前回の続きである。
中国に「黄河」がある。
英語でも「The yellow river」と呼び、文字通り「黄色い河」だ。
この河は、5000年以上の太古の昔は透き通っていたそうだ。
中華文明の発達とともに上流・中流の森林が伐採され、砂漠化が進み黄土が河に流入するようになった。
この透き通った太古の河は、何と呼ぶだろう?
やはり、「黄河」なのではないだろうか。
黄色くともなんとも無い河だが、「黄河」にはかわらない。
もっと言うと、1年前の黄河と、今の黄河も構成している水分子や土砂は、全く別のものに入れ替わっている。
それでも、「黄河」にはかわらない。
+ + + +
変化は、我々の体の中でも日々生じている。
細胞は日々入れ替わっている。
それでも、「私」は「私」だ。
このように考えていくと、「私」は私だが、私に所属する細胞の団体代表のような意識になっていく。
企業などの法人で、毎年人が入れ替わったりするように、「私」も細胞が徐々に入れ替わるのだ。
人も、企業も、物も、河も山も、それぞれのペースで変化し、入れ替わっている。
それでも「私」であり、「我が社」であり、「黄河」である。
アイデンティティとは、そういう概念のものなのだろう。