20代前半くらいまでは
「憧れの人」「尊敬する人」「目指す先としての象徴」が
人間として実在していて
その人だったらどうするかな?とか
その人みたいになれるように頑張ろうとか
あわよくば、その人から肯定されたい。
と思って生きていた。
でも、そういう存在が居なくなったとき、
つまり「憧れの象徴」が
1つの人間の形でおさまらなくなってきた時、
残される選択肢は、3つしかない。
①自分を低く位置させることで、象徴を高い位置に維持する
②新たな象徴を探す
③自分が象徴になる
でね、
セルフイメージが低すぎる状態だと
③は無理だ、って、はなから諦めるんだけど
正直なところ
③が1番ラクで確実だ。
①も②も、対象が人間として存在するから
その人間の心が、変わるたびに
こちらも変わらなきゃいけなくなる。
振り回される。
どこにいっても孤独感を感じたり
馴染めなかったり
ひとり浮いてるように
なぜか、なぜか、どうしても
感じてしまうのなら
もう、諦めるしかないのだ、
既製品は、むりな、カラダなのだ。
自分が創るしかない。
自分で創るしかない。
いいえ、
そもそも、私が創ってきたんだと、腹落ちしたときに
上とか下とか、そういうのが存在しない
私が創る、私のための世界があらわれる。
私のところに来てくれる人は
そもそもそういう人が本当多い(全員ではないよ)
だから私は下に入られるのを歓迎しないし
そこで喜ばない
意味がない。
どうせ創りたいのは、
その方自身の
唯一無二の世界観だから
私の世界観に、共感して、参謀してくれてるんじゃなく
唯一無二を創ろうとする姿勢や在り方や、覚悟を
取りにきてるでしょ?
違うかな?
#生存戦略
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