K2)2Al4Si8O24・12H2O、三斜
ソーダ菱沸石(chabazite-Na) - (Na2,Ca,K2)2Al4Si8O24・12H2O、三斜
イネス石(inesite、マンガン沸石) - Ca2Mn7Si10O28(OH)2・5H2O、三斜
ダンブリ石(danburite、ダンビュライト) - CaB2(SiO4)2、斜方
ヘルバイト(helvite、helvine、ヘルビン) - Mn4Be3(SiO4)3S、等軸
デーナ石(danalite) - Fe4Be3(SiO4)3S、等軸
関連項目 [編集]
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鉱石
宝石、宝石の一覧
岩石、岩石の一覧
新鉱物
参考文献 [編集]
豊遙秋・青木正博 『検索入門 鉱物・岩石』 保育社、1996年。ISBN 4-586-31040-5。
松原聰 『日本の鉱物』 学習研究社〈フィールドベスト図鑑〉、2003年。ISBN 4-05-402013-5。
松原聰・宮脇律郎 『日本産鉱物型録』 東海大学出版会〈国立科学博物館叢書〉、2006年。ISBN 978-4-486-03157-4。
産業技術総合研究所地質標本館編 『地球 - 図説アースサイエンス』 誠文堂新光社、2006年。ISBN 4-416-20622-4。
国立天文台編 『理科年表 平成20年』 丸善、2007年。ISBN 978-4-621-07902-7。
外部リンク [編集]
地質標本館(産業技術総合研究所 地質調査総合センター)
鉱物標本コレクション(国立科学博物館)
鉱物の定義と分類(地球資源論研究室)
The Nomenclature of Minerals: A Compilation of IMA Reports(IMA'98 Toronto) (英語)
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%B1%E7%89%A9%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7 " より作成
カテゴリ: 鉱物 | 地球科学の一覧
最終更新 2009年4月27日 (月)
夏目漱石 永日小品 google[ 左から中村是公、犬塚信太郎、夏目漱石]
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高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】
夏目漱石 永日小品
下宿
始めて下宿をしたのは北の高台である。赤煉瓦《あかれんが》の小じんまりした二階建が気に入ったので、割合に高い一週二|磅《ポンド》の宿料《しゅくりょう》を払って、裏の部屋を一間《ひとま》借り受けた。その時表を専領《せんりょう》しているK氏は目下|蘇格蘭《スコットランド》巡遊中で暫《しばら》くは帰らないのだと主婦の説明があった。
主婦と云うのは、眼の凹《くぼ》んだ、鼻のしゃくれた、顎《あご》と頬の尖《とが》った。鋭い顔の女で、ちょっと見ると、年恰好《としかっこう》の判断ができないほど、女性を超越している。疳《かん》、僻《ひが》み、意地、利《き》かぬ気、疑惑、あらゆる弱点が、穏かな眼鼻をさんざんに弄《もてあそ》んだ結果、こう拗《ひ》ねくれた人相になったのではあるまいかと自分は考えた。
主婦は北の国に似合わしからぬ黒い髪と黒い眸《ひとみ》をもっていた。けれども言語は普通の英吉利人《イギリスじん》と少しも違ったところがない。引き移った当日、階下《した》から茶の案内があったので、降りて行って見ると、家族は誰もいない。北向の小さい食堂に、自分は主婦とたった二人|差向《さしむか》いに坐った。日の当った事のないように薄暗い部屋を見回すと、マントルピースの上に淋《さび》しい水仙が活《い》けてあった。主婦は自分に茶だの焼麺麭《トースト》を勧《すす》めながら、四方山《よもやま》の話をした。その時何かの拍子で、生れ故郷は英吉利ではない、仏蘭西《フランス》であるという事を打ち明けた。そうして黒い眼を動かして、後《うしろ》の硝子壜《ガラスびん》に挿《さ》してある水仙を顧《かえ》りみながら、英吉利は曇っていて、寒くていけないと云った。花でもこの通り奇麗《きれい》でないと教えたつもりなのだろう。
自分は肚《はら》の中でこの水仙の乏《とぼ》しく咲いた模様と、この女のひすばった頬の中を流れている、色の褪《さ》めた血の瀝《したたり》とを比較して、遠い仏蘭西で見るべき暖かな夢を想像した。主婦の黒い髪や黒い眼の裏《うち》には、幾年《いくねん》の昔に消えた春の匂《におい》の空《むな》しき歴史があるのだろう。あなたは仏蘭西語を話しますかと聞いた。いいやと答えようとする舌先を遮《さえぎ》って、二三句続け様《ざま》に、滑《なめ》らかな南の方の言葉を使った。こういう骨の勝った咽喉《のど》から、どうして出るだろうと思うくらい美しいアクセントであった。
その夕、晩餐《ばんさん》の時は、頭の禿《は》げた髯《ひげ》の白い老人が卓に着いた。これが私の親父《おやじ》ですと主婦から紹介されたので始めて主人は年寄であったんだと気がついた。この主人は妙な言葉遣《ことばづかい》をする。ちょっと聞いてもけっして英人ではない。なるほど親子して、海峡を渡って、倫敦《ロンドン》へ落ちついたものだなと合点《がてん》した。すると老人が私は独逸人《ドイツじん》であると、尋ねもせぬのに向うから名乗って出た。自分は少し見当《けんとう》が外《はず》れたので、そうですかと云ったきりであった。
部屋へ帰って、書物を読んでいると、妙に下の親子が気に懸《かか》ってたまらない。あの爺さんは骨張った娘と較べてどこも似た所がない。顔中は腫《は》れ上《あが》ったように膨《ふく》れている真中に、ずんぐりした肉の多い鼻が寝転《ねころ》んで、細い眼が二つ着いている。南亜《なんあ》の大統領にクルーゲルと云うのがあった。あれによく似ている。すっきりと心持よくこっちの眸《ひとみ》に映る顔ではない。その上娘に対しての物の云い方が和気《わき》を欠いている。歯が利《き》かなくって、もごもごしているくせに何となく調子の荒いところが見える。娘も阿爺《おやじ》に対するときは、険相《けんそう》な顔がいとど険相になるように見える。どうしても普通の親子ではない。――自分はこう考えて寝た。
翌日朝飯を食いに下りると、昨夕《ゆうべ》の親子のほかに、また一人家族が殖《ふ》えている。新しく食卓に連《つら》なった人は、血色の好い、愛嬌《あいきょう》のある、四十|恰好《がっこう》の男である。自分は食堂の入口でこの男の顔を見た時、始めて、生気のある人間社会に住んでいるような心持ちがした。my brother《マイブラザー》と主婦がその男を自分に紹介した。やっぱり亭主では無かったのである。しかし兄弟とはどうしても受取れないくらい顔立《かおだち》が違っていた。
その日は中食《ちゅうじき》を外でして、三時過ぎに帰って、自分の部屋へ這入《はい》ると間もなく、茶を飲みに来いと云って呼びにきた。今日も曇っている。薄暗い食堂の戸を開けると、主婦がたった一人|煖炉《ストーブ》の横に茶器を控《ひか》えて坐《すわ》っていた。石炭を燃《もや》してくれたので、幾分か陽気な感じがした。燃えついたばかりの※[#「(諂-言)+炎」、第3水準1-87-64]《ほのお》に照らされた主婦の顔を見ると、うすく火熱《ほて》った上に、心持|御白粉《おしろい》を塗《つ》けている。自分は部屋の入り口で化粧の淋《さび》しみと云う事を、しみじみと悟った。主婦は自分の印象を見抜いたような眼遣《めづか》いをした。自分が主婦から一家の事情を聞いたのはこの時である。
主婦の母は、二十五年の昔、ある仏蘭西人《フランスじん》に嫁《とつ》いで、この娘を挙《あ》げた。幾年か連れ添った後《のち》夫は死んだ。母は娘の手を引いて、再び独逸人《ドイツじん》の許《もと》に嫁いだ。その独逸人が昨夜《ゆうべ》の老人である。今では倫敦《ロンドン》のウェスト・エンドで仕立屋の店を出して、毎日毎日そこへ通勤している。先妻の子も同じ店で働いているが、親子非常に仲が悪い。一《ひと》つ家《うち》にいても、口を利《き》いた事がない。息子《むすこ》は夜きっと遅く帰る。玄関で靴を脱いで足袋跣足《たびはだし》になって、爺《おやじ》に知れないように廊下を通って、自分の部屋へ這入って寝てしまう。母はよほど前に失《な》くなった。死ぬ時に自分の事をくれぐれも云いおいて死んだのだが、母の財産はみんな阿爺《おやじ》の手に渡って、一銭も自由にする事ができない。仕方がないから、こうして下宿をして小遣《こづかい》を拵《こしら》えるのである。アグニスは――
主婦はそれより先を語らなかった。アグニスと云うのはここのうちに使われている十三四の女の子の名である。自分はその時今朝見た息子《むすこ》の顔と、アグニスとの間にどこか似たところがあるような気がした。あたかもアグニスは焼麺麭《トースト》を抱《かか》えて厨《くりや》から出て来た。
「アグニス、焼麺麭《トースト》を食べるかい」
アグニスは黙って、一片《いっぺん》の焼麺麭を受けてまた厨の方へ退いた。
一箇月の後《のち》自分はこの下宿を去った。
紀元節
南向きの部屋であった。明《あ》かるい方を背中にした三十人ばかりの小供が黒い頭を揃《そろ》えて、塗板《ぬりばん》を眺めていると、廊下から先生が這入《はい》って来た。先生は背の低い、眼の大きい、瘠《や》せた男で、顎《あご》から頬《ほお》へ掛けて、髯《ひげ》が爺汚《じじむさ》く生《は》えかかっていた。そうしてそのざらざらした顎の触《さわ》る着物の襟《えり》が薄黒く垢附《あかづ》いて見えた。この着物と、この髯の不精《ぶしょう》に延びるのと、それから、かつて小言《こごと》を云った事がないのとで、先生はみなから馬鹿にされていた。
先生はやがて、白墨を取って、黒板に記元節と大きく書いた。小供はみんな黒い頭を机の上に押しつけるようにして、作文を書き出した。先生は低い背を伸ばして、一同を見廻していたが、やがて廊下伝いに部屋を出て行った。
すると、後《うしろ》から三番目の机の中ほどにいた小供が、席を立って先生の洋卓《テーブル》の傍《そば》へ来て、先生の使った白墨を取って、塗板《ぬりばん》に書いてある記元節の記の字へ棒を引いて、その傍《わき》へ新しく紀と肉太《にくぶと》に書いた。ほかの小供は笑いもせずに驚いて見ていた。さきの小供が席へ帰ってしばらく立つと、先生も部屋へ帰って来た。そうして塗板に気がついた。
「誰か記を紀と直したようだが、記と書いても好いんですよ」と云ってまた一同を見廻した。一同は黙っていた。
記を紀と直したものは自分である。明治四十二年の今日《こんにち》でも、それを思い出すと下等な心持がしてならない。そうして、あれが爺むさい福田先生でなくって、みんなの怖《こわ》がっていた校長先生であればよかったと思わない事はない。
儲口《もうけぐち》
「あっちは栗《くり》の出る所でしてね。まあ相場がざっと両《りょう》に四升ぐらいのもんでしょうかね。それをこっちへ持って来ると、升《しょう》に一円五十銭もするんですよ。それでね、私がちょうど向うにいた時分でしたが、浜から千八百俵ばかり注文がありました。旨《うま》く行くと一升二円以上につくんですから、さっそくやりましたよ。千八百俵|拵《こしら》えて、私が自分で栗といっしょに浜まで持って行くと、――なに相手は支那人で、本国へ送り出すんでさあ。すると、支那人が出て来て、宜《よろ》しいと云うから、もう済んだのかと思うと、蔵の前へ高さ一間《いっけん》もあろうと云う大きな樽《たる》を持ち出して、水をその中へどんどん汲《く》み込ませるんです。――いえ何のためだか私にもいっこう分らなかったんで。何しろ大きな樽ですからね、水を張るんだって容易なこっちゃありません。かれこれ半日かかっちまいました。それから何をするかと思って見ていると、例の栗をね、俵《ひょう》をほどいて、どんどん樽の中へ放り込むんですよ。――私も実に驚いたが、支那人てえ奴《やつ》は本当に食えないもんだと後《あと》になって、ようやく気がついたんです。栗を水の中に打《ぶ》ち込むとね、たしかな奴は尋常に沈みますが、虫の食った奴だけはみんな浮いちまうんです。それを支那人の野郎|笊《ざる》でしゃくってね、ペケ[#「ペケ」に傍点]だって、俵《ひょう》の目方から引いてしまうんだからたまりません。私は傍《そば》で見ていてはらはらしました。何しろ七分通り虫が入《い》ってたんだから弱りました。大変な損でさあ。――虫の食ったんですか。いまいましいから、みんな打遣《うっちゃ》って来ました。支那人の事ですから、やっぱり知らん顔をして、俵にして、おおかた本国へ送ったでげしょう。
「それから薩摩芋《さつまいも》を買い込んだこともありまさあ。一俵四円で、二千俵の契約でね。ところが注文の来たのが月半《つきなかば》、十四日でして二十五日までにと云うんだから、どう骨を折ったって二千俵と云う数が寄りっこありませんや。とうてい駄目だからって、一応断りました。実を云うと残念でしたがな。すると商館の番頭がいうには、否《いや》契約書には二十五日とあるけれども、けっしてその通りには厳行しないからと、再三|勧《すす》めるもんだから、ついその気になりましてね。――いえ芋《いも》は支那へ行くんじゃありません。亜米利加《アメリカ》でした。やッぱり亜米利加にも薩摩芋を食う奴があると見えるんですよ。妙な事があるもんで、――で、さっそく買収にかかりました。埼玉から川越《かわごえ》の方をな。だが口でこそ二千俵ですが、いざ買い占めるとなるとなかなか大したもんですからな。でもようやくの事で、とうとう二十八日過ぎに約束通りの俵を持って、行きますと、――実に狡猾《こうかつ》な奴《やつ》がいるもんで、約定書《やくじょうがき》のうちに、もしはなはだしい日限の違約があるときは、八千円の損害賠償を出すと云う項目があるんですよ。ところが彼はその条款《じょうかん》を応用しちまって、どうしても代金を渡さないんです。もっとも手付《てづけ》は四千円取っておきましたがね。そうこうしている内に、先方《むこう》では芋を船へ積み込んじまったから、どうする事もできない訳になりました。あんまり業腹《ごうはら》だから、千円の保証金を納めましてね、現物取押《げんぶつとりおさえ》を申請して、とうとう芋を取り押えてやりました。ところが上には上があるもんで、先方は八千円の保証金を納めて、構わず船を出しちまったんです。でいよいよ裁判になったにはなったんですが、何しろ約定書が入れてあるもんだから、しようがない。私は裁判官の前で泣きましたね。芋はただ取られる、裁判には負ける、こんな馬鹿な事はない、少しは、まあ私の身になって考えて見て下さいって。裁判官も腹のなかでは、だいぶ私の方に同情した様子でしたが、法律の力じゃ、どうする事もできないもんですからな。とうとう負けました」
金
劇烈《げきれつ》な三面記事を、写真版にして引き伸ばしたような小説を、のべつに五六冊読んだら、全く厭《いや》になった。飯を食っていても、生活難が飯といっしょに胃《い》の腑《ふ》まで押し寄せて来そうでならない。腹が張れば、腹がせっぱ詰《つま》って、いかにも苦しい。そこで帽子を被《かぶ》って空谷子《くうこくし》の所へ行った。この空谷子と云うのは、こういう時に、話しをするのに都合よく出来上った、哲学者みたような占者《うらないしゃ》みたような、妙な男である。無辺際《むへんざい》の空間には、地球より大きな火事がところどころにあって、その火事の報知が吾々《われわれ》の眼に伝わるには、百年もかかるんだからなあと云って、神田の火事を馬鹿にした男である。もっとも神田の火事で空谷子の家が焼けなかったのはたしかな事実である。
空谷子は小さな角火鉢《かくひばち》に倚《もた》れて、真鍮《しんちゅう》の火箸《ひばし》で灰の上へ、しきりに何か書いていた。どうだね、相変らず考え込んでるじゃないかと云うと、さも面倒くさそうな顔つきをして、うん今|金《かね》の事を少し考えているところだと答えた。せっかく空谷子の所へ来て、また金の話なぞを聞かされてはたまらないから、黙ってしまった。すると空谷子が、さも大発見でもしたように、こう云った。
「金は魔物だね」
空谷子の警句としてははなはだ陳腐《ちんぷ》だと思ったから、そうさね、と云ったぎり相手にならずにいた。空谷子は火鉢の灰の中に大きな丸を描《か》いて、君ここに金があるとするぜ、と丸の真中を突ッついた。
「これが何にでも変化する。衣服《きもの》にもなれば、食物《くいもの》にもなる。電車にもなれば宿屋にもなる」
「下らんな。知れ切ってるじゃないか」
「否《いや》、知れ切っていない。この丸がね」とまた大きな丸を描いた。
「この丸が善人にもなれば悪人にもなる。極楽へも行く、地獄へも行く。あまり融通が利《き》き過ぎるよ。まだ文明が進まないから困る。もう少し人類が発達すると、金の融通に制限をつけるようになるのは分り切っているんだがな」
「どうして」
「どうしても好いが、――例《たと》えば金を五色《ごしき》に分けて、赤い金、青い金、白い金などとしても好かろう」
「そうして、どうするんだ」
「どうするって。赤い金は赤い区域内だけで通用するようにする。白い金は白い区域内だけで使う事にする。もし領分外へ出ると、瓦《かわら》の破片《かけら》同様まるで幅が利《き》かないようにして、融通の制限をつけるのさ」
もし空谷子が初対面の人で、初対面の最先《さいさき》からこんな話をしかけたら、自分は空谷子をもって、あるいは脳の組織に異状のある論客《ろんかく》と認めたかも知れない。しかし空谷子は地球より大きな火事を想像する男だから、安心してその訳を聞いて見た。空谷子の答はこうであった。
「金はある部分から見ると、労力の記号だろう。ところがその労力がけっして同種類のものじゃないから、同じ金で代表さして、彼是《ひし》相通ずると、大変な間違になる。例えば僕がここで一万|噸《トン》の石炭を掘ったとするぜ。その労力は器械的の労力に過ぎないんだから、これを金に代えたにしたところが、その金は同種類の器械的の労力と交換する資格があるだけじゃないか。しかるに一度《ひとたび》この器械的の労力が金に変形するや否や、急に大自在《だいじざい》の神通力《じんずうりき》を得て、道徳的の労力とどんどん引き換えになる。そうして、勝手次第に精神界が攪乱《かくらん》されてしまう。不都合|極《きわ》まる魔物じゃないか。だから色分《いろわけ》にして、少しその分《ぶん》を知らしめなくっちゃいかんよ」
自分は色分説《いろわけせつ》に賛成した。それからしばらくして、空谷子に尋ねて見た。
「器械的の労力で道徳的の労力を買収するのも悪かろうが、買収される方も好かあないんだろう」
「そうさな。今のような善知善能《ぜんちぜんのう》の金を見ると、神も人間に降参するんだから仕方がないかな。現代の神は野蛮だからな」
自分は空谷子と、こんな金にならない話をして帰った。
変化
二人は二畳敷の二階に机を並べていた。その畳の色の赤黒く光った様子がありありと、二十余年後の今日《こんにち》までも、眼の底に残っている。部屋は北向で、高さ二尺に足らぬ小窓を前に、二人が肩と肩を喰っつけるほど窮屈な姿勢で下調《したしらべ》をした。部屋の内が薄暗くなると、寒いのを思い切って、窓障子《まどしょうじ》を明け放ったものである。その時窓の真下の家《うち》の、竹格子《たけごうし》の奥に若い娘がぼんやり立っている事があった。静かな夕暮などはその娘の顔も姿も際立《きわだ》って美しく見えた。折々はああ美しいなと思って、しばらく見下《みおろ》していた事もあった。けれども中村には何にも言わなかった。中村も何にも言わなかった。
女の顔は今は全く忘れてしまった。ただ大工か何かの娘らしかったという感じだけが残っている。無論|長屋住居《ながやずまい》の貧しい暮しをしていたものの子である。我ら二人の寝起《ねおき》する所も、屋根に一枚の瓦《かわら》さえ見る事のできない古長屋の一部であった。下には学僕《がくぼく》と幹事を混《ま》ぜて十人ばかり寄宿していた。そうして吹《ふ》き曝《さら》しの食堂で、下駄《げた》を穿《は》いたまま、飯を食った。食料は一箇月に二円であったが、その代りはなはだ不味《まず》いものであった。それでも、隔日に牛肉の汁を一度ずつ食わした。もちろん肉の膏《あぶら》が少し浮いて、肉の香《か》が箸《はし》に絡《から》まって来るくらいなところであった。それで塾生は幹事が狡猾《こうかつ》で、旨《うま》いものを食わせなくっていかんとしきりに不平をこぼしていた。
中村と自分はこの私塾《しじゅく》の教師であった。二人とも月給を五円ずつ貰って、日に二時間ほど教えていた。自分は英語で地理書や幾何学を教えた。幾何の説明をやる時に、どうしてもいっしょになるべき線が、いっしょにならないで困った事がある。ところが込《こ》みいった図を、太い線で書いているうちに、その線が二つ、黒板の上で重なり合っていっしょになってくれたのは嬉しかった。
二人は朝起きると、両国橋を渡って、一つ橋の予備門に通学した。その時分予備門の月謝は二十五銭であった。二人は二人の月給を机の上にごちゃごちゃに攪《か》き交《ま》ぜて、そのうちから二十五銭の月謝と、二円の食料と、それから湯銭|若干《そくばく》を引いて、あまる金を懐《ふところ》に入れて、蕎麦《そば》や汁粉《しるこ》や寿司《すし》を食い廻って歩いた。共同財産が尽きると二人とも全く出なくなった。
予備門へ行く途中両国橋の上で、貴様の読んでいる西洋の小説のなかには美人が出て来るかと中村が聞いた事がある。自分はうん出て来ると答えた。しかしその小説は何の小説で、どんな美人が出て来たのか、今ではいっこう覚えない。中村はその時から小説などを読まない男であった。
中村が端艇競争《ボートきょうそう》のチャンピヨンになって勝った時、学校から若干の金をくれて、その金で書籍を買って、その書籍へある教授が、これこれの記念に贈ると云う文句を書き添えた事がある。中村はその時おれは書物なんかいらないから、何でも貴様の好《すき》なものを買ってやると云った。そうしてアーノルドの論文と沙翁《さおう》のハムレットを買ってくれた。その本はいまだに持っている。自分はその時始めてハムレットと云うものを読んで見た。ちっとも分らなかった。
学校を出ると中村はすぐ台湾に行った。それぎりまるで逢《あ》わなかったのが、偶然|倫敦《ロンドン》の真中でまたぴたりと出喰《でく》わした。ちょうど七年ほど前である。その時中村は昔の通りの顔をしていた。そうして金をたくさん持っていた。自分は中村といっしょに方々遊んで歩いた。中村も以前と異《かわ》って、貴様の読んでいる西洋の小説には美人が出て来るかなどとは聞かなかった。かえって向うから西洋の美人の話をいろいろした。
日本へ帰ってからまた逢《あ》わなくなった。すると今年の一月の末、突然使をよこして、話がしたいから築地の新喜楽《しんきらく》まで来いと云って来た。正午《ひる》までにという注文だのに、時計はもう十一時過である。そうしてその日に限って北風が非常に強く吹いていた。外へ出ると、帽子も車も吹き飛ばされそうな勢いである。自分はその日の午後に是非片づけなくてはならない用事を控《ひか》えていた。妻《さい》に電話を懸《か》けさせて、明日《あす》じゃ都合が悪いかと聞かせると、明日になると出立の準備や何かで、こっちも忙《いそが》しいから……と云うところで、電話が切れてしまった。いくら、どうしても懸《かか》らない。おおかた風のせいでしょうと、妻が寒い顔をして帰って来た。それでとうとう逢わずにしまった。
昔の中村は満鉄の総裁になった。昔の自分は小説家になった。満鉄の総裁とはどんな事をするものかまるで知らない。中村も自分の小説をいまだかつて一|頁《ページ》も読んだ事はなかろう。
底本:「夏目漱石全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1988(昭和63)年7月26日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集」筑摩書房
1971(昭和46)年4月~1972(昭和47)年1月
入力:柴田卓治校正:大野晋
1999年6月14日公開2004年2月26日修正
青空文庫作成ファイル:
【 直木賞作家出身大学ランキング】
1位 早稲田大学 31人
2位 慶應義塾大学 ・ 東京大学 13人
4位 成蹊大学 ・ 山形大学 4人
6位 國學院大學 ・ 立教大学 ・ 九州大学 ・ 東北大学 ・ 大阪大学 ・ 中央大学 3人
12位 大阪府立大学 ・ 新潟大学 ・ 金沢大学 ・ 同志社大学 ・ 明治大学 ・ 一橋大学 ・ 東京電機大学 ・ 青山学院大学 ・ 東京女子大学 ・ 熊本大学 2人
【出典】【有名人の出身大学】
【芥川賞作家出身大学ランキング】
1位 早稲田大学 27人
2位 東京大学 20人
3位 慶應義塾大学 8人
4位 法政大学 6人
5位 明治大学 ・ 東京外国語大学 ・ 京都大学 4人
8位 九州大学 3人
9位 成城大学 ・ 武蔵野美術大学 ・ 上智大学 ・ お茶の水女子大学 ・ 東京女子大学 ・ 大阪府立大学 ・ 東京藝術大学 ・ 大阪大学 ・ 筑波大学 ・ 北海道教育大学 ・ 北海道大学 ・ 長崎大学 ・ 琉球大学 2人
中村是公
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左から中村是公、犬塚信太郎、夏目漱石中村是公(なかむら よしこと(通称「ぜこう」)、1867年12月18日(慶応3年11月23日)‐1927年3月1日)は明治末から大正、昭和初期に活躍した日本の官僚・実業家・政治家。第2代満鉄(南満州鉄道株式会社)総裁、鉄道院総裁、東京市長、貴族院議員などを歴任。夏目漱石の親友。官僚出身らしからぬ豪放磊落な性格で「べらんめい総裁」、「フロックコートを着た猪」、「独眼龍」の異名をとった。
目次 [非表示]
1 生涯
1.1 出身と名前
1.2 大蔵官僚から台湾総督府へ
1.3 満鉄時代
1.4 鉄道院時代
1.5 東京市長時代
2 没後
3 逸話
4 参考文献
5 脚注
生涯 [編集]
出身と名前 [編集]
安芸国佐伯郡五日市村(現・広島県広島市佐伯区五日市町)に柴野宗八の五男として生まれる。養子先が山口県だったので山口出身とも紹介されることが多い。初めは柴野姓で、幼名は登一(といち)、名を是公(よしこと)と読むが皆、「ぜこう」と呼んだ。第一高等中学校(のちの一高)で同期であった夏目漱石なども「ぜこう、ぜこう」と呼び捨てにし、是公は是公で漱石のことを「金ちゃん」と呼んだ。(漱石の本名は「金之助」。)是公の次男・小次郎によると、是公が外国旅行に使った鞄にはY.NAKAMURAとあったという。「これきみ」とも呼ばれた。
大蔵官僚から台湾総督府へ [編集]
是公は明治26年(1893年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、大蔵省に入省。秋田県収税長を経て、台湾総督府に赴任する。ここで、民生局長(のちに民政長官)として赴任してきた後藤新平との出会いが是公の一生を左右した。
是公は祝(ほおり)辰巳、新渡戸稲造とともに後藤腹心の三羽烏といわれ、総督府の総務局長兼財務局長に抜擢される。後藤との深い信頼関係は一生続くこととなる。
満鉄時代 [編集]
明治37年(1904年)に日露戦争が戦われ、明治38年(1905年)、ポーツマス条約が結ばれる。その結果、日本は現在中国の遼東半島の租借権と、長春以南の東清鉄道つまり南満州鉄道の利権をロシアから引き継ぐこととなる。台湾統治で実績を挙げていた後藤は、半官半民の国策会社・南満州鉄道株式会社(満鉄)の総裁となり、40そこそこの是公を副総裁に抜擢した。後藤は「午前八時の男でやろう」と是公に人事を任せ、若い人材を登用させた。三井物産の門司支店長から抜擢された犬塚信太郎に至ってはわずか32歳であったが人物・識見を買われ理事となった。是公は後藤の意向で一時関東都督府民政長官となり、同時に満鉄副総裁の事務も取り扱った。(1907.04.25 - 1908.05.15)
後藤が2年で逓信大臣に抜擢され(1908年)満鉄を去ることになると、若すぎるとの批判を押し切って是公を第2代満鉄総裁に据える。満鉄総裁としては一番長く5年間務め上げ、後藤のプランに従って満鉄の基礎を作った。後藤が「大風呂敷」といわれたのに対し、その仕事ぶりは「ジミ主義」(東京朝日新聞)といわれた。大正元年(1912年)12月、第一次山本内閣の内務大臣だった立憲政友会の原敬の横車で、心ならずも職を追われることになる。満鉄に対する政党の介入のはじめである。副総裁の国沢新兵衛ら、ほとんどの役員が是公に殉じて辞めた。
菊池寛は「満鉄外史」で次のように是公の業績を総括している。
極めて短期間の後藤一代といふものは、ただ例の、景気のいいかけ声で、事業の厖大なアウトラインだけを描いたに過ぎなかった。
すべての仕事をぱたぱたと着手したのは中村二代目からである。
――本社の造営、埠頭制度、港湾土木、倉庫施設、大連市街その他付属地の経営、ホテル事業、病院設備、学校創立、満鉄本線改修、安奉鉄道敷設、上海・営口・安東の各埠頭造営、海運事業創始、電鉄・瓦斯の施設、中央と各地の試験所開始、公所・地方事務所の設置、各種工場、公園、図書館、満蒙産業調査機関、その他いろいろの施設――以上悉く是公の敏腕によつて作り出されたものであった。(以上引用)[1]
また是公は、小説家・夏目漱石の大学予備門以来の無二の親友としても知られ、満鉄総裁時代に夏目を満州に招待し、夏目はその経験を「満韓ところどころ」に発表し、好評を得た。
鉄道院時代 [編集]
大正6年(1917年)、終身の貴族院議員に勅撰される。これは寺内内閣の内務大臣兼鉄道院総裁であった後藤新平の働きかけによるものだった。後藤は自らの鉄道広軌化の方針を推進するため議会対策として腹心の是公を貴族院に送り込んだわけである。まもなく同年5月21日、後藤は是公を鉄道院副総裁に任じ、脇を固めることになる。
大正7年(1918年)4月23日、後藤が外務大臣に横滑りすると、後藤が兼任していた鉄道院総裁に是公が就任する。しかし9月29日、寺内内閣は総辞職し、是公はわずか半年で鉄道院総裁を追われることになる。
東京市長時代 [編集]
大正12年(1923年)9月1日、関東大震災が発生する。大正13年(1924年)10月8日、後藤の強い推薦により、第9代東京市長となり、震災後の東京の復興に取り組むことになるが、大正15年(1926年)6月の市会議員選挙で憲政会が圧勝したのを機に辞職する。その後、しばらく悠々自適の生活を送るが、昭和2年(1927年)3月1日、親友漱石と同じ胃潰瘍で急死する。享年61。
没後 [編集]
渋谷区広尾の3000坪の自宅跡は、羽澤ガーデンとなり囲碁将棋の名勝負の舞台として、また結婚式場、レストランなどとして親しまれたが2005年12月をもち営業を終了した。
逸話 [編集]
「フロックコートを着た猪」とまで形容されるほど剛直な是公であったが、台湾総督府時代、土地調査事業を行なっているとき、後藤新平に「馬鹿!お前のお陰で土地調査の仕事はまるで台無しになった!」と叱責されたところ脳貧血を起こしてふらふらと倒れた。意外と繊細なところがあった。
参考文献 [編集]
青柳達雄「満鉄総裁中村是公と漱石」勉誠社 1996年
菊池寛「満鉄外史」原書房 ほか
脚注 [編集]
^ 菊池寛は1948年に死去しており、すでに著作権は消滅している
先代:
後藤新平 南満州鉄道総裁
第2代: 1908年 - 1913年 次代:
野村龍太郎
先代:
永田秀次郎 東京市長
第9代: 1924年-1926年 次代:
伊沢多喜男
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カテゴリ: 日本の財務官僚 | 日本の実業家 | 日本の国会議員 (1890-1947) | 東京市長 | 広島県出身の人物 | 1867年生 | 1927年没
最終更新 2009年6月19日 (金)