アイデンティティとは?(3) | かんとれ!

かんとれ!

考えるトレーニング。
ビジネス脳を鍛
える!書評よ
りも、得た情
報についてさ
らに考えるこ
とにより、
自分のモノと
して消化する
プロセスこそ大切。
キーワード応用、朝礼、
多読・速読、
仮説と検証、
中小企業診断士、
経営分析ツール

前回の続きである。




「私」とか「自分自身」というアイデンティティは、実は「私」に属する細胞代表のような意識であると書いた。



また、それは日々メンバーが入れ替わり、数年で全く入れ替わるとも述べた。




そう考えると、私達は、変化に機敏に対応できる要素をもっていると気づく。





最も、基本的に変化にブレーキをかけようとする「慣性」のようなものはあるが。。






それでも、大河だって流れを変える。



大地だって隆起を繰り返し変動している。




「慣性」という現状を維持しようとする意識さえ取っ払えば、人は簡単に変化できる要素を持っているのだろう。



そして、行動や考え方が画期的に変化しても、「私」というアイデンティティが変わるわけでもない。








日本の国技である相撲は、いまや外国人横綱が双璧となり、伝統文化を守っている。



その、構成員が外国人になっても、日本の国技というアイデンティティは変わらない。




そう言う意味では、保守的と言われる組織でさえ、変化できるのだ。





私達は、変化できることを確信し、少しでも良くなろうと努力することが、当たり前であると思うことが必要だ。



それが、なりたい自分になる近道なのだろう。




        +        +        +        +



であれば、「アイデンティティとは?(1)」で述べた、板をすべて取り替えた「白いボート」は、やはり「白いボート」のままである。




また、我々の体の大半が、半導体や油圧式の部品に置き換わったとしても、「私」というアイデンティティは、そのままであると言えるだろう。