心の強いお方ですねとこの前ブログでコメントを頂きました。
ありがとうございます。


僕はあまり人には言ってないのですが、昔うつ病と診断された事もあり、自分の気持ちがコントロール出来なくて、外に出られなくなってしまった時期があります。

考え込んでしまって、動けない状態で、本当に塞ぎこんでしまっていました。

考える事が多すぎるし、
人に相談した所で自分の気持ちなんて絶対にわかってくれないと信じる事が出来なくなっていました。

ネガティブな考えに振り回されて、
誰かに助けて欲しいとばかり考え
自分ではどうにもならないと思う位、家族の事や自分の今、そして将来の事が心配で重くのしかかっていました。


前向きになりたい。

こんな自分は嫌だ。

でも心で感じる事はどうしようも出来ない。

そんな事ばかり考え、何も行動に移さず、片付けるのも出来ずにむちゃくちゃになった部屋で寝込んでいました。

そんな自分をどうにかしたい。
音楽がしたい、みんなの様に明るく元気で笑っていたい。

理想ばかりが膨らんで、余計にじぶんの首を締めていました。


そんな僕がなぜ元気になれたのか?
莫大な時間が掛かりましたが、、

それは、大きく言えば人のおかげです。

もちろん、自分自身が変わらなければどうしようもないのですが。

僕自身の考え方を言えば、
こんなに頑張っているのになぜ誰もわかってくれないのか?
なぜ誰も助けてくれないのだろう?
と人にばかり求めていました。

でもある時ふと自分の環境を見つめ直すと、恵まれている事に気づきました。

求めているばかりではなく、こんな自分ではダメだとわかっていたら、
無理にでも何かを始めるべきだと感じました。


まずは自分の環境や、たった1つでもどんな小さな事だとしても、感謝を忘れてはいけないなぁと思ったんです。

そこから僕の考えと、環境は180度変わりました。

何か自分の周りの、些細な事でもなんでもいいのですが、もう一度見直してみるのもいいと思います。

絶対に感謝が出来る何かがあるはずです。

僕が見つけた大切なモノは
僕に関わってくれている全ての人だったんです、、


あと1つ思った事は、何かにチャレンジするという事ですね。

目指している自分と、今の自分との戦いとでも言いましょうか。

その為には何でもする。

結果がどうあれ
人が何と言おうと、自分自身が精一杯やりきったと胸を張って言えたならそれは本当に素晴らしい事です。

なぜなら、そのプロセスが大切だと思うからです。
チャレンジする事が自分を変えて行くんだと本当に思います。
自分を褒めてあげる事も必要だとも思うし、精一杯やりきったなら
本当の自分が見えてくるんです。
悪い所も良い所も。


絶対に自分に負けない強い心を
僕はもっともっと鍛えないといけないし、日々の中でまだまだ僕は弱いなぁと感じるのは、自分が決めた事に負けている時だと思います。

強い心と言われた事で、
また大切な事を思い出せた気がします。





母の幼少時代に、祖母(母の母親)
から虐待を受けていたのは言いましたね。

それがキッカケで、トラウマになり精神的にかなり追い詰められていたと思います。
長年に渡ってそう言う事が重なり、父と知り合って
また同じ暴力や、辛い日々が続くと病んでしまいますよね。

第三者から見れば、
早いうちに別れたらいいし、
逃げるべきだったと思うかもしれません。
僕も大きくなってから母に対して、そういう風な事を言った事があります。

「辛かったなら、早く別れたら良かったのに」

でもその言葉は軽率でした。

そんな簡単には行かないモノですね。
だって人間にはココロがありますもんね。

僕も実際、今ココロで動いています。(それが正しいのか間違っているのかはわからないですが)

母の事も含め
やはり大人になるまでは
自分が自分の道を決められないと言う事が重要になるかと思います。
実際僕らもそうでしたし。

子供の頃を
本当に大切にしてあげないと、
どうしようもない事態に後々気付くと思います。


親がしっかりしないと、、

、、、

しっかりと言っても、考え方は様々ですから、一概には言えませんが、、

親は親なりに一生懸命
愛しているかも知れないので、、、

心の病は、本当に理解されにくいと思います。

誰かが悩んでいても気付かない時もあるのですから、
強迫性障害を理解するのはとても難しいことです。



最近母と会う機会が多くなって
よく顔を合わすのですが、
左目の周りが凄く腫れている
事に気付いたんです。

眼科には行ったらしいのですが
原因はわからないといわれ
精神科で、脳の神経から来ていると言われたそうです。

本当に母にとって
長い月日を強迫性障害と共に
過ごして来て、計り知れない苦しみがあったと思います。

どうしても理解されにくい病。

それは多分見た目が普通だからと思うのです。
あと母の場合は、自分で認知行動療法をしているし、話している時も別に普通だし、周りから見れば至って普通です。
ちょっと神経質な人かな?
と思う程度だと思います。

まさかトイレやお風呂に12時間も掛かってしまうなんて想像も出来ないでしょう。

そんな事を何十年と続けていたら、身体の何処かに異常が出てもおかしくないですね。

強迫性障害の他にも、理解されにくい病はあると思います。


そんな人に、何か相談されたら
皆さんならどうしますか?


そう言うディスカッションが出来れば、お互いに本当に助けになるのではないかと思います。


最終的には自分で何でも決断して行かなければいけないですが、何も1人で考え込む事はないと僕は思います。
本当に悩んでいる時は
色々な人達の意見や考え方を
参考にして、視野を大きく持つ様にしたほうがいいですね。

と言ってもむずかしい事ですが、、、

僕は音楽が心の救いになっています。

あなたにとって何が救いですか?

「児童施設での生活」

一時保護所に着くと、
2年間洗っていなかった身体を洗う為にお風呂に入らされ
頭皮や身体の検査をされました。

その頃僕の弟は、母の影響で軽度の強迫性障害になっていました。
僕が一緒に居てあげないと、
何も出来ない状態で、お風呂もトイレも食事も全て共に行動できる様にお願いをしました。

、、物事の恐怖から何も出来なくなった弟を見て絶望を感じてました。

正直僕も不安で
そこに居る人達と話すのもとてつもなく怖かったし、
もう全て消えてしまえばいいのに、僕は死んだ方がいいんだとまで思い詰めました。

でも弟が可哀想で仕方なく思え、そんな事は考えてはイケナイと自分に言い聞かせて
寝る時は弟の手を握って寝ていました。

それでもずっとやり場のない思いを感じていました、、、

それから3ヶ月が過ぎ
僕らは別々の施設に入れられる事になったのです。

弟の気持ちも、
そして自分自身の気持ちも崩れ落ちました。
今考えても涙が出る位離れるのが嫌でした。

今度会うのはいつだろう?

会えるのか?

僕らはどうなってしまうんだろう?

何をどうして生きて行けば良いんだろう?
その時ほど心から涙が出た事はありません。

でも、僕らには選ぶ権利が無かったので、仕方なく別々の施設に移動せざるを得なくなってしまったのです。

なぜ兄弟を引き離したのか、
今もわからないままです。

、、、

それから僕らは、
それぞれ違う施設での生活を始める事になりました。

僕が最初にされた事。
それは髪を切ることです。
それと野球部に強制で入れられました。

スポーツ刈りにして、
施設内の学校にも通いました。
そこで必死に勉強をしました。
小学校は3年間、中学校は一度も行った事が無かった僕には
とても難しい授業でした。

一日の流れが大体決まっていました。

点呼
掃除
学校へ行く準備
朝礼
登校
授業
野球の練習
下校
給食の準備
食事
洗濯
自由時間
お風呂
点呼
就寝

大体そんな感じの流れでした。
でも先生達がみんないい人で
楽しく、僕は心を許せました。

そこでもアコースティックギターがあり、よく練習しました。洗濯の時間を忘れて
ギターに没頭してて
よく怒られました。
とても懐かしいです。

夜みんなが寝静まった頃、僕はX japanのHIDEさんの曲をカセットウォークマンでコッソリ聞きながら寝ていました。
それだけが楽しみでした。


そして、忘れてはならない弟の事。


続く、、、