かんとれ!

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考えるトレーニング。
ビジネス脳を鍛
える!書評よ
りも、得た情
報についてさ
らに考えるこ
とにより、
自分のモノと
して消化する
プロセスこそ大切。
キーワード応用、朝礼、
多読・速読、
仮説と検証、
中小企業診断士、
経営分析ツール

書評よりも、得た情報についてさらに「考える」ことにより、自分のモノとして消化するプロセスこそ大切。読書に限らず、日常生活や趣味の世界でも常に「考える」トレーニングを積んでいる。
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今日の図説のテーマは『越の亡命』である。



かんとれ!




かんとれ!




かんとれ!




かんとれ!



(完)

今回の図説のテーマは『呉の亡命』についてである。



かんとれ!




かんとれ!




かんとれ!




かんとれ!




(完)

調子に乗って、今回も図説にトライした。


今日のテーマは『呉越の成り立ち』についてである。



かんとれ!




かんとれ!



かんとれ!




かんとれ!

(完)


今回から、少し新たな試みをしてみようと思う。


右脳で考えるため、『図説』にトライしてみた。



今まで、ブログに書いた内容ばかりであるが、


図にしてみると、新鮮である。



古代史を皮切りに、いろいろ試してみようと思う。



今回は、『縄文人の形成』について取り上げてみた。


かんとれ!



かんとれ!




かんとれ!



かんとれ!


(完)

前回のつづきである。





NHKの特集で「病の起源・心臓病」という番組を見て、



私が注目したもう一つの点は、飢餓時の胎児の発育過程である。







母親が十分な栄養を取らないとき、胎児は、心臓の発育を犠牲にする。




そして、脳の成長の方を優先させるそうだ。







だから、妊婦のときに十分な栄養を取らなかったら、



心臓の弱い子供が生まれるらしい。







人類は、明らかに進化の過程で、心臓よりも脳の発達を優先させているのである。






これらの真実を、目の当たりにすると、




私達人間にとって、「脳を使う」すなわち「考える」ことが、



神に与えられた「使命」であると思わざるを得ない。







「強靭な心臓」=「健全に生きながらえること」よりも、



短い人生でも、人間の強みである「頭」を使って精一杯「咲き誇れ」と、




神は我々にメーセージを送っているのかもしれない。




(完)

以前、NHKの特集で「病の起源・心臓病」という番組を見た。





現代人がいかにして、「心臓病」という病に冒されがちになってきたか、



その原因を進化の歴史を辿って紐解く。







この中で、私が注目したのは、2点ある。






まずは、N-グリコリルノイラミン酸(Gc)という物質だ。





このGcは、あらゆる動物の個々の細胞の周りに多く存在する。




しかし、人間にはない。





約270万年前に人類は突然変異で、この物質を失った。




ちょうどその頃から、人類の脳が肥大し、3倍の大きさまでになる。





細胞を包み込みガードするように存在したGcが無くなったため、



脳内の細胞同士の結合が強固になり、脳が発達しやすくなったのだ。







Gcを無くした事は画期的であったが、人間の体内ではGcは異物として認識される。




そのため、食肉などにより体内に大量に入ったGcが免疫反応により血管を傷つけて、




コレステロールが血管内に蓄積しやすい体質にしてしまった。






人間は、進化の過程において、心臓を犠牲にして、




脳の発達を優先させたということだろう。




(つづく)



以前のブログで、「右脳」が人格を形成すると書いた。





また、同じく過去のブログで、「人格ほど大切なものはない」と書いた。






これが、正しければ、「右脳」を鍛えることが、




「良い人格」を形成することに繋がるということが言えないだろうか?






例えば、音楽を聴き、絵画を鑑賞することは、「右脳」を刺激するが、




同時に「心」を養い、「良い人格」を形成することに寄与しているかもしれない。







武道などを極めると、心の鍛錬に行き着くといわれている。




これなんかも、体を動かして「右脳」を刺激して



「良い人格」を形成することと繋がりがあるように思う。







また、「良い人格」をもつ人の動きには、威厳や迫力があることなんかも、



すぐれた「右脳」が、体を思うように動かしている結果だといえなくも無い。







やっぱり、「右脳」を鍛えよう。



その人の個性とか人格などは、その人そのものであると言って過言ではない。







その人の人成りが、素晴らしければ、多くの人がついてくる。



そして、一緒にいたいと思う。







たとえ素晴らしい才能を身につけていても、



その人の人格が魅力的でなければ、




その才能に惹かれて近づいてきた人たちも、いずれは去っていく。






永続的な成功を収めようとすると、人を魅了する人格の形成が不可欠だ。







「人を魅了する人格」とは、一概に決まったタイプがあるわけではない。




尖った真実をとことん追究するタイプであったり、




周囲をとことん和ます癒し系であったり、タイプは色々ある。






そういう個性はありつつも、信頼の置ける、尊敬できる人格を持つことが、




人間として目指す方向なのである。