前回のつづきである。
縁故主義(ネポティズム)・・・
「官僚制」を無くすと、これがはびこる。
明治維新の後、日本が官僚制を取り入れなければ、十中八九、縁故主義に陥っていただろう。
縁故主義ほど不公平なものはない。
特権階級が、身内や好き嫌いで国の要職を占めていくことになる。
官僚主義も東大閥を形成したりするが、東大の門戸は一応、万人に開かれている。
国家公務員の採用も、試験に合格すれば採用される。
そう考えると、大久保利通が目指した方向性は、大きくは間違っていない。
ただ、「逆機能」といわれる欠点が目立ち始めてきたのも事実である。
なんらかのメスを入れ、融通の利く組織に変革する必要はあろう。
しかし、そのときにはくれぐれも「縁故主義」に陥らないようにしたい。
そうでないと、命を賭して今の日本の繁栄を導いてくれた大久保利通に私たちは会わせる顔がなってしまう。
(完)