前回は、日本人が「お上」を信頼するようになった原因の一つとして、江戸時代の「善政」を挙げた。
今回は、もう一つの原因として「百姓一揆」を挙げたい。
「百姓一揆」というと、百姓が苛め抜かれて、「お上」に反旗を翻すというイメージが強い。
しかし、この「百姓一揆」は、武士階級にとっても悲劇だったのである。
百姓一揆が起こると、首謀者は「磔獄門」にされた。
その反面、百姓の言い分は聞き遂げられた。
一揆の参加者にとっては、これは大変喜ばしいことである。
でも、首謀者に担ぎ上げられたらたまったものではない。
首謀者に担ぎ上げられる可能性が高い庄屋や本百姓クラスの百姓は、なんとか一揆にならないよう、「お
上」の要望を噛み砕いて、みんなに伝える役割を積極的に担っていった。
一方、武士の方では、一揆が勃発すると、家老クラスの重役が切腹させられた。
政(まつりごと)が悪いから一揆が起きたため責任を取れということである。
家老クラスにとっても、切腹させられるのは嫌なので、民百姓の顔色を伺った。
つまり、武士側にしても一揆が起こらないように何かと善政を心掛けたのである。
このような「お上」と「民」の持ちつ持たれつの関係が、「お上」への信頼につながっていったのだと考えるのである。
(完)