
左のほほに深い傷を負い、包帯を巻いていました。
「ここが裂けて。この傷なんですけど中の骨が見えていました。もっと盛り上がっていたんですよ、ケロイドで。19歳の時に外科で削ってもらった。いまだにジキッジキッという音を覚えています」
おんぶをしていた少年は当時11歳の兄、定男さん。
ふたりは爆心地から1キロの自宅で被爆。竹本さんは建物の下敷きになりました。
「兄が見つけてくれて。秀雄がここにおると。兄が見つけてくれなかったら後は焼けましたからね。ここにいなかったと思います」
(仏壇で)
「あんちゃんありがとうね。」
兄の定男さんは24歳の時、交通事故で亡くなりました。
「原爆の話なんてしたことがないです。お前を助けたぞという話も聞いたこともないですし」
自分が映像の少年であることは身内やごく親しい人に話したことはありますが、それを他人に伝えることは許しませんでした。
77年間、語らなかった戦後。そんな竹本さんの気持ちに変化が起こりました。
「やっぱり戦争です。戦争は本当に悪いと思います。戦争はいけませんね。それは声を大にして言いたいですね。泣くのは一般市民です」
戦争に対する考え方
「だれかスーバーマンみたいな人がいて
「お前たちはやめろ」と
止めてくれる人がいないかなと思いますね。。」
「煽る人はいるんですがね。」
「煽る人はいるんですよ。。」
「だけど止める人がいないんですよ。」
子供達に伝えたい3つの言葉
「買ってもらった時、何かもらった時がありがとうじゃないんですよ」
「心に寄り添って貰ったとき、寂しい時、自分が迷った時に手を差しのべ、心を差しのべてくれる」
「それが本当のありがとうなんです」
「そのありがとうと言える人になりましょう」
2つ目は
「人をほめましょう」
「必ず誰かどこかにいい所があるんです」
「気がつかないのら見る目がまだ甘いんですね」
「よく見ると必ずその人にはいいところがあります」
「それをさりげなくほめてあげましょう」
「そういう心の人がひとりでも増えれば、ちょっと大袈裟かもしれないけど」

最後は「ご苦労さま」「おつかれさま」ねぎらいの言葉です。
「言えば相手も嬉しいし言った方も嬉しくなるんですよ」