誹謗中傷の誤変換:氣持ちと言葉と感情と。 | 福地真也のAmeブログ

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こんにちは、旅をしながらお仕事をしてるから結構羨ましいがられるのですが出張中の9割以上は仕事ばかりをしてる福地真也こと自称働き者です♪


#将来の仕事を思考してる時間いれるとほぼ10割仕事




さてさて。




スマホが登場する前に文字情報で遠くの人に言葉を伝えるには手紙が必須でした。



当時お付き合いしてた方によく手紙を送り、届くまでのタイムラグが楽しかったなぁ。



この時、誤字脱字があると

可愛いく見えたり、

「この漢字なんやねん!!」と笑いが起きたりしたものです。





手紙の次はポケベルで、

氣持ちや言葉を短いながらほぼほぼリアルタイムで伝えれるようになりました。



よく電話ボックスでポチポチしたものです。





それから時代は何となく一氣に加速した感覚があるけど、携帯電話のメールです。


これまた携帯電話のボタンをポチポチしたものです。





で、今現在はスマホになり

あの楽しかったポチポチ時間がなくなり、

フラットな画面の上をシャッシャする時代に。





携帯電話やスマホの登場で

『誤変換』や『誤入力』が格段に増えた。




なんでこんな誤変換になる!!?

とか、

これなんの呪文や?って思う誤入力。

とか。




予測変換はめちゃくちゃ役に立つけど、

たまにめちゃくちゃ困る事も。





それで本題なんだけど。




最近はインターネットの常時接続になり、

国民のほぼが発信者になってきたので、



インターネット上で人を褒めちぎる事も、

インターネットでボロクソに言うのも簡単になった。





ただどちらかと言うとボロクソの方の『誹謗中傷』の方が多く目につく氣がします。




氣功をやるから知ってるんだけど

人って健康な状態より不健康・病氣の状態の方がイメージしやすいもんなんです。


自分の健康な時ってめっちゃ肉体や精神を観察してなかったらそもそも記憶にあがらないもんだと思うので、やはり病氣の時の方がリアリティー強くイメージ出来ます。




それと同じく

褒めちぎってるコメントや投稿より

誹謗中傷などのコメントや投稿の方が多く見えちゃうのが脳の機能。

(褒め称えるようなコメントや投稿はたまぁにしか見ない氣がするけど、探してないだけなのかもね)






で、

誹謗中傷というのは

もしかしたら現代言葉、現代人がお伝えする言葉の『誤変換』『誤入力』なんじゃないか?


なんて思うわけです。





人は知らないものに恐怖し、

知らないものを避けたがる性質があります。



だから自分自身が知らない事、経験してない事、想像できない事とかをされてる方を批判や誹謗中傷しがちになる、って状況が起きてる。





でも、その批判や誹謗中傷を言った人が

心からそう思って出した言葉か?と考えると自分は決してそうは思いません。




心底そう思っての発言か?

となると違うと思うんだよね。





その時に恐怖心から発してしまった言葉。



その恐怖心の出どころを勉強してなかったら無意識に人が傷つく言葉を使ってるかもしれない。






でも、やはりそんな人も、

どうしてもどうしても言いたくて仕方ないから言ってるわけではないと思う。




そしてそんな人も知らないものを知り、

知らなかった事を認知してく。


それをする事で恐怖心は消え去り、

批難、批判、誹謗中傷なんてする事はなくなると信じてる。





今は未だコロナの問題があったりするから余計無意識的に言葉もキツくなる人も多いと感じてる。





だからこそ。

もしかしたらその批難や批判や誹謗中傷ってのは

現代人の言葉の誤変換、誤入力なのかもしれないよなぁ。



なんて思った次第でございます。






とは言え、批難、批判、誹謗中傷された方がいつも我慢したり傷つかなきゃならないか?と言えば絶対にそれは違うと思う!


でも、ここではどちらにも優しさだったりが必要なんだと感じてる。



誤変換、誤入力だよなぁ。

なんて感じる優しさ。



あ、もしかしたら批難、批判、誹謗中傷に感じてる人がいるかもしれない。

と思う優しさ。




お互いがお互いに寄り添える時代の波が来てるからこそ、その波に乗りたいものですね☆




ではでは。