日本国民栄誉賞の初受賞者。現在は福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長、 | 検索のブログ

日本国民栄誉賞の初受賞者。現在は福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長、

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王貞治
2009-08-03 Mon 09:30

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王貞治



[ 王 貞治]
Sadaharu Oh
2006年WBC日本代表での王貞治
基本情報
国籍 台湾
出身地 日本 東京都墨田区
生年月日 1940年5月20日(69歳)
身長
体重 177cm
79kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 一塁手
初出場 1959年4月11日
最終出場 1980年10月12日
経歴(括弧内は在籍年)
選手歴
早稲田実業学校高等部
読売ジャイアンツ (1959 - 1980)

監督・コーチ歴
読売ジャイアンツ (1976 - 1988)
福岡ダイエーホークス
福岡ソフトバンクホークス (1995 - 2008)

野球殿堂(日本)
殿堂表彰者
選出年 1994年
選出方法 競技者表彰
この表について[表示]
この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。
■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手

王 貞治(おう さだはる、中国語拼音:Wáng Zhēnzhì、1940年5月20日 - )は、日本生まれ・台湾籍の元プロ野球選手、監督。

日本国民栄誉賞の初受賞者。現在は福岡ソフトバンクホークス球団取締役会長、読売巨人軍OB会会長。

目次 [非表示]
1 概要
2 経歴
2.1 少年時代
2.2 早実時代
2.3 現役時代
2.3.1 1959年 - 1961年
2.3.2 一本足打法
2.3.3 シーズン55本塁打
2.3.4 ライバル対決
2.3.5 スランプ、そして三冠王
2.3.6 本塁打記録への挑戦
2.3.7 756号本塁打
2.3.8 選手生活最後期、そして引退
2.4 監督時代
2.4.1 巨人助監督・監督時代
2.4.2 ダイエー・ソフトバンク監督時代
3 人物
3.1 野球選手として
3.2 米国での評価
3.3 ON砲
3.4 人柄・性格
3.5 趣味
3.6 家族
3.7 国籍について
3.8 交友関係
3.9 その他の逸話
4 詳細情報
4.1 年度別打撃成績
4.2 王の節目の本塁打記録の一覧表
4.3 タイトル・表彰・記録
4.3.1 タイトル
4.3.2 表彰
4.3.3 記録
4.3.3.1 レギュラーシーズン
4.3.3.1.1 本塁打
4.3.3.1.2 打率・打点
4.3.3.1.3 長打力・得点能力
4.3.3.1.4 四死球
4.3.3.1.5 守備
4.3.3.2 日本シリーズ
4.3.3.3 オールスターゲーム
4.4 監督としてのチーム成績
4.4.1 ポストシーズン
4.4.2 WBC 国・地域別対抗野球大会
4.5 監督通算成績
4.6 背番号
4.7 CM
4.8 歌
4.8.1 本人が歌っているもの
4.8.2 歌詞に関連しているもの
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク


概要 [編集]
父王仕福は中国人中国浙江省青田県出身、母王登美は華僑日本人。東京生まれ。

現役時代のニックネームは「ワンちゃん」。「世界の本塁打王」、「世界の王」とも呼ばれる。また現役時代にONコンビとして共に活躍した長嶋茂雄が「栄光の背番号3」と称されたのに対し、「栄光のビッグ1」と称されている。左投左打で内野手(一塁手)であった。現役引退後は巨人で助監督と監督、その後解説者、ダイエー・ソフトバンクの監督を歴任した。

2008年シーズン終了と同時に福岡ソフトバンクホークス監督を退任し、同球団取締役最高顧問に就任。2009年1月1日より取締役会長に昇進。日本プロ野球組織(NPB)コミッショナー特別顧問。

読売ジャイアンツ(巨人)の主軸として積み上げた通算本塁打数868本は、大リーグのハンク・アーロンの755本を抜き、世界最高本塁打数記録である。その他数々の日本プロ野球記録を保持する。巨人では入団から監督を退くまで背番号1を背に戦い、1番は巨人の永久欠番となっている。また、ダイエー・ソフトバンクでの監督時代の背番号89は、ホークスの永久欠番にするかどうかが検討されている。

第1回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の優勝監督でもあり、第2回大会では監督相談役を務める。世界少年野球推進財団の提唱者で、理事長。「ふるさと清掃運動会」実行委員長。福岡市名誉市民(2004年12月16日選定)。野球特別大使(2009年2月26日委嘱)。叙勲は中華民国(台湾)二等景星勲章(2009年2月05日受賞)。二女・王理恵はタレント。


経歴 [編集]

少年時代 [編集]
東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)で中華民国籍(浙江省青田県出身)の王仕福、日本人(富山県氷見市出身)の登美(旧姓:當住)の次男として生まれる。

実は、王貞治は5月10日に二卵性双生児の弟として出生したが、戸籍上の出生日は5月20日である。実際の出生日と戸籍上の出生日が異なる理由は諸説あり、取り上げられても泣かないほどの未熟児であったため両親が出生届の提出を躊躇したという説と、家業の中華料理ラーメン店「五十番」が多忙のため出生届の提出が遅れたなどの説がある。なお、双子の姉・廣子(ひろこ)は、1歳3か月で死去した。一方の貞治は「3つの歳まで立つことすらおぼつかなかった」と貞治本人が述べている。

太平洋戦争中の一時期、王一家は母親の旧姓『當住』を名乗っていたこともあったという。

父・仕福は長男・鐵城を医師に、次男・貞治を電気技師にして、兄弟ともに母国に戻り働いてもらいたいと考えていた。だが区立本所中時代に、のちに指導を受ける荒川博(当時毎日オリオンズ)に野球の素質を見出され、荒川の母校早稲田実業学校高等部に進学することになる。高校受験での第一志望先である都立墨田川に落ちた結果であった。

荒川との出逢いは、犬の散歩をしていた荒川が、通りがかったグラウンドで王が出ていた少年野球の試合を眺めていたというものである。試合を観ていた荒川は、当時右打ちだった王に対して「なぜ君は左で投げるのに右で打つんだ?」と質問すると、「それは、オヤジから箸と鉛筆と算盤は右でやれと言われているので、バットも右でもたないと親父に文句言われると思って…」と言った。

それを聞いて荒川は「今の野球は左利きの選手に希少価値があるのに、君はわざわざ右で打つなんてもったいない話だ…」と言った。それを聞いた王はすぐに左打ちを実践したところ二塁打を打ち、以後左で打つようになった。荒川はその時の王の印象を「なんて素直な少年なんだと思った。普通は試合中に右打ちから左打ちに変えるなんて人に言われたってしない。それをスパッとやってしまうのはすごい」と語っている。

また、この出逢いの時王は身長176cmで当時の若者としては長身だった。王の素質を認めた荒川は「君は今何年生だ?」と聞き、王が「二年生です」と答えたのを受けて荒川は高校生と勘違いし、「そうか、じゃあ早稲田大学(荒川の出身校)はどうかな?」と勧めたところ、「はい、そうなるといいのですが、その前に高校に行かないと」と王が答えた為、荒川は「二年生というのは中学生なのか」と驚いたと言う。

小学生の頃、当時の横綱:吉葉山から「相撲取りになりなさい」と勧められるほど相撲が強かった。そして本所中学校では陸上部と卓球部に在籍したことがある。野球部にも在籍していたが、グラウンドが使えなかったために休部同然の状態であった。


早実時代 [編集]
早稲田実時代は、1年生の時に外野手兼控え投手としてチームの夏の甲子園出場に貢献。2年生の時にはエースとなり、センバツで3試合連続完封により決勝戦へ進出。

決勝では4試合連続完封を逃したものの、完投勝利で関東に初めて選抜優勝旗をもたらし人気を集めた。夏の甲子園では2回戦で延長11回を完投しノーヒットノーランを達成(延長戦でのノーヒットノーラン達成は、甲子園では春夏を通じて唯一の記録である)。当時の王はノーワインドアップ投法を用いていた。3年生のセンバツでは30年ぶりとなる2試合連続本塁打を放った。しかし、夏の甲子園には、東京都予選の決勝戦で敗れたため出場できなかった。

なお、国体には、当時の国籍規定(王は中華民国国籍である)のため出場できなかった。


現役時代 [編集]

1959年 - 1961年 [編集]
1959年に契約金1500万円、年俸140万円、背番号1という高卒新人としては破格の条件で読売ジャイアンツに入団(なお、前年に大卒で入団した長嶋茂雄の契約金が1600万円だった)。背番号1については、中国語で「王」を「ワン」と発音することから、英語のoneにかけてつけられたという説もあるが、背番号そのものは、南村侑広の引退によってたまたま1が空いていたため、それを付けることになったというのが実情である。プロ入りの同期には村山実・板東英二・河村保彦・江藤愼一・田中俊幸・張本勲・足立光宏らがいる。

当初は投手として入団したが、監督の水原茂に「王、お前はピッチャーとして大成しない」と言われ、すぐに一塁手に転向した。

当時エースの藤田元司は王の印象として、「甲子園で活躍するなど高校時代に頑張りすぎたのか、僕が見る限り投手としての王君はくたびれていましたね」と語った。また、前年に引退しこの年からコーチになった川上哲治は、「何というか、球筋がやさしいんですね」、「投手としては特に特徴もなく、このままなら埋もれると思った。しかし打撃はすごい才能があると思った。」と語っている。川上によれば、王のバッティングは構えからスイングまで全く頭が動かず、18歳の若さで既に基本が完成していたという。当時二軍監督だった千葉茂は練習後に王と入浴した際、「王の体格には驚いた、非常にいい筋肉をしておる。ただし、いかり肩で大成した投手はいないだけに、投手としては厳しいだろう」と感じ、水原に「ピッチャーとしてはあきまへん。でもバッターなら川上の半分は打ちます」と野手起用を進言した。王自身は「(自分が投手として通用しないことは)薄々感づいてはいた。だけど、やはり野球をやる者なら誰でも投手に憧れるもので、『おまえ、明日からは野手だ』と言われた時は正直に言えば寂しかった」と語っているが、川上の引退直後であり、その後継一塁手としての期待は大きかった。ライバルはこれも既に峠を過ぎていた与那嶺要くらいで、その与那嶺もキャンプでの王の打撃練習を見て「ボク、(一塁のポジション争いではかなわないので)外野手に戻るよ」と言ったという。

オープン戦で5本塁打を放つなど順調にシーズンを迎え、開幕戦(4月11日)の国鉄スワローズ戦では高卒新人ながら7番一塁で先発出場を果たした。しかし、この試合で金田正一と対戦し、3打席で2三振1四球に終わった。この結果は長嶋茂雄の初試合4打席連続三振とよく比較される。これをきっかけにオープン戦と一転して当たりが止まってしまい、26打席無安打が続いた。

4月26日の対国鉄戦7回表、0-0、ランナー1塁という場面で王に打順が回った。水原は代打策も考えたが、当時チームは開幕ダッシュに成功して余裕があったこともあり、まだ新人の王に経験を積ませることを優先した。国鉄の村田元一が投じた内角カーブをすくい上げた打球はライトスタンド最前列に落ちた。プロ初安打がホームラン。これが王の記念すべき1号本塁打となった。

同年6月25日の天覧試合では7回、2-4と2点ビハインドの場面で小山正明から4号同点2ラン。これが長嶋茂雄とのONコンビ・アベック本塁打1号である。

しかしそれ以外はほとんど目立った活躍もなく、1年目は.161、7本塁打と当初の期待からすれば物足りない結果に終わった。特に目立ったのが72を数えた三振の多さで(2.7打数に1三振に相当)、「王は王でも三振王」などと野次られる始末だった。ただし、主力選手でも遠慮していた水原監督の隣の座をいつも占め、「監督、今の一塁手のプレーにはどういう意味があるのでしょうか?」と堂々と質問したり、記者から「(不振の)重圧はありませんか?」と尋ねられても、「別に。使っているのは監督さんですから」と答え、新人としては異例の姿勢だった。また、期待はずれの成績にも関わらず、2年目の年俸は推定140万円から160万円にアップした。これは練習の球拾い時に自腹で専用の糸を購入し丁寧にボールの破れを修繕していたことを球団代表が評価したため。なお、この球団の評価に感銘した王は、以後現役引退するまで一度も契約更改でもめることはなかった。1974年の更改は2年連続三冠王にも関わらず現状維持であったが、それでも文句1つ言わずサインしている。

プロの水に慣れた2年目は.270、17本塁打(このシーズンのチーム最多)と主軸として恥ずかしくない成績を残し、オールスターゲームにもファン投票選出された。これは、東京六大学野球の大型一塁手、木次文夫の入団で危機感を抱いたことも好影響を及ぼしたといわれる。しかし三振も101個と依然として多かった。

3年目の1961年、川上が水原の後を継いで監督に就任。川上は王に長嶋に次ぐ中心打者としての活躍を期待したが、.253、13本塁打と2年目より成績を落とし、期待に応えることはできなかった。この年中日に入団し、ルーキーながらエースとして活躍した権藤博は王について「速球はある程度対応してくるけど、カーブを投げておけば簡単に空振りして尻餅をついていた。かわいいもんだと思った」と語っている。高卒3年目としてはそれなりの成績は出していたが、契約金の額や首脳陣の期待からすれば物足りない数字だった。

大きな期待がかかりながら伸び悩む王には、阪急ブレーブスのエース・米田哲也との交換トレードの話も持ち上がっていた(結果的に阪急が断ったため、このトレードは行われなかった)。


一本足打法 [編集]
1962年、荒川博が巨人の打撃コーチに就任。荒川就任は読売新聞の関係者が広岡達朗を介して、川上に荒川を推薦したもの[1]。川上は榎本喜八を育てた荒川の手腕に王の指導を託した。川上は、王の成績が思うように伸びないのは、練習に身が入らないために結果が出ず、そのために自信を持てず、さらに練習に身が入らない、という悪循環が起こっているためだと考え、荒川に最も強く期待したのは王に練習に身を入れるように意識改革をさせることだった。秋季キャンプで久々に王を見た荒川は、「なんだ、こんなスイングではドッジボールにも当たらんぞ。遊びは上手くなったかもしれんが、野球は下手になったな」と言い放った。王は内心カッとなったが、言い返せなかった。しかし、荒川はこの時「これだけ悪い打ち方(打ちにいく際、手足の動きがバラバラな点だと説明)でも、二割七分打ったこともあるのだから、やはり素質は素晴らしい」と感じたという。

【中略】
参考文献 [編集]
『スポーツ20世紀』 ベースボール・マガジン社 2000年7月
上前淳一郎 『巨人軍影のベストナイン』 角川文庫1977年 ISBN 978-4-04-326902-0Template:私のベストゲーム

関連項目 [編集]
東京都出身の人物一覧
読売ジャイアンツの選手一覧
読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
世界少年野球推進財団(ハンク・アーロンと共同主宰)
神戸中華同文学校
在日台湾人
義田貴士(スポーツジャーナリスト) - テレ朝系ドラマ『アストロ球団』で王を演じた
石森達幸(声優) - アニメ『巨人の星』で王を演じた
江尻良文(夕刊フジ編集委員) - 「生涯番記者」を自任し、王についての本を執筆
大崎タイムス - 「王貞治旗争奪大崎地方少年野球選手権大会」を1981年から開催

外部リンク [編集]
王語録(nikkansports.comより)
日本プロ野球名球会会員 王貞治(日本プロ野球名球会より)
王監督ありがとう-ホークスと歩んだ14年間の軌跡-
王貞治 50年のプロ野球人生を語る
[表示]業績
[表示]表・話・編・歴第28代読売ジャイアンツ4番打者

1-10代 1 永沢富士雄 | 2 伊藤健太郎 | 3 中島治康 | 4 筒井修 | 5 前川八郎 | 6 水原茂 | 7 川上哲治 | 8 青田昇 | 9 木暮力三 | 10 中村政美

11-20代 11 V.スタルヒン | 12 近藤貞雄 | 13 川畑博 | 14 黒沢俊夫 | 15 小松原博喜 | 16 平山菊二 | 17 宇野光雄 | 18 南村侑広 | 19 手塚明治 | 20 宮本敏雄

21-30代 21 樋笠一夫 | 22 藤尾茂 | 23 柏枝文治 | 24 与那嶺要 | 25 長嶋茂雄 | 26 坂崎一彦 | 27 国松彰 | 28 王貞治 | 29 池沢義行 | 30 森昌彦

31-40代 31 相羽欣厚 | 32 吉田勝豊 | 33 田中久寿男 | 34 高倉照幸 | 35 森永勝也 | 36 柴田勲 | 37 末次利光 | 38 柳田俊郎 | 39 張本勲 | 40 淡口憲治

41-50代 41 D.ジョンソン | 42 J.シピン | 43 山本功児 | 44 R.ホワイト | 45 中畑清 | 46 G.トマソン | 47 松原誠 | 48 原辰徳 | 49 R.スミス | 50 W.クロマティ

51-60代 51 呂明賜 | 52 駒田徳広 | 53 吉村禎章 | 54 M.ブラウン | 55 P.ブラッドリー | 56 L.モスビー | 57 J.バーフィールド | 58 岡崎郁 | 59 大久保博元 | 60 落合博満

61-70代 61 広沢克己 | 62 松井秀喜 | 63 S.マック | 64 清原和博 | 65 石井浩郎 | 66 高橋由伸 | 67 D.マルティネス | 68 R.ペタジーニ | 69 小久保裕紀 | 70 李承燁

71-80代 71 二岡智宏 | 72 阿部慎之助 | 73 小笠原道大 | 74 A.ラミレス

[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグMVP

1950年代 50 小鶴誠 | 51 川上哲治 | 52 別所毅彦 | 53 大友工 | 54 杉下茂 | 55 川上哲治 | 56 別所毅彦 | 57 与那嶺要 | 58 藤田元司 | 59 藤田元司

1960年代 60 秋山登 | 61 長嶋茂雄 | 62 村山実 | 63 長嶋茂雄 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 長嶋茂雄 | 67 王貞治 | 68 長嶋茂雄 | 69 王貞治

1970年代 70 王貞治 | 71 長嶋茂雄 | 72 堀内恒夫 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 山本浩二 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 若松勉 | 79 江夏豊

1980年代 80 山本浩二 | 81 江川卓 | 82 中尾孝義 | 83 原辰徳 | 84 衣笠祥雄 | 85 R.バース | 86 北別府学 | 87 山倉和博 | 88 郭源治 | 89 W.クロマティ

1990年代 90 斎藤雅樹 | 91 佐々岡真司 | 92 J.ハウエル | 93 古田敦也 | 94 桑田真澄 | 95 T.オマリー | 96 松井秀喜 | 97 古田敦也 | 98 佐々木主浩 | 99 野口茂樹

2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 井川慶 | 04 川上憲伸 | 05 金本知憲 | 06 福留孝介 | 07 小笠原道大 | 08 A.ラミレス

[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ ベストナイン (一塁手)

1950年代 50 西沢道夫 | 51 川上哲治 | 52 川上哲治 | 53 川上哲治 | 54 西沢道夫 | 55 川上哲治 | 56 川上哲治 | 57 川上哲治 | 58 川上哲治 | 59 藤本勝巳

1960年代 60 近藤和彦 | 61 藤本勝巳 | 62 王貞治 | 63 王貞治 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治 | 67 王貞治 | 68 王貞治 | 69 王貞治

1970年代 70 王貞治 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 王貞治 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 王貞治 | 79 王貞治

1980年代 80 谷沢健一 | 81 藤田平 | 82 谷沢健一 | 83 谷沢健一 | 84 谷沢健一 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 R.バース | 88 落合博満 | 89 L.パリッシュ

1990年代 90 落合博満 | 91 落合博満 | 92 J.パチョレック | 93 広沢克己 | 94 大豊泰昭 | 95 T.オマリー | 96 L.ロペス | 97 L.ロペス | 98 駒田徳広 | 99 R.ペタジーニ

2000年代 00 R.ペタジーニ | 01 R.ペタジーニ | 02 R.ペタジーニ | 03 G.アリアス | 04 T.ウッズ | 05 新井貴浩 | 06 T.ウッズ | 07 T.ウッズ | 08 内川聖一

[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ首位打者

1950年代 50 藤村富美男 | 51 川上哲治 | 52 西沢道夫 | 53 川上哲治 | 54 与那嶺要 | 55 川上哲治 | 56 与那嶺要 | 57 与那嶺要 | 58 田宮謙次郎 | 59 長嶋茂雄

1960年代 60 長嶋茂雄 | 61 長嶋茂雄 | 62 森永勝治 | 63 長嶋茂雄 | 64 江藤慎一 | 65 江藤慎一 | 66 長嶋茂雄 | 67 中暁生 | 68 王貞治 | 69 王貞治

1970年代 70 王貞治 | 71 長嶋茂雄 | 72 若松勉 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 山本浩二 | 76 谷沢健一 | 77 若松勉 | 78 水谷実雄 | 79 F.ミヤーン

1980年代 80 谷沢健一 | 81 藤田平 | 82 長崎啓二 | 83 真弓明信 | 84 篠塚利夫 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 篠塚利夫&正田耕三 | 88 正田耕三 | 89 W.クロマティ

1990年代 90 J.パチョレック | 91 古田敦也 | 92 J.ハウエル | 93 T.オマリー | 94 A.パウエル | 95 A.パウエル | 96 A.パウエル | 97 鈴木尚典 | 98 鈴木尚典 | 99 R.ローズ

2000年代 00 金城龍彦 | 01 松井秀喜 | 02 福留孝介 | 03 今岡誠 | 04 嶋重宣 | 05 青木宣親 | 06 福留孝介 | 07 青木宣親 | 08 内川聖一

[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ本塁打王

1950年代 50 小鶴誠 | 51 青田昇 | 52 杉山悟 | 53 藤村富美男 | 54 青田昇 | 55 町田行彦 | 56 青田昇 | 57 青田昇&佐藤孝夫 | 58 長嶋茂雄 | 59 桑田武&森徹

1960年代 60 藤本勝巳 | 61 長嶋茂雄 | 62 王貞治 | 63 王貞治 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治 | 67 王貞治 | 68 王貞治 | 69 王貞治

1970年代 70 王貞治 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 田淵幸一 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 山本浩二 | 79 掛布雅之

1980年代 80 山本浩二 | 81 山本浩二 | 82 掛布雅之 | 83 山本浩二&大島康徳 | 84 宇野勝&掛布雅之 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 R.ランス | 88 C.ポンセ | 89 L.パリッシュ

1990年代 90 落合博満 | 91 落合博満 | 92 J.ハウエル | 93 江藤智 | 94 大豊泰昭 | 95 江藤智 | 96 山崎武司 | 97 D.ホージー | 98 松井秀喜 | 99 R.ペタジーニ

2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 A.ラミレス&T.ウッズ | 04 T.ローズ&T.ウッズ | 05 新井貴浩 | 06 T.ウッズ | 07 村田修一 | 08 村田修一

[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ打点王

1950年代 50 小鶴誠 | 51 青田昇 | 52 西沢道夫 | 53 藤村富美男 | 54 渡辺博之&杉山悟 | 55 川上哲治 | 56 宮本敏雄 | 57 宮本敏雄 | 58 長嶋茂雄 | 59 森徹

1960年代 60 藤本勝巳 | 61 桑田武 | 62 王貞治 | 63 長嶋茂雄 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治 | 67 王貞治 | 68 長嶋茂雄 | 69 長嶋茂雄

1970年代 70 長嶋茂雄 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 王貞治 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 王貞治 | 79 山本浩二

1980年代 80 山本浩二 | 81 山本浩二 | 82 掛布雅之 | 83 原辰徳 | 84 衣笠祥雄 | 85 R.バース | 86 R.バース | 87 C.ポンセ | 88 C.ポンセ | 89 落合博満

1990年代 90 落合博満 | 91 広沢克己 | 92 L.シーツ | 93 広沢克己&R.ローズ | 94 大豊泰昭 | 95 江藤智 | 96 L.ロペス | 97 L.ロペス | 98 松井秀喜 | 99 R.ローズ

2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 A.ラミレス | 04 金本知憲 | 05 今岡誠 | 06 T.ウッズ | 07 A.ラミレス | 08 A.ラミレス

[表示]表・話・編・歴セントラル・リーグ最多出塁数

1984年まで最多出塁数

1950年代 50 藤村富美男 | 51 金田正泰 | 52 千葉茂 | 53 金田正泰 | 54 与那嶺要 | 55 川上哲治 | 56 与那嶺要 | 57 与那嶺要 | 58 岡嶋博治 | 59 長嶋茂雄

1960-1966年 60 長嶋茂雄 | 61 長嶋茂雄 | 62 王貞治 | 63 王貞治 | 64 王貞治 | 65 王貞治 | 66 王貞治

1967年から1984年まで最多出塁数で表彰、1985年以降は最多出塁率で表彰。

1967-1979年 67 王貞治 | 68 王貞治 | 69 王貞治 | 70 王貞治 | 71 王貞治 | 72 王貞治 | 73 王貞治 | 74 王貞治 | 75 王貞治 | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 王貞治 | 79 山本浩二

1980年-1984年 80 山本浩二 | 81 掛布雅之 | 82 掛布雅之&田尾安志 | 83 山本浩二 | 84 谷沢健一

以下、最高出塁率

1985年-1989年 85 R.バース | 86 R.バース | 87 落合博満 | 88 落合博満 | 89 W.クロマティ

1990年代 90 落合博満 | 91 落合博満 | 92 T.オマリー | 93 T.オマリー | 94 T.オマリー | 95 T.オマリー | 96 江藤智 | 97 R.ローズ | 98 松井秀喜 | 99 R.ペタジーニ

2000年代 00 松井秀喜 | 01 R.ペタジーニ | 02 松井秀喜 | 03 福留孝介 | 04 G.ラロッカ | 05 福留孝介 | 06 福留孝介 | 07 青木宣親 | 08 内川聖一

[表示]表・話・編・歴日本シリーズ優秀選手

1950年代 50 なし | 51 なし | 52 なし | 53 なし | 54 なし | 55 なし | 56 なし | 57 豊田泰光 | 58 中西太 | 59 杉山光平

1960年代 60 近藤和彦 | 61 塩原明 | 62 岩下光一 | 63 王貞治 | 64 K.ハドリ | 65 林俊彦 | 66 長嶋茂雄 | 67 D.スペンサー | 68 柴田勲 | 69 足立光宏

1970年代 70 黒江透修 | 71 黒江透修 | 72 長嶋茂雄 | 73 高田繁 | 74 山崎裕之 | 75 中沢伸二, 外木場義郎 | 76 B.ウイリアムス | 77 福本豊 | 78 若松勉 | 79 水谷実雄

1980年代 80 木下富雄, 山根和夫, 平野光泰 | 81 平田薫, 江川卓, 河埜和正 | 82 大田卓司, スティーブ.O, 中尾孝義 | 83 田淵幸一, テリー.W, 中畑清 | 84 山本浩二, 高橋慶彦, 福本豊 | 85 R.ゲイル, 真弓明信, 長崎啓二 | 86 清原和博, 石毛宏典, 津田恒実 | 87 石毛宏典, 秋山幸二, 槙原寛己 | 88 清原和博, 森山良二, 郭源治 | 89 岡崎郁, 香田勲男, 阿波野秀幸

1990年代 90 渡辺久信, 辻発彦, 伊東勤 | 91 工藤公康, 渡辺久信, 野村謙二郎 | 92 石毛宏典, 秋山幸二, 飯田哲也 | 93 飯田哲也, 高津臣吾, 潮崎哲也 | 94 桑田真澄, H.コトー, 辻発彦 | 95 T.ブロス, 池山隆寛, 高津臣吾 | 96 大島公一, 鈴木平, イチロー | 97 石井一久, 稲葉篤紀, 池山隆寛 | 98 斎藤隆, 石井琢朗, 駒田徳広 | 99 工藤公康, 永井智浩, 城島健司

2000年代 00 仁志敏久, 村田真一, 高橋尚成 | 01 岩村明憲, 石井一久, 真中満 | 02 清原和博, 上原浩治, 斉藤宜之 | 03 井口資仁, 城島健司, 桧山進次郎 | 04 A.カブレラ, 和田一浩, 谷繁元信 | 05 渡辺俊介, サブロー, 李承燁 | 06 ダルビッシュ有, F.セギノール, 森本稀哲 | 07 山井大介, 森野将彦, 荒木雅博 | 08 中島裕之, 平尾博嗣, 鈴木尚広

[表示]表・話・編・歴日本プロ野球サイクル安打達成者(1963年4月25日、22人目)

1959年以前 藤村富美男 | 金田正泰 | 藤村富美男 | 門前眞佐人 | 東谷夏樹 | 浅原直人 | 滝田政治 | 山川武範 | 青田昇 | 原田徳光 | 大下弘 | 川上哲治 | 飯田徳治 | 毒島章一 | 渡辺清 | 葛城隆雄 | 大和田明 | 町田行彦

1960年代 近藤和彦 | 前田益穂 | 王貞治 | D.スペンサー | 和田博実

1970年代 山崎裕之 | 弘田澄男 | 得津高宏 | 衣笠祥雄 | 若松勉 | 長崎慶一 | 真弓明信

1980年代 平野光泰 | 大宮龍男 | 福本豊 | 松永浩美 | 山本浩二 | 栗橋茂 | 岡村隆則 | 金村義明 | 秋山幸二 | 田村藤夫

1990年代 藤本博史 | 池山隆寛 | 松永浩美 | J.ハウエル | 中村紀洋 | R.ローズ | R.ローズ | 立浪和義 | 広沢克 | 金本知憲 | 仁志敏久 | R.ローズ

2000年代 松井稼頭央 | B.ロドリゲス | 井端弘和 | J.オーティズ | 福留孝介 | 稲葉篤紀 | 村松有人 | 桧山進次郎 | 細川亨 | アレックス | J.ズレータ | 小笠原道大

[表示]表・話・編・歴正力松太郎賞受賞者

1970年代 77 王貞治 | 78 広岡達朗 | 79 西本幸雄

1980年代 80 古葉竹識 | 81 藤田元司 | 82 広岡達朗 | 83 田淵幸一 | 84 衣笠祥雄 | 85 吉田義男 | 86 森祇晶 | 87 工藤公康 | 88 門田博光 | 89 藤田元司

1990年代 90 森祇晶 | 91 秋山幸二 | 92 石井丈裕 | 93 野村克也 | 94 長嶋茂雄,イチロー | 95 イチロー | 96 仰木彬 | 97 古田敦也 | 98 佐々木主浩 | 99 王貞治

2000年代 00 松井秀喜 | 01 若松勉 | 02 原辰徳 | 03 王貞治,星野仙一 | 04 伊東勤,イチロー(特別賞) | 05 ボビー・バレンタイン | 06 王貞治 | 07 落合博満 | 08 渡辺久信

[表示]表・話・編・歴日本プロスポーツ大賞 受賞選手・団体

1960年代 68 西城正三 | 69 読売巨人軍

1970年代 70 大鵬幸喜 | 71 長嶋茂雄 | 72 松本勝明 | 73 沢村忠 | 74 王貞治 | 75 広島東洋カープ | 76 王貞治 | 77 王貞治 | 78 ヤクルトスワローズ | 79 具志堅用高

1980年代 80 具志堅用高 | 81 中野浩一 | 82 落合博満 | 83 広岡達朗 | 84 衣笠祥雄 | 85 ランディ・バース | 86 落合博満 | 87 岡本綾子 | 88 千代の富士貢 | 89 千代の富士貢

1990年代 90 野茂英雄 | 91 辰吉丈一郎 | 92 貴花田光司 | 93 三浦知良 | 94 イチロー | 95 イチロー | 96 尾崎将司 | 97 中田英寿 | 98 佐々木主浩 | 99 松坂大輔

2000年代 00 松井秀喜 | 01 イチロー | 02 FIFAワールドカップ日本代表 | 03 松井秀喜 | 04 朝青龍明徳 | 05 朝青龍明徳 | 06 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表 | 07 浦和レッドダイヤモンズ | 08 石川遼

[表示]表・話・編・歴国民栄誉賞受賞者

王貞治 - 古賀政男 - 長谷川一夫 - 植村直己 - 山下泰裕 - 衣笠祥雄 - 美空ひばり - 千代の富士貢 - 藤山一郎 - 長谷川町子 - 服部良一 - 渥美清 - 吉田正 - 黒澤明 - 高橋尚子 - 遠藤実 - 森光子

[表示]表・話・編・歴日本プロ野球名球会

投手(通算200勝以上)

金田正一 - 稲尾和久 - 小山正明 - 米田哲也 - 梶本隆夫 - 皆川睦雄 - 村山実 - 鈴木啓示 - 堀内恒夫 - 山田久志 - 平松政次 - 東尾修 - 村田兆治 - 北別府学 - 工藤公康 - 野茂英雄 - 山本昌広(山本昌)

投手(通算250セーブ以上)

佐々木主浩 - 高津臣吾

野手(通算2000本安打以上)

山内一弘 - 野村克也 - 長嶋茂雄 - 広瀬叔功 - 張本勲 - 王貞治 - 江藤愼一 - 土井正博 - 高木守道 - 松原誠 - 柴田勲 - 大杉勝男 - 藤田平 - 衣笠祥雄 - 福本豊 - 山崎裕之 - 山本浩二 - 有藤通世 - 若松勉 - 谷沢健一 - 加藤英司 - 門田博光 - 大島康徳 - 新井宏昌 - 秋山幸二 - 駒田徳広 - 立浪和義 - 鈴木一朗(イチロー) - 清原和博 - 古田敦也 - 野村謙二郎 - 石井琢朗 - 松井秀喜 - 田中幸雄 - 前田智徳 - 金本知憲

名誉会員(マスターズリーグとの通算で資格基準を満たした選手)

野手/松永浩美

脱会者(過去に同会の名簿上に存在していた選手)

投手/江夏豊 野手/榎本喜八

有資格者(未勧誘もしくは参加辞退者)

投手/リッチ・ゴセージ 野手/マティ・アルー - 落合博満 - ウォーレン・クロマティ - レジー・スミス - ウィリー・デービス - ラリー・パリッシュ - トニー・フェルナンデス - フリオ・フランコ - ロイ・ホワイト - ビル・マドロック

その他の成績条件達成選手(昭和以前生まれ)

投手/ヴィクトル・スタルヒン - 若林忠志 - 野口二郎 - 別所毅彦 - 中尾碩志 - 藤本英雄 - 杉下茂 野手/川上哲治


[表示]表・話・編・歴2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

監督 89 王貞治

コーチ 84 武田一浩(投手) | 85 辻発彦(内野守備走塁) | 86 鹿取義隆(投手) | 87 大島康徳(打撃) | 88 弘田澄男(外野守備走塁)

投手 11 清水直行 | 12 藤田宗一 | 15 久保田智之 | 18 松坂大輔 | 19 上原浩治 | 20 薮田安彦 | 21 和田毅 | 24 藤川球児 | 31 渡辺俊介 | 40 大塚晶則 | 41 小林宏之 | 47 杉内俊哉 | 61 石井弘寿 | 61 馬原孝浩

捕手 22 里崎智也 | 27 谷繁元信 | 59 相川亮二

内野手 1 岩村明憲 | 2 小笠原道大 | 3 松中信彦 | 7 西岡剛 | 8 今江敏晃 | 10 宮本慎也 | 25 新井貴浩 | 52 川崎宗則

外野手 5 和田一浩 | 6 多村仁 | 9 金城龍彦 | 17 福留孝介 | 23 青木宣親 | 51 イチロー

[表示]表・話・編・歴ワールド・ベースボール・クラシック日本代表監督

2006 王貞治 | 2009 原辰徳

[表示]表・話・編・歴福岡ダイエー(ソフトバンク)ホークス監督 1995-2008(2006後半休養)

高須一雄 1938-1940 | 三谷八郎 1941-1942 | 加藤喜作 1942 | 高田勝生 1943 | 加藤喜作 1943-1945 | 山本(鶴岡)一人 1946-1962 | 【代行】 蔭山和夫 1962 | 鶴岡一人 1963-1965 | 蔭山和夫 1965 | 鶴岡一人 1966-1968 | 飯田徳治 1969 | 野村克也 1970-1977 | 【代行】 穴吹義雄 1977 | 広瀬叔功 1978-1980 | ドン・ブレイザー 1981-1982 | 穴吹義雄 1983-1985 | 杉浦忠 1986-1989 | 田淵幸一 1990-1992 | 根本陸夫 1993-1994 | 王貞治 1995-2006 | 【代行】 森脇浩司 2006 | 王貞治 2007-2008 | 秋山幸二 2009-

[表示]表・話・編・歴読売ジャイアンツ監督 1984-1988

三宅大輔 1934-1935 | 浅沼誉夫 1935-1936 | 藤本定義 1936-1942 | 中島治康 1943 | 藤本英雄 1944-1946 | 中島治康 1946-1947 | 三原脩 1947-1949 | 水原茂 1950-1960 | 川上哲治 1961-1974 | 長嶋茂雄 1975-1980 | 藤田元司 1981-1983 | 王貞治 1984-1988 | 藤田元司 1989-1992 | 長嶋茂雄 1993-2001 | 原辰徳 2002-2003 | 堀内恒夫 2004-2005 | 原辰徳 2006-


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最終更新 2009年7月30日