19時より本堂にて、有縁の方よりご縁をいただいた方(法

名 釋精貢)の二七日法要を勤めました。故人の妻と、3人

の息子さんが参詣されました。

 

亡くなられた方は山陰地方の出身で,三重に就職され,生

活基盤を構築されました。結婚され3人の息子さんを育て

られ3人ともそれぞれの社会的に活躍の場を獲得されてい

ます。父の生きる姿勢が息子3人に相続されています。

ご自宅から持参いただいた法名。寺でお預かりしました。

 

お勤めの様子。住職が勤めました。

 

阿弥陀経の読経時に、お一人ずつ焼香をしました。正信偈

では参詣者も一緒に唱和しました。唱和することで亡くな

られた方と対話しているように聞こえました。

 

来月の忌明け法要までの間、毎週本堂で七日七日のお勤め

をします。この間、ご家族の皆様には、故人の生前の生き

方や思い出、人柄などを思い出しながら、故人を偲び、そ

れぞれのこれからの生き方にさらに生かせていただけたら

と願います。

 

今後もいただいたご縁に感謝し、勤めてまいります。

本日はご参詣いただき、ありがとうございました。

 

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【永代経 布教内容】(後編)

能登半島地震についてと、「どうせ死ぬんだから」と言う

テーマに「どう生きていけばよいのか」についてまとめま

す。

 

「能登半島地震」

元日に発生した能登半島地震。特に奥能登の被害は甚大で、

輪島の朝市の街では大規模火災が発生し、倒壊した家屋の

下敷きになったまま亡くなった方が多数いました。

このような絶望的な状況でも、能登の人たちは朝市の復興

を願い、前を向いて立ち上がりました。

 

「ここで生きたことを残したい。それが押しつぶされ、生

きたまま焼かれた人が生きた証」だと。

 

能登の人たちに共通してみえるのは、地震や津波、土砂崩

れなどによって倒壊したり、失った家屋の前で合掌する姿

です。

 

「助けたくても、助けられない」現実に何を思い手を合わ

せ、人々の心に何が残ったのでしょうか。わかったことは

この地獄を生きる以外にないということ、人間はそのよう

な存在であるということでした。

 

能登は「真宗王国」といわれるほど、総人口に対しての真

宗寺院の数が多く、厳しい自然に抗いながら、互いに助け

合い、寺と門徒がともに生きる「真宗門徒の生活」が営ま

れてきました。

 

それは、能登に古くから伝わる「能登はやさしや土までも」

という言葉にも表れています。

 

人間は「どうせ死ぬんだから」「どう生きていけばいいの

か」を問い,先祖と父母のお陰で命があり、命を受けたこ

とに感謝する仏心を持っていますが、それだけでこの苦し

みは超えられるのでしょうか。人は失うこと、消えること

に恐れを感じます。

 

仏様は故人のことであり、自身の心の中にあります。お念

仏とはその仏様を思うことです。仏様に感謝することは、

命をいただいたご縁に感謝することです。また、仏様を思

うことは、今まで生きてこれた自分に感謝することです。

 

人間は誰もが必ず死にます。「後生の一大事(死ぬこと)

を心に掛けて念仏申せ(親への感謝)」というお教えです。

では、どうやって死ねば(生きれば)いいのでしょうか。

 

年齢を重ねれば,好きなことを、好きなように、遠慮なく

過ごすことが大切さに気が付きます。身体が動かなくなり

ます。

 

身体の機能の低下を防ぐために「働き続けることは老化防

止の最高の薬。日光を浴びることで若返る」、「運転免許

は返納しない(高齢者の事故率は低い)」、「肉は老いを

遠ざける」「コレステロールは敵ではない」など。

 

人は常識を鵜呑みにせず、煽られる健康ブーム,サプリの

効用の鵜呑み,もっと常識を疑い,信心を確立しましょう。

自分を振り返り、自分の信を問い,すべてのことに疑問を

持つことが必要です。一人ひとりが自分に合う人生を。自

分に合う仏様の教えがあります。「自分とは何か」そこか

ら仏様と出遭いましょう。