あるお方が「フィクトフェミニズム」という新しい概念を提案したのに対して、私は納得しました。なぜなら、私が漠然と思っていた事を代わりに言語化してくださったからです。そして、私にとって『ファイブスター物語』や『ウマ娘』は「フィクトフェミニズム」を象徴する作品です。しかし、あの『女神転生』シリーズはその題名からして「フィクトフェミニズム」の象徴であるべきだったと個人的には思いますが、残念ながら『ルシファーの野望』と改題するのが望ましい内容です。
本来ならば、バビロニアの女神イシュタルがルシファーの立ち位置にあるべきだったと私は思いますが、男性悪魔であるルシファーがその立ち位置を「簒奪」している辺りが、個人的には許せません。そういえば、イシュタル/アスタルテは男性悪魔「アスタロト」にされていますが、悪魔の世界に対してまでも「男尊女卑」を当てはめる辺り、昔のキリスト教文明圏はえげつないと、日本人の私は思います。
余談ですが、私は『ウマ娘』の某〈春申君の妾〉さん(実馬と同じ名前で呼びたくない)は外見(身長やスリーサイズの設定も含めて)「以外は」正直言って大嫌いです。記者の乙名史悦子さんに対していきなり「女」呼ばわりした時点で「このクソモラハラミソジニー女め!」と激怒しましたし、私自身が実際の「彼」に対する印象とはかけ離れたキャラクター化に対して失望しました。netkeibaでの「彼」の掲示板を最初から読む限り、実際の「彼」とウマ娘としての「彼女」との印象の違いはますますひどいです。
正直言って、私は「彼女」の人物造形に対して希死念慮すらかき立てられてしまいました。まあ、ナリタブライアンさんが実馬の「馬版諸葛亮」イメージとはほど遠いキャラクターである時点で違和感がありましたが、ブライアンさんが「孔明キャラ」であれば、「一匹狼」要素を代わりに「彼女」に割り当てられたのですけどね。
来月、曽田正人氏のバレエ漫画『昴』とその続編の全巻セットをアマゾンで購入して読みたいと思いますが、私にとっての理想の『ウマ娘』版「彼女」は、この漫画シリーズのヒロイン宮本すばるのイメージです。
【Ishtar Alabina - C'est la vie】
中近東のシャキーラさん。まあ、シャキーラさん自身も中近東にルーツがある人らしいですが。