広島サミットが残した課題、ウクライナ戦争を第二次世界大戦と比べてみる | 舛添要一オフィシャルブログ Powered by Ameba

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 広島サミットが閉幕した。被爆地広島で開かれたことで、核兵器の廃絶というテーマにも取り組むことになったG7の首脳宣言は、核兵器のない世界の実現に取り組むとし、核軍縮に関する首脳声明「広島ビジョン」を発表した。

 広島サミットの最大の目玉は、ウクライナのゼレンスキー大統領が広島に到来し、対面で会議に参加したり、市民に向けて演説したりしたことである。G7は、結束してウクライナを支援し続けることを確認した。

 ロシアに対する反撃の大攻勢を準備しているウクライナは、西側に武器支援の増強と加速化を求めたが、アメリカは、欧州の同盟国がウクライナにF16戦闘機を供与することを容認した。

 G7は、停戦の道を明示することはできず、ウクライナ勝利まで支援し続けることを明言したのみで、戦争は長期化する。

 それでは戦争はいつまで続くのか、G7やウクライナは、どのような状況でロシアとの停戦交渉を開始するのであろうか。少なくとも、ロシアの敗色が濃厚にならないかぎり、西側は動かないであろう。

 第二次世界大戦は、1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻することによって勃発した。ドイツは破竹の勢いで、周辺の欧州諸国を占領していったが、1941年6月には独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻する。

 この当時、アメリカはまだ参戦していなかったが、8月に、イギリスのチャーチル首相が、カナダのニューファンドランド島のアージェンティア湾でアメリカのルーズベルト大統領と会談し、領土不拡大、民族自決、ナチス暴政の打倒、武力使用の放棄など、8項目からなる共同宣言を発表した。これが大西洋憲章である。

 12月8日、日本の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まり、アメリカは第二次世界に参戦する。こうして、連合国と日独伊の枢軸国との対立が激化していく。

 広島サミットの首脳宣言は、ある意味でこの大西洋憲章に似ている。

 大西洋憲章の1項目目の「領土不拡大」、2項目目の「領土不変更」と同じことを、G7は広島で宣言した。また、「法の支配に基づく自由で開かれた国際秩序を強化する」という首脳宣言の文言は、大西洋憲章8項目目の「武力行使の放棄」の精神と繋がっている。

 第二次世界大戦は、日米開戦以降、次第に連合国の攻勢が強まり、枢軸国が劣勢に立っていく。1943年2月にはスターリングラードでドイツ軍が赤軍に降伏する。こうして、11月にはカイロで英米と中華民国の首脳会談が開催され、対日戦争遂行の協力と戦後処理について討議し、日本の無条件降伏まで戦うことを記したカイロ宣言を発表した。

 同時期に、テヘランで英米ソの3カ国首脳会談が開かれ、戦争遂行の協力を強化し、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦が決まった。

 1945年2月にはヤルタで英米ソ首脳会談が開かれ、戦後処理について広範な方針を確定した。4月28日にムッソリーニがパルチザンに銃殺され、4月30日にはヒトラーが自殺する。そして、7月にはポツダムで英米ソ首脳会談が開催され、戦後処理について決められ、日本に無条件降伏を迫るポツダム宣言が発出された。そして、8月15日、戦争が終結した。

 ウクライナ戦争の場合は、まだテヘランやカイロ会談の状況にまでは至っていない。