ただただ:善と悪:好きと嫌い | 福地真也のAmeブログ

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日々、適当なことを書いてます。
応援、ありがとう♪

※ごずだつずを訂正しました

 

 

こんにちは、スパイスのローリエを先ほどまでローレルだと思い込んでた福地真也です♪

(『ベイリーフ』の方ではちゃんと覚えてるんだけどさ)

(またローレルかローリエかわかんなくなると思いまーす)

(サイゼリヤかセイゼリアどっちが正式か覚えにくいのと近しいと思っています、か?)

 

 

さてさて。

 

もう、本当、ただただ。

 

 

うん。

ただただ。

なお話ですよ。

 

 

 

人ってここまで感情というか脳が発達したからこそ、

地球上の暫定一位になれたと思うのよ。

(超絶不安定なバランスボードの上での暫定一位だけどね!)

 

 

 

でもここまで発達した脳や感情。

 

これがあるがために人生つまずいたり、くじけたり、うまくいかない事も多々あると感じてます。

 

 

 

それが、

好きとか嫌いとか。

 

っていう二項対立だの二元論ってやつ。

 

 

 

 

んー。

難しい問題だけど、

この感情ってあった方がいいもんなのかなー?

いや、「好きな事をやったらいいよ♪」

なんて言葉自分自身でもコーチングの時に言ったりするけどさ、

別に好き以外を嫌って排除して!って意味にはならないじゃん?

 

それに、

ごく稀に嫌いがあった方が頑張れる人もいるのはわかるんだけど、

嫌いって例えば対人関係の場合、

「憎しみ」などの「憎悪」の氣持ちだったりじゃん?

そこまでは加速して頑張る人もいるけど、

そもそも頑張ってるエネルギーが美しくないから、

その美しくないエネルギーで地球上に立ってるわけなので、

当然のように美しいエネルギーは自分自身の元に還ってこない状態。

(お金だけは入ってくる状態とかの人もいるけど、『自律神経』やっちゃわない?大丈夫?とは思っちゃうよね)

そしてこの状態の何が良くないか?となるとエネルギーとかよりも『ゴールの喪失』に達成したら確実になっちゃう事。

ゴールの引き上げが基本だけど、憎悪の先のゴールの引き上げってもはやその憎悪【自分自身で創ってね?】って部分にいつ氣付くかが人生なんだろうね。

 

 

 

 

 

 

なのでね。

ただただ。

共存・共生・共栄。

でいいと思うのよ。

 

 

ほんでその、

共存・共生・共栄の環境(地球)で氣の合う人や好きな波動がある人がいたら、

共振・共鳴したらいいじゃん♪

 

 

 

 

勘違いしちゃいけないのは

人間界でも自然界(動物や昆虫の世界)でも

絶対に他の存在全てと共振や共鳴はしなくていいし、できない!

って事だけは腑に落とそう。

 

 

共鳴や共振はできなくても、

蛙と蛇は共存・共生・共栄してるじゃない。

 

ライオンとシマウマも共存・共生・共栄してるじゃない。

 

 

 

人もそう。

家族と共振・共鳴できない人もいるかもしれない。

上司や部下と共振・共鳴できない人がいるかもしれない。

 

でも共存・共生・共栄はできる。

 

 

どっちも対人関係だから

感情的にならない。

距離感を見誤らない。

とかってのが必要よ。

 

 

 

 

ね?

ただただ。

なのよ。