こんにちは、毎朝卵かけご飯に納豆を入れて食べてる福地真也です♪
(本当毎日毎日食べてる)
さてさて。
今回は『普通』って事に対して現在思う事を話してみようかな☆
普通。
この言葉を極端に嫌う人達が世の中にいる事を知っています。
自分もそうだったかもなぁ。
と思う節があり、
別に「私は凡人じゃない!非凡な才能がある人間なんだ!」と言いたいわけじゃなく、
同調圧力としての普通が嫌だったんです!
この同調圧力にどんなのがあるか考えると
「こんな事も出来ないの?出来るのが普通でしょ!」
「普通はこうしてるのにあなたはしてないのね」
とかとか。
なんとなく言われた事があるセリフだったり、
似たようなニュアンスを感じた事がある人もいるはず。
はい。
こんな時に使われる普通は確かに氣持ちよくないから嫌だよね。
でも、最近は『普通』って結構大事!
って思ってきてます♪
というかレギュラーって言葉の方がしっくりくるかもしれない。
このレギュラーという普通があった方がいい場面が多々ありまして。
例えばコーヒーを淹れる。
これ、【確実に】【自分自身の】【普通(レギュラー)】を持ってた方がいい!
福地真也はエグくないコーヒーを淹れて飲むのが好きなのね。
濃いとか薄いとかじゃなくまずエグみを減らす。
そこから濃くするか?薄くするか?の調整をする。
それで自分自身のコーヒーの味の【普通(レギュラー)】を持ってないと、
人に好みを聞いて普段濃いめのコーヒーを飲んでるのか?薄めのコーヒーを飲んでるのか?で豆の量、お湯の温度、淹れ方を微調整して相手の舌に合うようにお出しする。
これが出来なきゃ厳しい環境にいる福地真也だからな事だけど、
普通って言葉への苦手意識が強すぎて
自分軸を失ってる人も中にはいるかもしれない。
なんて昔の自分を思い出して思ったわけです。
もしかしたら
【普通】って
大きな味方になるかもしれないよ〜♪
というお話しでした。
誰かのお役に立ててたら嬉しいな♪