前回、人類は草食性のゴリラとは違い「雑食性」であるから、進化したという話をした。
この、「雑食性」は、類人猿から人類に変化したときだけではなく、文明を開化させる上においても有効に機能した。
人類は、食料を得るスタイルを、狩猟採集、家畜放牧、農耕などに多様化してきた。
これらは、「狩猟採集=雑食性、家畜放牧=肉食性、農耕=草食性」というように置き換えることが出来る。
このうち、狩猟採集は、類人猿だった時代から行ってきた人類のライフスタイルの基本である。
狩猟採集の、「狩猟」の部分を発達させたのが、「家畜放牧」だろう。
同様に「採集」の部分を発達させたのが、「農耕」だ。
しかし、「家畜放牧」や「農耕」についても、完全肉食や完全草食への極端には走っていない。
それらのライフスタイルに合わせて、体を完全進化させるには、生物学史上の時間が短すぎたのだろう。
そのうち、世界の交流交易が活発化し、家畜放牧を営んでいても物々交換で、穀物が手に入るようになった。
もともと、家畜放牧を営んでいた地域に、農耕の技術が伝わると、農業に転向するグループも現れた。
我々がいわゆる「雑草」などを食べることができないため、農耕も「穀物」に特化するようになった。
しかし、現代の品種改良された穀物ではなく、太古の穀物は栽培しがたかった。
さらに、それらの穀物を一種類だけ偏食すると、体に悪い影響を与えていたのではないだろうか。
よって、様々な種類の穀物を栽培したと思われる。
中国文明の草創期には、米・麦・稗・黍・豆・粟など、実に様々な穀物を栽培していたことが判明している。
そして、これらの穀物の栽培に適した地域で、それぞれ特化して生産し、それを交易によって物々交換していたこともわかっている。
中国文明を意味する「中華」とは、「夏」の時代に整備された、この交易圏のことであるとも言えた。
人類が、雑食性であったために文明が開化したと言っても過言ではないだろう。