『Untolled』英語劇、『テネシー・ウィィアムズと日本の演劇②』 | 塩川blog(司法書士・行政書士・宅地建物取引士)

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みなさま、こんにちは~~~雨くもり

 

 

西暦2023年10月8日(日)、午後からのブログアップですアップ

 

 

本日は、昨日のテーマの続きを、また、ブツブツと書いていきますが、少し自分の現在の状況についてもふれたいので、テネシー・ウィリアムズに関する記述は少量になりそうです。

 

 

もう、年を取ると、朝、目覚めることができず、ヨーダレオちゃん二世をこの太陽系第三惑星に残したまま、レオちゃん一世が待っていてくれるであろう、1千億年宇宙に旅立つことになるかもしれませんので、時間がありません。

 

 

写真の説明はありません。

 

 

 

ブログにアップできるうちに記事を書いておかないと、という焦りが生じてまいりました。

 

 

まず、最近のダース塩川の心境を少し。

 

 

16~17年ほど前になりますが、西暦2006年から2007年頃当時、何故か声優の道に入りたくて、盛んに、『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじの物真似をしている時代がありました。やればやるほど、周囲の方々が面白がるので、声優の世界に入っていけないかなと、アホな幻想を抱いたわけですね。

 

 

ゲゲゲの鬼太郎 目玉おやじ 茶碗風呂 加湿器

 

 

誇大妄想、まっしぐらという感じでしょうか・・・UFOロボットUFOロボットUFO爆弾爆弾爆弾

 

 

水木しげるロード限定 水木しげる 先生 名言 木札 小 ゲゲゲの鬼太郎 品/ねずみ男 目玉おやじ 妖怪 境港 サイン a

 

 

その想いが嵩じて、名古屋周辺で展開する中日文化教養講座『話し方講座』に通うことになり、アナウンサー養成プログラムを使用した、アナウンサー及び声優への基礎練習講座を数年受講することになったわけです(外郎売、滑舌練習、新聞記事読み、一分間の事象説明、ストーリーテラー稽古など、盛りだくさんでした)。

 

やがて、シニア俳優を目指し、大手芸能事務所のシニア基礎訓練講座に通うことになり、そこでは主に、『声優』『演劇』『歌唱(ポップス中心)』のクラスを受講しました。

(まあ、以降、声優のオーデイションでは、ほぼ、99%不合格だったかなと思います。ゲゲゲの鬼太郎の物真似やろうとしても、マニアックなのはいらないという感じでしたし・・・えーんアセアセガーン

 

 

とはいえ、『演劇』クラスでは、様々な分野の基礎練習を課されましたが(時代劇、現代劇など多種多様)、講座の最後の方で、インストラクターの先生がギリシャ演劇もやってもらう必要があると言われ、準備をされていたようでした。結果的には、その時間は設けられませんでしたけれど・・・。

 

余談ではありますが・・・。

※古代ギリシャ悲劇の上演では、俳優は全員男性で、女性の役も男性がやっていたそうです。日本の歌舞伎で男性が女性を演じるのと似ていますが、故、蜷川幸雄先生は、演出した舞台「王女メディア」では、男性の平幹二朗さんに、女性の主人公メディアを演じさせてます。古代ギリシャの上演形式にのっとった形での演出でした(1984年)。

古代ギリシャでは、俳優は最大3人までしか使えなかったそうで、仮面を使用しての上演であったので、3人の俳優が、仮面と衣装をとっかえひっかえして、いろんなキャラクターを演じていたと説明されています。

 

 

自分のことはここまでにしておきます。

 

では、昨日の続きを少し。

 

ウィリアムズの後期作品に対する批評家の考え方からリスタートします。

 

 

However,Allean Hale’s work has sparked a growing interest in and awareness of the litany of plays produced by Williams in the last two decades of his life. She categorizes the late plays as those written and produced after The night of the Iguana. Almost all of these plays are also generally considered unsuccessful.

 

The night of the Iguana found Williams enshrined on the cover the March 9,1962 Time magazine as “world’s greatest living playwright.” By 1969, after In the Bar of a Tokyo Hotel,Time’s affiliate Life was describing him as a burned-out cinder.Although other reviewers were more generous, many agreed with the idea that Williams’s career was in an irreversible decline. What was seen as the downward slide began in 1963 with The Milk Train Doesn’t Stop Here Anymore.

 

Critics and scholars are beginning to re-examine these late plays, which have been mostly ignored for decades. Few of these late plays have been produced and very little scholarly consideration has been given to these works. A handful of scholars, artists and theater festivals are beginning to give the late plays of Tennessee Williams a closer examination.This may have to do with changing theatrical tastes; however, it also seems to be coming from a new openness to considering that the shift in Williams’s writing was not solely due to his personal troubles of the time, but perhaps also to an intentional change in artistic consciousness and awareness.  

 

 

しかし、アリアン・ヘイルの作品は、ウィリアムズが生涯の最後の 20 年間に生み出した一連の戯曲に対する関心と意識の高まりを引き起こしました。彼女は後期の戯曲を『イグアナの夜』以降に書かれ製作されたものとして分類しています。これらの劇のほとんどすべても、一般的には失敗したと考えられています。

 

イグアナの夜により、ウィリアムズは「現存する世界で最も偉大な劇作家」として1962年3月9日号のタイム誌の表紙に登場しました。 1969年までに、『東京ホテルのバー』の後、タイム誌の系列紙『ライフ』は彼を燃え尽きた燃え殻と評していた。他の評論家はもっと寛大だったが、多くの人はウィリアムズのキャリアが取り返しのつかない衰退に陥ったという考えに同意しました。下り坂と見られていた事態は、1963 年の「ミルク・トレインはもう止まらない」で始まりました。

 

批評家や学者は、何十年もほとんど無視されてきたこれらの後期劇を再検討し始めています。これら後期の戯曲はほとんど制作されておらず、これらの作品に対する学術的な考察はほとんど行われていません。少数の学者、芸術家、演劇祭がテネシー・ウィリアムズの晩年の戯曲を詳しく調べ始めています。これは演劇の嗜好の変化と関係があるかもしれません。しかし、それはまた、ウィリアムズの執筆における変化は単に当時の彼の個人的な悩みによるものではなく、おそらく芸術的意識と認識の意図的な変化によるものであると考える、新たな寛容さからも来ているように思えます。

 

 

This new style of writing found in The Milk Train Doesn’t Stop Here Anymore.

are subsequent Williams plays is certainly not uniform. However, the distinct differences from the styles of preceding plays stand out. Hale notes that “it seemed he no longer bothered with the dialogue for which he was famous, but wrote in unfinished sentences or let one character complete another’s thought,”

1).The expectation for Williams’s well-known skill with dialogue was being subverted in these new works. Along with smooth and logically motivated dialogic responses, gone too were the dramatic elements of conflict in his narratives. Hale continues that in his late plays “there was none of the plot development – complications and climaxes – that had propelled his scenes; at times it was difficult to know when a play ended or what it was about,”.  

2).This turn away from Aristotelian models of drama indicates that Williams was moving towards a different way of conceiving the theatrical.

In general, most of these new aesthetic choices in his writing moved away from the poetic realism Williams had previously been working in towards abstractions and lengthy meditations explored on stage. With most of the more than 40 plays considered “late” Williams’s plays leaning in this direction, these trends, while not universal or unequivocal, indicate that Williams was pursuing new dramaturgy in his later life.

 

 

『ミルク・トレインはもうここでは止まらない』に見られるこの新しい文体。その後のウィリアムズのプレーは確かに均一ではない。ただし、これまでの劇のスタイルとの明確な違いが際立っています。ヘイルは、「彼は、自分が有名だった対話をもはや気にせず、未完成の文章を書いたり、ある登場人物が別の登場人物の考えを完成させたりしているようだった」と述べている。

1).ウィリアムズのよく知られた対話スキルに対する期待は、これらの新作で覆されました。スムーズで論理的に動機づけられた対話的な応答とともに、彼の物語からは対立の劇的な要素も消え去った。ヘイルは、後期の戯曲では「彼のシーンを推進していたプロットの展開、つまり複雑さやクライマックスはまったくなかった」と続けた。時々、劇がいつ終わったのか、あるいはそれが何についてのものだったのかを知るのが難しいこともありました。

2).アリストテレスの演劇モデルからのこの方向転換は、ウィリアムズが演劇を考える別の方法に向かって進んでいることを示しています。一般に、彼の著作におけるこれらの新しい美的選択のほとんどは、ウィリアムズがそれまで舞台上で探求していた抽象化や長い瞑想に向けて取り組んでいた詩的なリアリズムから離れたものでした。ウィリアムズの「後期」戯曲とされる40以上の戯曲のほとんどがこの方向に傾いており、これらの傾向は、普遍的または明確ではないものの、ウィリアムズが晩年に新たな演出法を追求していたことを示しています。

 

 

本日も、このあたりにしておきます。

 

年齢よるものではないと思いますが、持続力が減退し、また、本来の業務(司法書士・行政書士業務等)を処理しなければならないので、申し訳ございません。

 

 

 

 

 

時間は、午後3時15分となりました。

 

 

みなさま、

 

 

本日も、

 

 

お元気で~~~イルカ乙女のトキメキ流れ星雨くもり拍手クラッカーロケット