50年前の中東戦争と石油危機 | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 10月7日にハマスがイスラエルを奇襲攻撃し、それにイスラエルが報復攻撃を行い、多数の犠牲者が出るとともに、ガザでは食料や水、燃料などの生活費必要な物資が不足し、人道危機が深刻になっている。戦闘の一時停止と人質の解放が進んでいるが、今後の展開が注目される。

 ハマスが行動を起こした日の50年前、1973年10月6日に第4次中東戦争(ヨム・キプール戦争)が勃発した。

 この戦争は、エジプト軍がシナイ半島、シリアがゴラン高原を奇襲攻撃して始まった。アラブ諸国の軍事力を過小評価していたイスラエル軍は後退させられたが、反転攻勢に出て、シナイ半島の中間でエジプトの攻撃を抑止した。そこでアメリカの仲介で停戦が成立した。開戦後1ヶ月が経った時点である。

 緒戦で成果を収めたエジプトのサダト大統領は、イスラエルにシナイ半島の返還を要求した。また、アラブの産油国は、イスラエルに対抗するために石油を政治的武器として活用する。

 OPEC加盟産油国のうち、ペルシア湾岸6カ国が、10月16日に、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルに引き上げると発表し、約17日にはアラブ石油輸出国機構(OAPEC)が原油生産を段階的に削減することを決めた。さらに、OAPECはイスラエル支持国への石油禁輸も決め、湾岸6カ国は石油価格を1974年1月から5.12ドルを11.65ドルに引き上げることを決定した。戦争前の約4倍である。

 この石油価格高騰は、エネルギー源を安価な中東の石油に依存する先進工業国を直撃し、急激な物価上昇となった。第一次石油ショックであり、この危機は、1977年3月に中東産油国が原油生産削減を緩和し、対米禁輸を解除するまで続いた。

 日本でも、当時は、田中角栄首相の提唱した日本列島改造ブームで地価が高騰し、インフレとなっていたが、原油価格の急騰はインフレをさらに悪化させた。消費者物価指数は、1974年には23%上昇し、「狂乱物価」と称された。消費は減退し、企業の設備投資は縮小され、公共投資も抑制された。

 その結果、1974年には、成長率はマイナス1.2%となった。戦後初のマイナス成長であり、高度経済成長は終わり、インフレと不況が同時に進行するスタグフレーションという事態になったのである。

 石油資源の不足から、トイレットペーパーや洗剤が品不足になるという噂によって、スーパーからこれらの商品がなくなり、大きな社会問題となった。政府は、ガソリンスタンドの日曜営業停止、テレビの深夜放送の停止などの省エネを国民に呼びかけ、また、省エネ技術の開発に努力した。

 今回のイスラエル・ハマス戦争に、レバノンのシーア派武装組織ヒズボラが参戦すれば、イランまで介入する可能性が高まり、それは新たな石油ショックにつながる可能性もある。