いまだにコロナ脳の人っていますけど

思うに、そういう人達って想像力が豊かなんだと思います

想像力に乏しい人ほど、鈍感
リスクを肌身で感じられないからです

私もどちからというと想像力が豊かな方(=ビビリ)で、
飛行機に乗れば「墜落するんじゃないか」って思うし
住宅街を運転すれば「子供が飛び出して弾いてしまうんじゃないか」
高速バスに乗れば「運転手は居眠りしているんじゃないか」って
思います。

それって何パーセントの確率なの?って思いますよね

でも確率の問題ではなく、最終的な実害の問題なんです
上記の例はいずれも、実害が「死」or「殺人」です
もう一生終わりレベルの損害です

なので、発生確率がいくら少なかろうと、
リスクはリスクだと思ってしまうんです

では、コロナはどうでしょう

正直、今はリスクだと思っていません

私も想像力は豊か(=ビビリ)なので、
咳き込んでいる人をみたら「コロナじゃないか」って思うし
電車でも吊革や握り手は一切触らなくなりました
でも死に直結するリスクだとは思っていませんので、
出歩くし、電車が揺れて転びそうになれば握り手も掴みます

何より、発生確率があまりにも低すぎるんです

結局、人は自分の直観で物事を捉えます
自分の身近な人、身近で起こった出来事を主観的に捉えます
近所で家事が起きれば「火事怖い」って思うし
近所で殺人が起きれば「怖いから戸締りしなきゃ」って思います
でも、隣の隣の県で起きたら?
まさしく対岸の火事ですよね

これをコロナに置き換えると、
身近でコロナに罹った人はどれくらいいるか
亡くなった人はいるか
入院した人はいるか

こういった事実を主観的に捉えます

それが、ないんですよ実際のところ

私はコロナが流行ってからいろんな人に上記の質問をしてきました

ほとんど・・・体感8割の回答が「身近にはいない」でした

それが答えなんです

それがーこたーーーえーーーーだあっっ!

なので
「コロナは死のウイルス」だの
「コロナで人類は死滅する」だの・・・
は極端ですが、
「帰省は控えろ」とか
「学校行事は自粛しろ」とか言われても

はぁ?!

ってなるんです。

でもコロナ脳の人達はそういうことを言っているんです

だから、はぁ?!って言わるんです


事実を、実態をよく見なさいよ
メディアの偏った報道だけでなく、数字で見なさいよ
ほとんどの人がワクチンを打ち終えて、
それもなおマスクや消毒を徹底している日本で、
コロナはどうなったんですか?
感染者数は、重症化数は?
オミクロン株は?


考えなさいよ


bye

海外ドラマを観るようになってから、日本のドラマを全く観なくなった

悲しくなるくらい、日本のドラマがつまらなくて・・・

最近は「イカゲーム」なんていう韓国のドラマが流行っています。
最初の数話しか観ていないですが、すでに面白いです。
一方で「日本沈没」なんていう日本のドラマが始まりました。
最初の1話だけ観ましたが、もうやめました。
安すぎる映像に展開、会話のキャッチボール、ほんとにひどい・・

音楽だけでなくドラマも、日本は韓国に惨敗ですね。

そもそも日本のドラマの何がいけないのか。

一番の要因は「キャストありき」なところでしょう。
事務所が売り出したい俳優、人気の可愛い女優・・・
そもそも日本は顔重視な俳優ばかり。
ドラマの世界観とか、クソもへったくれもない。
主演がイケメンor美女以外だったことってあります?

そういえば、唯一日本のドラマで面白かったのが、
「半沢直樹」でしたね。

そんな私が心底ハマッたドラマが、ヴィンスギリガンのドラマ。
「ブレイキングバッド」と「ベターコールソウル」です。
前者はいわずもがな、世界的大ヒットとなったやつです。
後者はそのスピンオフ。こちらはまだ続いてます。

何が面白いのか
それはヴィンスギリガンの醸し出す世界観
音と色彩にまで拘り抜いた情景
何よりキャストの魅力と、そのキャストが演じるキャラクター

みんな、生きているんですよね。
ドラマという世界を通して、客観的だけでなく、
観ている視聴者の主観にまで入り込んでくる。
それは、キャストが淡々と台詞を言うのではなく、
人物像を徹底的に考え抜いて、理解しようとして、憑依している様

それが映画のように限られた時間の中だけでなく、
長い長い尺のなかで丁寧に醸成されていく
実際、キャスト自身もキャラクターに入り込みすぎて
おかしくなってしまうこともあるんだとかw

海外ドラマも長すぎると、途中でダレて、落としどころを見失い、
つまらなくなったりもしますが、ヴィンスギリガンの2作品は
その辺しっかりしていますね。妥協がない。

とにかく、お勧めです。

bye
育休明けからめっきり更新が減りました~

仕事と家事に追われ、平日はあっという間に過ぎていきます。

週末は主に長男と過ごすことが多く、あっという間に過ぎていきます。

あれしたいなー、これしたいなー、と色々ありますが、
なかなかできません。

子供一人でもそんな感じだったのに、二人もいたらなおさらです。

最近、「エッセンシャル思考」の本を読んでます。

人生のほとんどは無駄なことであり
人は無駄なことに捉われすぎている
本当に大切なことを見極め
本当に大切なことに集中することで
成果を最大にする

ざっくりいうとこういう考え方です。

いやいや、無駄を楽しむことこそ人生じゃないか、
という気もしますが、仕事に関してはたしかにそのとおりで。

コロナ禍からのテレワークシフトで、無駄なものがたくさん
見えたなーと。

逆に大切なものって何でしょうね。

実はそこを見極めるのが難しかったりします。


あー

ねむい


一番大事なのは、睡眠ですね。


bye
コロナの感染者数がガクンと減りました。
それはとても喜ばしいことですが、一方で恐れていることが・・・

そう、テレワークの終了です。

世の中は、サラリーマンは気づいてしまった。

家でも仕事ができる、ということに。

戦後復興から高度経済成長期、バブルからリーマンショック、
世の中の流れとともに仕事のあり方は変容してきましたが、
それはまさに革命とも呼べるできごと。

これこそ働き方改革なんですよ。
真の、働き方改革。

けれども、テレワークに悩んだ人も一定数います。
特に経営者です。

社員が自分の管理していないところにいる。
社員がサボっているかもしれない。
社員の仕事の質が落ちているかもしれない。

一言、そんなのは妄想です。

テレワークで業績落ちましたか?
トラブル増えましたか?
現実に目を向けてみましょう。

テレワークで仕事サボる人は、出社しててもサボってたんです。
テレワークでパフォーマンス出せない人は、出社してても
出せてなかったんです。

テレワークによって、見えていそうで見えていなかった現実が、
何となく見えたような気がしただけなんです。

本質はそこじゃない。

テレワークでコミュニケーションの機会が減ったと危惧する人もいます。

聞きたいです。
出社したときには十分にコミュニケーション取れてたんですか?

そもそもあなたが考えるコミュニケーションって?
ただの雑談や仕事終わりの飲み会がコミュニケーション?

本質はそこじゃない。

本質を捉えていないくせに、早まった判断をすべきではない。

テレワークでも回った仕事もあったんです。それは事実。

せっかく始まりかけた真の働き方改革。
仕事って、出社することじゃなかったんです。
決められた服装で、決められた場所に、
決められた時間に座席に座って、決められた時間だけ休みを取って、
全てを決められてやるのが仕事じゃなかったんです。

仕事とは、アウトプット。
成果を生み出すこと。

成果さえ生み出せば、一日誰とも会話しなくてもいい。
家で休み休み仕事してもいい。
どうでもいい話に付き合わなくてもいい。
寝たいときに寝てもいい。
食べたいときに食べてもいい。

極論ですが、真の働き方改革とは、そういうことだと、
私は気づきました。

自前のサーバはなくなりました。
決められた場所に設定されるハードウェアは消えました。
いろんな場所から集められたクラウドストレージに変わりました。

誰しもが車を購入し、駐車場を借りる時代ではなくなりました。
シェアカーという形で、オンデマンドで車を乗る時代になりました。
目的は車を買うことではなく、車に乗るという手段だったのです。

仕事もそうでしょう。
働くことが目的ではなく、働くことは手段。
目的は成果を挙げること。
場所は関係ない、リソースはいろんな場所から集めればいい。
デジタルな世界は物理的距離を超える。

なのに

なのに、社会はまた戻ろうとしている。

また、決められた場所に押し込むことを目的にしようとしている。

俺は負けん

俺は負けんぞ!!!


出社したく


ない!!!!!!!!



bye




究極の自意識とは、それすなわちただの自己満なのだと。

この年になるとね、もう30代半ばなんですが、老けましたよ。
白髪も増えるし、抜け毛も増える(スカルプDで対応中)。
肌つやも悪くなるし、皺も増える。
人によっては、体型も崩れるでしょう。

こればっかりは、仕方のないことです。
誰しもが通る道です。

しかし、それに服従するのか、抗うのか。
その選択によって、大きく差が出てきます。

いわゆる、アンチエイジングってやつです。

同年代、同じ年齢の子供を持つ親たちをみても、千差万別。
諦めたら底なし沼なんです。落ちるところまで落ちる。

では、何のために抗うのか。

今更モテたところで、何か意味あるの?
誰も自分のことなんて見てないでしょ?

たしかに意味ないですよ。
誰ももう自分の見た目に興味なんかないですよ。

でもね、いつまでも自分から目を離せない人物がいます。
一人だけ。

それが自分なんです。
自分を見ているのは、自分だけなんです。

それが自意識です。

よく「自意識過剰」って悪い意味で使われますが、
老化においてはこの自意識が最後の抵抗勢力になります。

「他人からどう見られているか」という自意識もありますが、
上述のとおり、気づけばもう誰も自分を見ていません。
自意識ってのは読んで字のごとく「自分が自分をどう見ているか」
なんです。

そうつまり、それってただの自己満足でしかないんです。



地球の最後に一人になっても

最後までかっこよく生きていたいじゃないですか。


bye